それから、あれやこれやと言う間に結婚式の準備は進んでいき、気がつけばあっという間に結婚式自体も終わっていた。
そういえば、着せ替え人形のごとくドレスを引っ変えられていく私を見ながら、クラッカー様はとても愉快そうだった。それに、ママとの謁見の際もその迫力に気圧される私を見て、ニヤニヤとその顔に笑みを浮かべていたのにも、ちゃんと気付いている。
だけど、ドレスの試着に疲れてきていることに気がつけば、休憩を挟むように言ってくれたり、身体が萎縮している私をそっと自分の方に抱き寄せてくれたりもする。

「……なんだそんな目で」

ぼうっとクラッカー様を見ていると、訝しがられてしまった。慌てて首をぶんぶん振れば、ふんっと鼻で笑って、また歩き出してしまう。私は一体、どんな目でクラッカー様を見ていたんだろう。
とにかく、今は結婚式も終わって、これから住む新居を案内してもらっている最中なのだ。集中しよう。

「それから、ここが書斎だ」
「わあ……」
「広さの問題でこれが限界でな。飽きてきたら言え。すぐに入れ替えさせる」

思わず漏れてしまった感嘆の溜め息。壁一面にびっしりと並んだ本棚には、これまた隙間なく沢山の書籍が詰め込まれている。確かにお城の書斎よりは数は少ないが、一家の蔵書としては十分すぎるに違いない。

「見たことも無い本も沢山あるわ。これなら当分は大丈夫」
「楽しそうだな」
「ええ、とっても」

部屋に置かれたソファにクラッカー様が座るのを視界の隅で確認して、棚の端から一冊一冊の本を眺めていく。次に読む本は何にしようか、この瞬間ほど迷うことは無いし、胸がときめくことも無い。

「結婚式はどうだった」
「とっても疲れたわ。結婚式があんなに疲れるものだったなんて知らなかった」

いい子に座ってればいいだけかと思っていたのに、てんやわんやな会場で次から次へと挨拶にやってくる人々。物覚えはいい方だと思っていたのに、正直ほとんどの人の顔なんて既に忘れてしまった。

「ナマエの家族は、父親しか来ていなかったな」
「仕方がないわ。お父様に会えただけで十分」

お城に住むお姉様たちのことを思い出す。話したこともないふたりのお姉様。城の中を出歩くことは自由だったので、何度かすれ違ったことはある。私のことなんて一瞥もせず、まるで見えていないというように歩く横顔。だけど、その心ではきっと私のことを憎んでいたのだろう。だって、私は厄災で、そのせいでお母様を死なせたのだから。

(……私がこうして嫁いだことで、お姉様たちに少しは報いることが出来たのかな)

だけど、ここに来たのがお姉様でも、クラッカー様は同じように優しく接してくれたことだろう。そう思うと、心の中に黒い靄のようなものが、むくむくと湧き出してくる。

「おい」
「……え。あ、ごめんなさい、ぼーっとしてたみたい」

クラッカー様の方を向いて誤魔化すように笑うと、大きな溜め息をつかれてしまった。ここ数日で、私にはすぐに自分の世界に入り込んでしまう悪い癖があることを思い知った。きっとひとりでいることが長かったのが原因だ。あのお城では私は幽霊で、思考を遮られる必要なんてなかったから。

「城でも父親と話すことは出来ていたのか」
「いつも寝る前に私の読んだ本の話を聞きに来てくれるの」

お父様だって、生まれてからずっとあの島の文化に染め上げられた人だ。政治もすべて占いに任せたお飾りの王族──世間でそう呼ばれていることは、本を読んで知った。それだけ、あの国における占いは重要なものなのだ。それに逆らってまで、私に会いに来るのは苦痛であったに違いない。
だから私はその恩に、この命を賭けて報いていかないといけない。

「私ね、お父様のためなら、なんだって出来るの」
「ハッ、たいそれた愛だよ」
「ええ、私はお父様が大好き」

口の端を上げて喉の奥で笑うクラッカー様から視線を外し、窓の外を眺める。まだお父様は国に戻る船の途中だろうか。その息災を願いながら、執務で遅くなったお父様が、眠る私のもとを訪れた日のことを思い返す。起きなければと思いながら、睡魔に勝てず瞼を開けられない私を、お父様は眠っていると思っていたんだろう、とても苦しそうな声音で、こんな思いをさせてすまないと謝った。
あのときの胸の痛みが蘇る。私はお父様に謝って欲しくなんなかったのだ。だって、

「お父様は、責任感で私を愛しているだけなのに」

自嘲めいた私の言葉にクラッカー様は何も言わない。言わないでいてくれる、と言った方がいいんだろう。部屋の中には沈黙が続く。

ずず、っと何かを引きずる音がしてクラッカー様の方を見ると、机の上にビスケットが山盛りになったお皿が置かれていた。今までクラッカー様の影になって見えていなかったらしい。

「こっちに来い、ナマエ。おやつ の時間だ」
「用意してくれていたの?」
「どうせ、この部屋に長居するだろうと思ってな」

机の側に近寄って、ほんの少し考える。机を挟んで置かれたふたつのソファ。いつもなら向かい合わせに座るところを思い切ってクラッカー様の隣に腰を下ろす。大きなソファは、ふたりで座っても十分すぎるほどに余裕がある。クラッカー様の顔を恐る恐る覗き込めば、意外そうながらも、どこか満足気だ。

「さあ、食え」

いただきます、と呟いてお皿からひとつ摘んだビスケットを口に入れる。サクサクとした食感、ホロホロと口の中で崩れるそれは程よい甘さで身体の中に溶けていくみたいだ。

「美味しい!こんなに美味しいの初めて」
「お前の国だってこれが有名だろ」
「私の国のも美味しいけど、やっぱり有名なのには占いって付加価値もあるもの」

フォーチュンクッキー。私の国の名産品。手軽に占いを楽しめて、さらには美味しいからと国内外で人気ではあるものの、味だけで勝負すれば断然クラッカー様の作ったものの方が美味しい。そう熱く語って見せれば、堪えきれなかったようにクラッカー様が笑い出す。

「今度、一緒に作ってみるか」

その言葉にぱあと私の顔は輝いたことだろう。お料理は好きだ。自分の手で何かが作れるということに、とても安心できるから。そのうえ、こんなに美味しいものを作れるようなれるなんてとても嬉しい。
そう考える頭の片隅で、もしかしたら私はクラッカー様に何か誘ってもらえたことを、単純に嬉しいと感じているのかもしれない、と考えた。だけど、その考えがまとまりきらないまま、クラッカー様との会話は続いていく。

「これから、日中は家を空けることになる」
「本を読んでるから平気よ」
「寝る前に、俺にも読んだ本の話を聞かせてみろ」
「もちろん。まるでお父様みたいね」
「……夫だ」
「ふふ、分かっているわ」

なんてたわいない会話。想像以上に拗ねた声をクラッカー様が出すものだから、思わず笑ってしまう。ああ、私の心臓はこんなにも軽やかに、幸せの音色を奏でることが出来たのか。






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