元々優しかったクラッカー様だけど、あの日を境にさらに私に対して甘くなったような気がする。
例えば、夜ベッドの中で私がその日読んだ本の話をするとき、今まではただ耳を傾けてくれているだけだったのが、優しく髪を撫でてくれるようになった。

それから、うちに帰ってくるときにお土産を買ってきてくれることが多くなった。それもビスケット島のものだけじゃなくて、他の島の人気商品だというものを色々。
わざわざ買いに行ってくれているのかと心配になって聞いてみると、きょうだいたちに取り寄せてもらっているのだということだった。

「わあ、美味しい!甘すぎなくて食後のデザートにぴったりね!」

今日のお土産はフルーツ島のフルーツをたっぷり使ったゼリーだった。コンポート様に持たされたのだと、クラッカー様は言っていた。食後に食べようと冷蔵庫に入れていたのでひんやりと冷たく喉を通っていく。
はしゃぐ私とは対照的に、今日のクラッカー様は口数が少ない。

「クラッカー様、今日はお疲れかしら?」
「いや……ナマエ、今度お茶会に行くぞ」
「お茶会?」

突然の話に首を傾げると、クラッカー様は顔を顰めて大きくため息を吐き出した。どうやら、このお茶会とやらがクラッカー様の不機嫌の原因だったらしい。

「プリンのやつが、モンドールとナマエを会わせたことを聞いて自分も会わせろと」

苦虫を噛み潰したような表情のクラッカー様を見つめながら、何度も瞬きを繰り返す。
プリン様なら覚えている。何番目の妹だったかは忘れてしまったけど、結婚式で紹介されたときにとても可愛らしいと思った子だ。
だけど今、それよりも気になるのは……。

「クラッカー様は私を会わせるのが嫌なの?」

それもそうだろう。クラッカー様と一緒にいるとつい気にならなくなってしまうけど、私は忌み子の厄災だ。この歳までお父様以外の人と会うこともなく、お城に幽閉されてきた。そんな女を、大切なきょうだいになんてあまり会わせたくもないだろう。

「違う!……おれはいいが、ナマエは嫌だろ」

クラッカー様が突然声を荒らげたかと思うと、そこから萎むように勢いをなくして吐き出された言葉。ああ、と重く垂れ込めていた心がまた軽くなる。そうか、私はまた守られようとしていた。
一人でいることが長かったせいで、あまり面識のない人と会うとつい気を張ってしまう。クラッカー様との散歩のときも、あまり人通りの多いところには行きたがらないから、そこを考えてくれたのだろう。

「ありがとう。確かにまだ緊張するけど、クラッカー様の大事な方たちでしょう?会いたいわ」








□■□■









お茶会はショコラタウンという場所で行われると言うので、今日は久しぶりに船に乗った。よく考えたら、結婚式を行ったホールケーキアイランドとクラッカー様のビスケット島以外を訪れるのはこれが初めてだ。
はやる気持を抑えきれないのが顔に出ていたのか、船の中でクラッカー様にからかわれてしまった。

そうして辿り着いたお茶会会場の素敵な庭園には、私たち以外のお客様はみんな揃っているようだった。席に腰かけた面々を見て、クラッカー様が小さく舌打ちをする。

「……随分な顔ぶれだな」

会ったことのあるモンドール様と、今日の主催であるプリン様。それから……他の皆さんの名前が思い出せない。密かに困っていると、私の椅子を引いてくれたクラッカー様がこっそりと耳元に顔を寄せて名前を教えてくれた。ペロスペロー様とスムージー様。

私たちが席につくとお菓子とお茶が冷める前に固い話は抜きでとお茶会が始まる。メイドさんが注いでくれた紅茶とクラッカー様が取り分けてくれたお菓子を食べながら、話は自然と私たちに移る。

「まさかクラッカーの兄貴がこんな嫁煩悩になるとはな」
「ああ、本当にな。日頃から痛いのは嫌だ、注射も嫌だと喚いてるやつだ。結婚も嫌だ嫌だと放任するかと心配していたぜ」

モンドール様とペロスペロー様の兄弟たちに色々言われて顔をしかめるクラッカー様。だけど決して怒っているわけではない。そこには私の入ることの出来ない、また別の家族の枠組みがあるのだろう。
そんなことを考えているとスムージー様が不意に私の顔を覗き込んだ。

「ナマエ、困ったことはないか」
「いえ、まさか。クラッカー様はとても良くしてくれますわ。それに、妻ですから」

一瞬の静寂の後、どっと笑いが広がる。そんな中、クラッカー様だけが表情を強ばらせた。私といえば笑われた理由も、クラッカー様の表情の理由も分からなくて困惑してしまう。
クラッカー様が私に良くしてくれるのは私が妻だからだ。初めて私の名前を呼んでくれたあの日から、夫という責任のもとに私に与えてくれる優しさと愛情。そこには、笑われる理由も困らせる理由もないはずだ。

「ああ、そうだ!これ、用意したの」

プリン様が一度屋敷の中に入って行ったかと思うと、山盛りのクッキーの盛られたお皿を持ってきた。三日月形のラングドシャ。私のよく見知ったお菓子。

「ナマエ姉さんの島の銘菓でしょ。今この国でも大人気よ」
「ええ、久しぶりに見ましたわ」
「なんだ、クラッカーの兄貴は買って来てやってないのか」
「フンッ、占いなんてくだらん」

割れば中に運勢を占う紙の入ったクッキーをクラッカー様が引き寄せてくれたお皿の中からひとつ選ぶ。これはあくまで量販用のお遊びの占いで、まるで信憑性などないと理解しながらも、やはり結果は気になってしまうものだ。

「……でも私、自由のない結婚なんてやっぱり嫌だわ」
「プリン」
「結婚相手を決められて、なんて自由でも幸せでもないでしょ」

クッキーの中から取り出した紙を手に持ちながら、ぽつりと呟いたプリン様の言葉をペロスペロー様が窘める。占いの結果に何か書いてあったのかもしれない。
私といくつ違うのかは知らないけれど、まだ歳若い女の子にとって、いつか自分が誰とも知らぬ相手と結婚することになるというのは色々思うことも多いのだろう。

「私は、クラッカー様と結婚して初めて自由を知りました」

気がつけば無意識に唇から言葉が零れ落ちていた。プリン様の大きな瞳が私を見つめる。

「……どういうこと? そういえば、ナマエ姉さんは訳ありだってママが」
「おい!」
「クラッカー様、大丈夫よ」

クラッカー様の咎めるような言葉を、そっと微笑みを浮べることで止める。私の身の上の話がこの和やかなお茶会の場に合わないことくらい、よく分かっている。何もすべてを話すつもりはない。

「私の国では占いで全てが決まります。結婚相手までは流石に決めませんけれど、必ず相手との縁は占われます。そしてその吉凶によって破談になることもよくある話ですわ」

あの国の人々は人生の折り目には必ず占いに触れる。日常の些細な選択はともかく、結婚も出産も政も、人生の重大な局面はすべて占いに頼る。

もちろん、そのために国には厳しい修行を経て力を得た占い師がいる。星を詠み、血筋を辿り、運命を占う。その結果に涙を流すことはあろうと不満を示す者は少ない。
だって、それに抗った行く末がお母様であり、私なのだ。占われた未来から幸せを受け取る。あの国に住む人々はただ素直にその恩恵を信じている。

「占いに導かれた結果は幸せかもしれなくとも、それは自由とは言えませんでしょう?」
「ナマエ姉さんがクラッカー兄さんと結婚することも占いで?」
「ええ、私が嫁ぐのが国のためだと」

ビッグ・マムの息子と結婚することか、それとも厄災を国から追い出すことか。占いが示した国のためという結果がどちらの意味であったのかは分からない。
とにかく占いが示したのは国のための最良であって、私のためではなかった。だから、この結婚に幸せがあるなど──いや、そもそも生まれた時から私自身の未来に幸せがあるなど思ってもいなかった。

「だから、その先の幸せをくれたのはクラッカー様ですわ」

手に持ったフォーチュンクッキーを砕く。小さく丸まった紙を広げてみると、そこに書いてあった文字に目を丸くする。

「あら、見て、クラッカー様!いいことしか書いてないわ!」
「……ああ、よかったな」

隣に座るクラッカー様の腕を掴んで紙に書かれた内容を見せれば、柔和にその瞳が細められた。さっきまで兄弟で話していた時とは違う、私にだけ向けられる優しい笑顔。ほら、また私は幸せをもらった。






天国みたいに甘い



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