カレーパン-Curry bread-

人より鼻がきくというのは、昔から多少自覚があった。朝、目が覚めたとき、学校から帰ってきたとき、今焼かれているのはなんのパンかということを当てようとしてきた成果かなと思ってはいるけど、別に日常生活で何かの役に立つようなものでもない。
強いていえば、季節の移り変わりに少し機敏になれるかなくらい。朝起きて窓を開けたとき、はっきりと昨日までとは違う空気の匂いがする。だけど、これも天気予報をチェックしたらいいだけなのだから、やっぱりこんなことどうでもいいのかもしれない。

「そろそろ本格的に暑くなるね」
「だなー、もうすでに動くと暑いし」

石畳の上を片手に買い物袋をぶら下げながら歩く。隣のエースが持ってくれている袋は、野菜や果物が沢山詰まっていて私のよりも重いだろうし、少し前でグリムとじゃれ合うように歩いているデュースの持ってくれている小麦粉の袋だって私一人だったら持ち上げるだけで一苦労だ。

日曜日、いつもだったらラギー先輩に付き合ってもらっていた買い出しを先週から三人に頼んでいた。最初は少し頭を冷やしたくて一度だけのつもりだったけど、今週は付き合わなくて大丈夫と連絡したときのラギー先輩からの返信があまりにもあっさりしていたものだから、それにまた勝手なショックを受けて、つい二週連続でエースたちにお願いしてしまった。

「……で、喧嘩?」
「え?」
「今、ため息ついてた」

驚いてエースの方を見ると、顔は前を向いたままチラリと視線だけで目が合った。ラギー先輩とのことを言われているのかは分かっている。そりゃ、今までずっとラギー先輩と買い出しに行っていたことを知っているのだから、どうして急にとは疑問に思っても当然だろう。むしろよく今まで聞かないでいてくれた。

「喧嘩というわけじゃないんだけど、なんかどうしていいか分かんなくて」
「分かんないから避けてんだ」
「避けてる……よねぇ」

買い出しを断ったのは私の勝手な都合だからと、お昼のパンを渡すことは変わりなく続けてはいる。だけど、それ以外の時間、今までなら用もなく顔を合わせていたのを一切やめた。遠くにラギー先輩を見かけても駆け寄って行ったりはしないで、お昼も食堂でエースたちと食べる。そうしたら自然とラギー先輩も私と距離を取っているような気がして、やっぱりこの恋は報われないものなんだって落ち込んだ。

「ごめんね、せっかくの休みにこんなこと付き合わせて」
「いや、オレはいーんだけどさ。なんだかんだ、こうやって出かけんのは楽しいし……ただ、お前が楽しくなさそうなのは、面白くないっつーか」

少しだけ気恥しそうなエースの横顔をぽかんと見つめてから、はっと我に返る。楽しくなさそうな顔なんてしていただろうか。さっきも買う予定のないツナ缶をどうしても買うと言うグリムを止めたり、パン屋でどのパンを買うかとデュースと悩んだり、みんなで公園でパンを食べながらくだらない話をする時間を楽しんでいたつもりだった。

「私、楽しくなさそう?」
「基本は楽しそうだよ、ただ時々ぼーっと変な顔してる」
「……エースって意外と友達思いだよね」
「意外とは余計じゃね?」

心外そうに眉を顰めるエースの表情につい笑ってしまってから、呼吸を整えるように深く息を吐き出す。

「そんな友達思いのエースくんに相談なんだけど」
「おー、なんでもどーぞ」
「好きな人が出来たの。だけど、私こういうの初めてだからどうしていいか分かんなくて、だけどいつまでもこうして一緒にいたいと思ってるのも私だけみたいで」

言葉にしてみると改めてあのお昼のラギー先輩と会話が思い出されて、つい声が小さくなっていってしまう。そんな私の様子を見たエースがきょとんと瞳を丸くする。

「なに?やっとラギー先輩のこと好きなの自覚したの?」
「え?なんで相手がラギー先輩だって……それにやっとって」
「ナマエ以外みんな知ってたと思うよ。例えばほら、おーい、デュース!」
「え、ちょっと、やめてよ」

まさかの想い人本人の名前が出てくるとは思わなくて驚いていると、何故かエースが前を歩くデュースに声をかけるものだから慌てて止める。だけどデュースはしっかり振り向いてくれて、あわあわと顔を赤くしながら慌てている私のことを見て不思議そうに首を傾げた。

「お前さ、監督生の好きなやつ知ってる?」
「ブッチ先輩だろ?」

さも当然とでも言うように放たれた言葉に、愕然としながらエースの顔を見れば、「ほらな」とでも言うように鼻で笑われた。私自身、この間ラギー先輩のことを好きだと思ったばかりなのに、どうしてこんなに知れ渡っているんだ。あまりの衝撃と恥ずかしさに頭を抱えていると、エースはさらに追い打ちをかけてくる。

「だからさ、多分本人も気づいてんじゃね?」
「……え、嘘」
「あのデュースですら気づいてんだから、ラギー先輩が分かってないとか想像できないだろ」

うっ、と言葉に詰まってしまったのは、私が正直デュースは私と同じくらいの恋愛偏差値だとタカをくくっていたからだ。そんなデュースにすらバレバレの私の恋心を、あのラギー先輩が気づいてないなんてこと確かにありえないように思ってしまう。

「だから、ま、本人とちゃんと話し合ってみれば」

頭も心もショート寸前で思わず足を止めてしまった私の頭を一度だけ撫でて、エースがスタスタと歩みを早めたと思ったら前を歩くデュースとグリムに合流してしまった。私だけがひとり、ぽつんと道に取り残される。何が友達思いだとさっきの言葉を撤回したくなる。
そんなとき、ふわりと風に乗って漂ってきたカレーの匂いが鼻腔をくすぐる。どこかの家が夕食の準備をしているのだろう。私も帰ったら明日のカレーパンの仕込みをしないとなと思いながら、こんな時でもパンのことになると冷静な自分も、人よりきく鼻も、やっぱり何の役にも立たないと、今度ははっきりとため息を吐いた。





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