2020 ジェイド誕





窓を開けるとひんやりと冷たい夜風が流れ込んで来る。お風呂上がりの火照った身体から奪われていく熱が心地いい。
もう秋も終わりに近づき、冬の気配を感じる夜。空には星がまばらにちりばめられ、満月でも三日月でもない不格好な月がぼんやりと浮かんでいる。

「そんなことしていると湯冷めしてしまいますよ」
「……はーい」

ちらりと振り返ってジェイド先輩を見つめてから、しぶしぶ窓を閉める。ついさっきお風呂に向かっていったばかりだと思っていたのに、いつの間にかもう戻ってきてしまっていたらしい。

窓際から離れてソファに向かいながら、壁に貼られたカレンダーを横目に見る。大きな赤い丸印がされた今日はジェイド先輩の誕生日だ。まあ、それはつまりフロイド先輩の誕生日でもあるわけで、今日の夕ご飯はモストロ・ラウンジで豪勢に頂いてきた。
ジェイド先輩とフロイド先輩の好きな物がたくさん並べられた食卓も、ふたりの昔話なんか聞かせてもらった何気ない時間も、とてもとても楽しかった。

そして、夜くらいは誕生日の恋人を独り占めしたいとジェイド先輩にはオンボロ寮に泊まってもらっている。まあ、別にやましい予定もないのでグリムもいてくれて良かったんだけど、夕ご飯のあとお腹がいっぱいになったのか寝てしまったので、そのままオクタヴィネル寮に泊めてくれるというアズール先輩のご好意に甘えてきた。

「なにか温かいものでも飲みますか。淹れてきますよ」
「あ、この前もらった菩提樹のハーブティーがありますよ……って誕生日の先輩にお願いしてちゃダメですよね」
「いえ、僕はあなたとこうして過ごせるだけで幸せなので、どうぞそのまま座っていてください」

そう言い残してキッチンに向かって行ってしまった先輩を見送りながら、さらに深くソファに沈む。
グリムもゴーストたちもいないこの部屋はこんなにも静かなのか。それに、別に初めてのお泊りというわけでもないのに、ジェイド先輩がオンボロ寮にいるというのはいつまで経っても慣れない。

今日が誕生日という特別感も、この落ち着かなさを助長させている気もする。次にこうして過ごす頃には、この時間にも慣れているんだろうか。
──次なんて、あるんだろうか。
段々と重くなってきた瞼を閉じると、浅い眠気が忍び寄って来る。このまま眠ってしまったってジェイド先輩は何も言わず、私をベッドまで運んでくれるだろう。その優しさに甘えてしまいたいと思いながら、このまま寝てしまうのは勿体ない気もする。ゆらゆらと両方を天秤にかけて、閉じていた瞼をゆっくりと開くことを決める。

「おや、もう眠いですか?」
「……少しだけ。でも、まだジェイド先輩とお話していたい気持ちが勝ちました」
「それは光栄ですね」

ちょうど戻ってきたジェイド先輩が手に持っていたマグカップのひとつを私に手渡し、自分もソファに腰掛けた。ほのかに優しい香りのする琥珀色の液体が、マグカップの中で静かに揺れる。息を吹きかけて少し冷ましてから口をつければ、癖のない優しい味が広がる。
ちらりと隣のジェイド先輩を盗み見れば、同じようにそれを飲んでいて、それだけでなんだかとても嬉ししいと思ってしまう。

「お誕生日、おめでとうございます」
「……そう何度も言われると少し照れますね」

ふたりになってからはまだ言っていなかったなと思って口にしてみれば、一瞬驚いたように目を大きく開いたジェイド先輩が困ったようにはにかむ。この表情はきっとレアだ。いつも余裕たっぷりな笑みを浮かべているのに、時々こういう無防備な表情を見せてくれるとき、私は許されているんだなと思ってしまう。

「誕生日なので、私のことを甘やかしてもいいですよ」
「普通は逆では?」
「だって、甘える私のこと好きでしょう?」

試すように勝ち気に微笑んでみれば、ジェイド先輩の瞳が少しだけ意地悪く細められ、押し付けるようなキスが降ってくる。その唇から伝わるほのかな菩提樹の味を同じようにジェイド先輩も感じているのだろうか。

菩提樹の木も花も見たことがないと言う私を、学園内にあるからとジェイド先輩が連れていってくれたことがある。空の青さが濃度を増して、白い入道雲も見かけるようになった夏を予感させる季節。見上げた菩提樹の青々と茂る葉の迫力と、その葉に隠れるように垂れ下がった淡い黄色の花の甘い香り。

「私、ジェイド先輩の好きな物をたくさん知りました」
「例えば?」
「キノコ、テラリウム、山……フロイド先輩とアズール先輩」

思いつくものを順番に羅列していこうとしているのに、邪魔するように言葉の合間にキスをしてくるジェイド先輩のせいで、言葉を覚えたての子供のような拙い声になってしまう。それに抗議するように軽く睨んで見たけれど、微笑み返されただけで続きを促される。

「……それから、私」

最後に付け足した「私」に満足したのか、噛み付くようなキスを最後に解放された。
まだ唇に残るジェイド先輩のぬくもりごと飲み込むように、少し冷めてしまったハーブティーを流し込む。

「それに、思い出もたくさんあって、今の私はそんなたくさんのジェイド先輩の欠片で構成されているんです」
「……今日のことも?」
「そうです。来年の約束はできないけど、次がなくたって私は毎年この日になるとジェイド先輩のことを思い出して幸せになれる」

確信するように力強く微笑んでジェイド先輩を見上げれば、その蜂蜜色の瞳に映った私の姿が少しだけ揺れる。いつかくる終わりの話を私たちはよく口にする。次の約束をする代わりに、次が来なくても大丈夫なように誓いをたてる。

「ジェイド先輩と過ごした時間は、それだけで私を世界で一番に幸せな女の子にしてくれる」

どちらからともなく手に持っていたマグカップをテーブルに置く。マグカップの中にまだ半分ほど残った液体は、ゆらりゆらりと私の声の残響を飲み込んでしまう。
ジェイド先輩の頬に触れようと伸ばした手のひらに軽くキスをされる。それがどうにもこそばゆくて、肩を竦めるように笑ってしまえば、ジェイド先輩も少し声を零して笑う。

「本当に誕生日おめでとうございます。私を幸せにしてくれて、ありがとうございます」

ぐいっと肩を抱かれ、さっきまでとは違う深いキスに身を任せる。窓の向こうであの不格好な月は今どこにあるのだろう。あの大きな菩提樹はまだその葉を残しているだろうか。
閉じた瞼の裏側で繰り返す思い出とジェイド先輩への想い。いつか来る終わりのことは分かっているけれど、それでもどうか、少しでも長くジェイド先輩と過ごせますように。ひとつでも多く何か残していけますように。






真夜中のリンデンは飲み干した


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