食パン-sandwich bread-

私の朝は甘い小麦と砂糖、そしてバターの香りに包まれて始まる。
ぼんやりと日の昇りきらない早朝、昼食の準備が始まるにはまだまだ時間のある誰もいない時間に、食堂の厨房を使わせもらって私はパンを焼く。小麦を捏ねる手早い動きも、生地の発酵を見極めるタイミングもそれなりに板についていると思う。

なんせ実家はパン屋だったのだ。地元に根付いた小さな店ではあったけれど、生まれてからずっと生活の片隅には焼きたてのパンがあった。
両親が喜ぶからという理由ではじめた手伝いが、気付けば生活そのもとなっていたのが、いつからだったかは覚えていない。あれこれ教えてくれとせがむものだから、父はよく私のことを一番弟子だと呼んでは笑っていた。

「ふふふ、愛してるよ」

捏ねあがったぽってりとした生地にむけて愛を囁く。これは父の癖で、母にはよく気持ち悪いと言われていたのだけど、残念、父の一番弟子たる私にもばっちりと受け継がれている。

ふうっと一息ついて、流しに面した大きな窓から空を見上げる。起きたときはまだ真っ暗だった空はぼんやりと白け、一日の始まりを告げようとしていた。



「よーし、あともうひと頑張りかな」

一体全体どうしてこうなったのか、自分でもよくわからないままにこの世界に迷い込み、戸惑いながらもなんとか生き抜いてきた。
そんなてんてこ舞いな生活にもすっかり慣れ、休日を使ってパンを焼くことを始めたのは数ヶ月前のことだった。周りの人に少し分けてみると、それがなかなかに人気となり、いっそ売り物にしたらどうだと言われたたのが二ヶ月前。

それは確かに名案だと、そのままの足で学園長に学内でパンを売る許可を貰いに行った。何せオンボロ寮の生活はいつだって火の車、明日のツナ缶にありつけるかも怪しいのだから。

そして、いざ食堂の片隅を使わせてもらいパン屋の営業を始めると売れ行きもよく、美味しいという声を聞けるのも嬉しかった。しかし、想像以上に大変だったのは生活リズムで、家の手伝い程度だった頃とは違って、何しろすべて自分でやらなくてはいけないのだ。その上、学生の本分は学業となると、どうしても一日の時間が足りない。
そんな中、試行錯誤を続け、最近では週に三日。月、水、金と営業をするスタイルで落ち着いている。

ピピピとタイマーをセットする。釜に入れた生地が焼けるのを待つ間に、サンドイッチを作ってしまおう。サンドイッチに使うのは、売れ残りの食パンだ。最初のうちはひとりのペースが掴めずに、品数はどうしても少なくなってしまっていたけど、やっていくうちに冷凍や前日の仕込みで少しずつあれこれ作れるようになってきた。

「今日も美味そうな匂いがしてるッスね」

その声に顔を上げると、厨房の入口からラギー先輩がこちらを覗いていた。

「あれ?珍しいですね、こんなに朝早くから」
「ちょっと朝一で来なきゃいけない用事があったんで、ついでに今日のオレのお昼は何かなって」
「ふふふ、今日のラギー先輩のお昼は、なんとカツサンドです!」
「へえ、珍しいッスね。普段は手間がかかるし材料費が高いって言ってたのに」

ひょこひょこと厨房に入ってきたラギー先輩に、さっき揚げ終わったばかりのカツを見せる。カラッと美味しそうにきつね色に揚がった自信作だ。

「実は、いいお肉がいっぱい届いたからって、食堂のゴーストが譲ってくれたんです!タダですよ、タダ!」
「そりゃ最高じゃないッスか」

パンに使う食材は、食堂で使う材料とは別に届けてもらっているのだけど、こんなふうに食堂用のものからおすそ分けを貰えることもある。そういう時は、普段と少し違ったパンを出せるので嬉しい。
それから、届けてもらうことができないものや、自分の目で選びたい食材は大体週末に買いに出掛ける。

「それで、今週もいつもの時間でいいッスか?」
「はい、お願いします。あと、ちょっと行ってみたいパン屋さんがあるんですけど、いいですか?」
「もちろん、週に三日もタダで昼飯貰ってんだから、それくらいお安いご用ッス」

ひとりで運ぶには重たい荷物持ち、それから街にあるパン屋の新作チェックのお供。それをラギー先輩にお願いする代わりに、お昼のパンを提供する。それが私とラギー先輩の関係だ。

厨房内にパンの焼き上がりを告げるタイマーの音が響く。いつの間にそんなに時間が、とバタバタ慌ただしく動きはじめる私を少しだけ笑ったラギー先輩がひらひらと手を振って厨房から去っていった。
窓の向こうは快晴の青空だ。バターの焦げるこうばしい香りに包まれて、私は今日もパンを焼く。




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