シュガードーナツ-SugarDonut-

土曜日の午後、食堂の厨房は甘い香りに包まれる。
ラギー先輩との約束通り、今日はドーナツを作ることにした。こんがりきつね色に揚がった、ころんと丸いドーナツは満足の出来で、見ていると思わず頬が緩む。

「そろそろ完成ッスか?」
「ふふふ、あと粉砂糖まぶすんで、もうちょっと待ってくださいね」

今まで厨房の隅に置いた椅子に座っていたラギー先輩が、いつの間にか隣にやってきてドーナツを並べた銀のバットを覗き込む。

前に言った通ドーナツを作るから、出来上がったら寮まで持っていくと連絡したら、作るとこから付き合うと言って 厨房まで来てくれたのだ。
だけど、付き合うと言っても、一緒に作るのではなく私が作っているのを見ていただけなので、手持ち無沙汰じゃないかと心配したけど「アンタが作ってるとこ見んのは楽しいッスよ」と言われ、それならまあとそのままドーナツ作りに没頭してしまっていた。確かに私も父がパンを作ってる姿には、見ているだけでワクワクしたから、そういう感じだろうか。

「そう言えば、いつも口ずさんでる曲って元の世界のやつ?」
「え、歌なんて歌ってます?」
「あれ、無意識ッスか。鼻歌レベルじゃなく、しっかり歌ってんのに」
「うそ、そんなにですか?」

おかしそうに笑うラギー先輩につい頬が赤くなる。歌ってたなんて全然気付かなかった。元の世界で好きだったアーティストやこっちに来てからエースなんかが教えてくれた曲、そんなつい口ずさんでしまいそうなレパートリーを考えるけど、パッとは思いつかない。どうか変な曲ではありませんようにと願いながら、気を取り直して、ドーナツの最後の仕上げの粉砂糖をまぶす。

「はい、完成です。温かいうちに食べちゃっていいですよ」

銀のバットの上で、ドーナツの熱によって少し溶けた砂糖がキラキラと光る。素朴だけど優しい甘さのこのドーナツは、私の子供の頃のおやつの定番だった。

私が学校から帰ってくる時間に合わせて揚げてくれるドーナツ。つい食べすぎて夕ご飯が食べられなくなっては、お母さんに怒られていたのが懐かしくなる。
そんな思い出に浸りながら、ラギー先輩がドーナツを口に運ぶ様子をドキドキと見守る。

「すげー美味いッス!」
「ホントですか!よかったー」
「ナマエくんが作るパンは何でも美味いけど、やっぱり好きなもん作ってもらえるのは嬉しいッスね」

何気なく呟かれたその言葉に、思わず口元が緩む。私の作ったパンを一番よく食べてくれているのは、間違いなくラギー先輩だ。

お昼のパンを渡すと、その日の夜に今日も美味しかったと律儀に連絡をくれる。そんな優しさと、美味しいの言葉に、ついついラギー先輩のためのパンをもっと焼きたくなってしまう。そう言ったら、パンのことには本当に幸せそうだと、また呆れたように笑われてしまうだろうか。

「今度から日曜日、作って来ましょうか」
「え、流石にそれは悪いッスよ」
「じゃあ、この前みたいにまた半分こしてください」

半分こ?と何の話か分かっていなそうなラギー先輩に、この間の買い出しの話をする。ああして半分こして貰えば、いつもより少し多くのパンが食べれれる。
それから、いつもはついラギー先輩と違うパンばかり選んでしまって、同じ味を共有できていなかったから、この間は美味しいと言い合えて嬉しかったのだ。そう伝えれば、いまいち納得しきっていない様子で、ラギー先輩は眉を顰める。

「それ、ナマエくんはあんまり得しないんじゃないッスか?」
「半分こしたパンの方が美味しいからいいんです」

こういうところで損得の話がでるのはラギー先輩らしいなと思いつつ、それが私が得をしないという話なところはらしくないなと思う。好物のドーナツを、私とパンをひとつ半分こするだけで手に入る。それがラギー先輩にとっては得だというのなら、黙って受け入れればいいのに、こうして心配してくれる。こういうとき、私は少しだけラギー先輩の内側に入ることを許されているかもしれないと思ってしまう。

「あー、それはわかるッス。昔ばあちゃんと分けたパンは確かに美味かったし」

その言葉にハッと我に返り、同時に何を言えばいいのか分からなくなる。ラギー先輩の言う昔とは、スラムでの生活でのことだろう。近づくことを許された距離に、つい忘れてしまいそうになるけど、私とラギー先輩はあまりにも育ってきた環境が違う。

私の思い出にはいつだって甘い小麦の香りがする。柔らかい布団に包まれた夢の中から、パンの焼ける匂いに誘われて目が覚める優しい時間をラギー先輩は知らないだろう。
そして私も、スラムの匂いも飢えの苦しみも知らない。今は少しひもじい思いをしてると言ったって、それはただグリムのためにツナ缶を買えるか買えないかの話で、別に明日生きるか死ぬかの問題ではない。

飢えを知る人と知らない人の溝は、とてつもなく深いのだろう。その距離を考えて、どうしようもなく、いても立ってもいられなくなる。埋めないと、少しでも近づかないと。どうして自分がこんなに焦っているのかも分からないまま、唇は勝手に言葉を紡ぐ。

「ラギー先輩、私スラムに行きたいです!」
「は?」
「スラムでパンを配ります!」

突然の私の言葉に、ラギー先輩はキョトンと目を丸くする。それに負けじとグッと顔の前で拳を握りしめて「出張営業です!」と胸を張れば、ぱちぱちと瞬きをしたラギー先輩の瞳が次第におかしそうに細められる。

「アンタってホント、何を言い出すか予想できないッスね」
「学園長にはスグ許可を取ってくるので、スラムの方はよろしくお願いします!」

賄賂、もとい手土産のドーナツを2つほど袋に詰めて厨房から走り出す。こんなことをしたって私が飢えを知らないことは変わりないし、スラムの子供たちだって一時お腹が満たされるだけだ。そうだと分かりながらも、誰かが泣いちゃうくらい美味しいパンを作りたいという幸せな願いを持てた私に出来ることはやっぱり、これくらいしか思いつけなかった。





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