「フロイド先輩、『ほんとうのさいはひ』を探しに行きましょう!」

バーンと勢いよく扉を開ければ、ベッドに寝転がっていたフロイド先輩が首だけで私の方を見て、面倒くさそうに顔を歪める。

「はぁ?さいはひって、何?」
「幸福のことです。シアワセ」

そんなこと気にせず、いそいそと私もベッドの上に座ると、なんだかんだ言いながら読みかけの雑誌を片付けてくれるフロイド先輩は、やっぱり優しいと思う。

「そんなの、探して見つかるものじゃねぇじゃん」
「だから、探しに行くんですよ!休みだからってゴロゴロしてちゃダメですよー」
「もうホント、このモードの小エビちゃんめんどくせぇー」
「いーえ、今から私はカムパネルラです!」

そして、フロイド先輩はジョバンニですと言えば、「誰ソレ」と本当に心底嫌そうなフロイド先輩が面白かった。こんなこと、他の人がやったら絞められちゃうけど、私はそんなことにはならない。だって、私たちはトクベツだ。だから私はカムパネルラがジョバンニにしたみたいに、フロイド先輩に銀河鉄道の緑の切符を渡すことにしたのだ。

「だいたいどこを探すの?」
「ふふふ、銀河です。ここに黒曜石の地図があるので」
「ただノートの切れ端じゃん」

ポケットから取り出した地図は、この島の各所をあの物語の舞台に見立てて作ったものだ。我ながら、なかなかにいい出来だと思う。

「昨日、トレイン先生の授業中に頑張って作ったんですよ」
「あーあ、小エビちゃんってば悪い子」
「人に合わせてばかりいる必要は無いって、フロイド先輩が教えてくれたんで」

誇らしげに胸を張ってみたら、思っていたよりも可笑しそうにフロイド先輩が笑ってくれたから、身体の奥のほうがじんわりと温かくなる。
そんな私の頭を軽く撫でたフロイド先輩が、気だるそうにベッドから立ち上がり、窓から外の景色を眺めに行った。

「えー、今日ぜってぇ暑いじゃん」
「まあ、夏ですからねぇ」
「はぁー、ほんと小エビちゃんヤダ……」
「でも一緒に行ってくれるフロイド先輩だーいすき」

両手を広げてそう言えば、フロイド先輩はとても不服そうな顔をしながらも、ぎゅーっと私のハグに応えてくれる。

「で、まずはどこ行くの」
「北十字とプリオシン海岸です」
「……どこにしたのソレ」
「森を抜けた浜辺。遠くに墓地が見えるから」











それから私たちは他にも、もう使われていないバス停や灯台、美術館なんかを巡って、今は教会の建つ小高い丘に来ていた。眼前に広がるのは透き通るような水平線。

「それでぇ、そのふたりはその後どーなんの」

ここに来る途中ひとつひとつの場所で、今私たちが辿っている物語の話をフロイド先輩にしていた。忘れてしまったところは省いたけれど、この先フロイド先輩がこの物語を読むことは絶対にないのだから問題は無いだろう。
そう、だからこの物語の結末だって知らないまま。

「うーん、最後だけ忘れちゃったんですよね」
「えー、中途半端で気になんだけど」

教会のステンドグラスが西日を反射して輝く。南十字。地図に書いたこの場所はサウザンクロス。ジョバンニとカムパネルラの旅の終わる場所。
あんなに青かった空は、いつの間にか茜色に染まり、海も真っ白な協会も、それから私たちも蠍の火みたいな赤色に染め上げている。

「フロイド先輩って神様を信じてますか」
「信じるわけねぇじゃん」

あけすけな物言いに思わず笑ってしまう。それから、胸の奥がぎゅっと締め付けられるように苦しくなった。

「私も信じてはないんですけど、信仰を持ってたらよかったなって最近よく思うんです。悲しいとき、何か信じるものがあったら、全部神様のせいにしちゃえばいいから」

教会の前でこんな会話をするなんて不謹慎だろうか。だけど、きっと神様は私たちの声なんて聞こえちゃいないんだろう。
届かないから、人は願うのだ。
その圧倒的で、絶対的な存在に一方的な夢を見て。信仰っていうのは決して相互的なものではなくて、祈る方の身勝手な執着だ。沈みゆく船の上で讃美歌を歌うような純粋で暴力的な祈り。
そんなものがあったら、私はこの物語を少しは救われたものとして描けただろうか。
すうっと、視線を大きな海へと向ける。

「この海は銀河に繋がってて、いつか私はここから汽車に乗るんです」
「そこ、オレも行きたい」
「ダメです。みんな追いつけないから」
「は?海でしょ」

オレが行けないとこなんてないよ、と少し拗ねたように私を引き寄せるフロイド先輩に、不意に泣いてしまいたいような心地がした。
ふたりきりの丘の上、佇む教会。もうじきに夜の闇がこの場所を呑み込んで、真っ暗な宇宙へと誘うだろう。

「あはは、そっか。カムパネルラもフロイド先輩がいたら助かるのかな」

ふわりと風が吹き付けて、丘の上のアザミの花を揺らす。ああ、そうだ、アザミだ。いつだったか、その刺々したピンクの花を見て、名前がどうしても思い出せないことがあった。そのときも隣にいたのはフロイド先輩で、なんとか思い出そうと首を捻る私を呆れたように見つめていた。
名前がなくても、綺麗なものは綺麗だと、そう言ってくれた声がよみがえって、だけどまた夏の夕暮れに溶けていく。

「でも、私はここまでの切符しか持ってないから」

大きなフロイド先輩の身体は、こうしているとすっぽりと私の身体を包み込んでしまう。見上げた視線の先には、色の白い、だけど丈夫そうな喉仏があって、このまま噛み付いてみたら、どんな顔をするだろうと思った。
そんな私の物騒な考えなんか知らずに、フロイド先輩の色の違う瞳は私の顔を覗き込む。

「小エビちゃんのシアワセは俺といることでしょ」

そう、『ほんとうのさいはひ』は探さなくたって、ここにあるのだ。だけど、それは本物なだけであって永遠ではない。
どこか遠くで汽車が線路を走る音がする。
私はもうずっと、あのアルコールランプで走る汽車に乗っていたのかもしれない。そうしてここは、停留所のひとつ。
だから、あの汽車がいつか私を迎えにやってくる。

「だから、ずっと一緒に生きようね」

その言葉に、いよいよ我慢できずに泣きじゃくる私は、自分がカムパネルラなのかジョバンニなのか分からなくなる。
ずっと一緒にいようといったジョバンニの言葉と共に消えたカムパネルラもまた、同じように涙を流したのだろうか。
だけど、そんな結末を知らないフロイド先輩は、突然泣き出した私を見て、ひどく驚いている。

悲しい結末はすべて私が持っていくから。
せめて、ふたりぼっちの真似をしよう。
このままずっと遠くへ、
『ほんとうのさいはひ』を探しに行こう。











追いつけないあなたを置いて、私はアルコールランプの汽車に乗る


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