船の中で、今の国の状況については詳しく聞かされた。
半年前から隣国との間で起きている紛争。敵国は海賊ではなく、あくまで国同士の外交の問題である以上、ビッグ・マムへの援助を申し入れられない。もともと戦力のない私の国はもう既に国土の多くが戦火に晒され、ビッグ・マムへ納める税収も賄うのが限界になりつつあるらしい。

想像もしていなかった祖国の状況に言葉を失う私を、兵士は皆、悲痛な面持ちで顔を俯かせた。

「申し訳ございません……姫様」
「いいえ、よく持ちこたえてくれました」

膝をつき泣き出さんばかりの兵士長を宥めるように、優しく笑みを浮かべて首を振る。震える肩はどれだけ国を思い、そして守りたかったものが失われたのかを物語っている。




□■□■








そうして帰ってきた国の姿は、覚悟はしていても悲惨なものだった。かつて多くの人の笑顔に溢れ活気に充ちていた城下の家々は焼け崩れ、血と硝煙の匂いにむせ返りそうだった。人目を避けるようにして辿り着いた城の城壁も、所々が脆く壊れ、かつての美しさを失っている。

「お父様!」
「──ナマエ!」

城内を走り、謁見の間へと続く大きな扉を開ける。そこにはお父様とお姉様が肩を抱き合うようにして立っていた。私を見たお父様の瞳が複雑そうに揺れる。
あの物語とは似てもに似つかない。二人のお姉様も心からお父様を愛しているし、お父様だってお姉様たち、そしてこの国を愛している。

「本当に、来てしまったんだね」
「来るわよ、私だってこの国の王族だもの」

苦しそうに瞳を閉じたお父様の傍らに置かれているのは、国宝でもある短剣だ。かつて、この国の歴史で英雄と謳われた──ミョウジ家の始まりである国王の懐刀であったといわれる名剣。その剣が今から私の喉元を切り裂き、心臓を突き刺すのだ。

そう。私は、命を差し出すためにここに呼ばれたのだから。

ここで終わる私の物語の結末はこう書き出されることになる。祖国の危機を知り、大切なお父様のために駆けつけた妻は、城へ向かう途中に敵国の兵に捕まり、無残に殺された、と。

きっとクラッカー様は私の訃報を聞いて、この国を訪れるだろう。私のためにクラッカー様が怒り、敵国を完膚なきまでに叩き潰すことを想像するのは難しくなかった。それくらい愛されていた自信はある。
それはつまり、それだけ悲しませてしまうことでもあると分かりながら。

「お前を手にかけたら、私もすぐに……」
「ダメよ!そんなこと言っては絶対にダメ!」
「だが、私は娘にこんな目に合わせてまで生きるわけには」
「お父様は国王としての務めを果たし、私も姫として使命をまっとうするの。それだけよ」

姫として、それは私がずっとこの城の中で夢見てきた姿であったはずだ。お父様が何か言おうと口を開いて、それから苦しげに息を吐き出した。
壁面に埋められたステンドグラスが日の光を浴びて色鮮やかに輝く。

「ナマエ」
「お姉様……」
「ずっと、あなたと話したいと思っていたのに、どうしてそれがこんな……こんな……」

初めてお姉様の声で呼ばれた自分の名前。いつも遠くから聞いていただけのお姉様の凛とした鈴の音のような声。それが今日は涙で濡れ、沈鬱に震えている。泣き崩れその場に膝をつき、うずくまってしまったお姉様に駆け寄る。
躊躇いながら、そっとその細い肩に触れる。私がここにいることを確かめるように、お姉様の瞳に私が映っている。

「……雰囲気が変わったわね」
「そうかしら? きっと、クラッカー様のおかげね」

クラッカー様と出会って、私はこの城にいた頃よりも随分と変わったはずだ。幸せも愛も、この両手では持ちきれないほどにもらった。誰かと一緒に食べる食事が温かいことを、誰かの隣で眠りにつく夜が優しいことを、私はもう知ってしまった。

「あなたはね、お母様そっくりなのよ」
「え?」
「結婚をして、さらに面影が濃くなった気がするわ」

微笑んだお姉様の瞳から、また一粒の涙が流れ落ちる。
私を産んですぐに亡くなったお母様の顔を私は知らない。そのお母様に似ていることを喜んでいいのかも分からない。お母様に似てしまったせいで、知らぬ間に誰かを傷つけてしまったこともあるはずだから。

だけど今は、清々しいほどに誇らしく胸を張れる。この国の姫として、ここで散ることの出来る今なら。
覚悟を決めた私の瞳を見つめたお姉様が、小さく首を振って私を抱きしめた。姉妹での最初で最後の抱擁。ずっと憎まれていると思っていたお姉様たちから伝わるのは、もっと優しい、愛情と後悔だった。

「お前は、幸せに暮らしていたんだな」
「ええ、とっても。私にはもったいないくらいの幸せだったわ」

名残惜しむように私に手を伸ばすお姉様の手を解き、お父様へと向き直る。鞘から抜かれた剣身にゆらりと歪んだ私が映る。

「必ずクラッカー様に伝えてね。あなたの妻になれて、私の人生はちゃんと幸せだった。生まれてきて、よかったって」

涙が出てしまいそうになるのを力強く微笑むことで堪える。私はこの国の姫なのだから。厄災と呼ばれようと、私はこの国のために生きてきた。それはきっと、この日のためだったのだ──だから、泣いてはいけない。怖いだなんて、思ってはいけない。

「……それから、私は、最後まで気高き姫だったって」
「すまない、ナマエ」
「大丈夫よ」

お父様の持った短剣の切っ先が陽光を浴びて輝く。なんて美しい、最期だろう。

──不仕合わせな生れつきなのでございましょう。
──私には心の内を口に出す事が出来ませぬ。
──確かに父君をお慕い申上げております、それこそ、子としての私の務め、それだけの事にございます。

何度も繰り返し読み、今ではすっかり諳んじることの出来るようになった一節。それをなぞるように口の中で唱える。
瞳を閉じる前に、苦しそうに眉根を寄せるお父様に精一杯の笑顔を向けた。

この国のために死ねる。それは私の本望であったはずなのに、どうしてこんな最後の最期に彼の顔が頭から離れないのだろう。あの日、私のために用意された船内で、クラッカー様は来年も再来年も、と約束してくれた。そんなこれから待っていたはずの彼と過ごしていけた未来を想像する。

ああ、そうだ。とても大切なことを伝え忘れてしまった。

──あなたを傷つけてしまっても、それでも、本当に愛していたって。






まだ伝えたいことがあったんだ



back/silent film