それから、再び訪れたモンドール様がクラッカー様から明日には帰れると連絡があったと伝えてくれるまでの数日間、本当に長かった。
一日がこんなにも長いことが信じられなくて、何度も何度も時計を確認したり、カレンダーを眺めてしまう私に、メイドさんには「本当に仲がよろしいですわね」と微笑ましげに言われてしまった。

だけどそんな日々ももうおしまいだ。
今日の昼にはクラッカー様はこの国に帰ってくると言っていた。それからまずはママのところで報告だとか色々やることがあるので、この家に帰ってくるのは夕方になるらしい。

日の沈み始めた茜色の空は、今日も変わらずご機嫌な様子の雲が細長く流れている。窓から外を眺めながら、クラッカー様の姿が見えるのは今か今かと待ち構える。

「あっ!」

この屋敷へと続く道に見えた人影。ビスケットの鎧を着ているから、いつもよりずっと大きくて見つけやすい。
その姿を目にしたら、考えるよりも先に体が動いていた。ドレスの裾を翻して、玄関へと向かう。非力な私でも簡単に開くようにできている大きな扉を押し開ければ、家の軒先までクラッカー様はやって来ていた。

「ナマエ?」
「クラッカー様!おかえりなさい!」

私が出迎えることなんて想像していなかったんだろう。クラッカー様は驚いたように目を丸くして、それから周りを確認するように見回すと鎧がボロボロと崩れていく。
砕けたビスケットの隙間から見えるクラッカー様の本当の姿。それを見たらもう堪らなくて、駆け出してその腕の中へと飛び込む。

「随分と熱烈な歓迎だな」
「寂しかったの。クラッカー様がいなくて、ずっと寂しかったのよ」

しっかりと私を抱きとめてくれたクラッカー様の胸に頭をすり付けるようにしてそう言えば、私に触れた腕がびくりと震えた。

「ひとりには慣れてるんじゃなかったのか?」
「……幸せを知りすぎたわ」
「ハッ、モンドールのやつからナマエが寂しがってるときいたときは冗談だと思ったが、もっと連絡してやればよかったな」

不意に体が浮き上がる。クラッカー様に抱きついたまま動こうとしない私を見かねて抱き上げられてしまったらしい。見上げればすぐそこにあるクラッカー様の顔は、絶対に私のことをからかっていると思ったのに、存外にただ嬉しさだけの伝わる表情をしていて驚いた。

「そうよ。おかげでクラッカー様のことばかり考えて、全然本が読めなかったわ!」

拗ねたように唇を尖らせてそっぽを向けば、愉快そうに笑われてしまう。

「それは悪いことをしたな。ほら、土産があるから機嫌を治せ」
「お土産?」
「あァ、マカロンだ。これの取り引きに行っていた」

クラッカー様が私にとくれた可愛らしくラッピングされた箱。取り引きの言葉が何を意味するかくらい、この国に嫁いできたからにはよく分かっている。
わざわざクラッカー様が出向いたくらいなのだから、さぞかし大きな戦いとなったのだろう。そして多くの血が流れたに違いない。
この国はそうした犠牲と暴力の上に成り立っているのだ。

それでもクラッカー様は私にそうした話をすることはない。この国の血なまぐさい部分など十も承知の私に対して、出来る限り綺麗な部分だけを見せてくれようとする。
そして、そんな優しさに触れるたびに、むず痒く疼く胸の感情が何であるかを私は知った。

「家に入ってお茶にするぞ」
「あっ、待って!」

私を抱き抱えたままスタスタと屋敷の中に入っていこうとするクラッカー様に向けて声を張り上げる。

「なんだ、別に降ろさなくてもこのまま……」
「違うの!あのね、私、クラッカー様のことが好きみたい!」

面倒くさそうに私の方を一瞥しようとした瞳が大きく見開かれる。

「そうしたら、クラッカー様が本当に私の旦那様で家族なんだって思って、今さら嬉しくなって……ああ、でも結婚してもう何ヶ月も経つのに、変よね。ごめんなさい」

一人で帰りを待っている間、何度も何度もクラッカー様に想いを伝える練習をしたはずなのに、結局口から出るのはこんな支離滅裂な言葉ばかり。それに急に目の奥が熱くなって、耐える間もなく大粒の涙が零れ落ちていってしまう。

「……あれ、私なんで泣いてるのかしら」

止まらない雫を慌てて拭おうとすると、優しす制するように腕を掴まれる。

「おい、強く擦るな」
「ごめんなさい、違うの。悲しいわけじゃないのよ」
「あァ、分かっている」

大きく息を吐き出しクラッカー様は、私を抱え直して屋敷の中へと入っていってしまう。そして、キッチンの椅子へと座らされた。
まだ止まらない涙を滴らせながら、クラッカー様の意図を探るようにその顔を見つめる。

「まさかこんなに早く気づくとはな」
「……どういうこと?」

ちょうど私と目線が合うようにしゃがみ込んだクラッカー様が、「家族の話だ」と口角を上げて笑う。そして、急にその瞳が真剣みを帯びた。

「ナマエ、愛している」

一瞬驚いて止まったように思った涙が、むしろ勢いを増して流れ出す。ああ、家族。そう家族だ。クラッカー様が家族であると理解しながらも、どこが現実味に足りなかったピース。
クラッカー様を愛している。そして、私も愛されている。そんな深い愛情によって私たちは繋がれているのだ。





二人だけの誓い



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