瞼を開けると女中部屋の天井がまず目に入った。久しぶりに深い眠りにつけたからか、いつになく身体が軽く、目覚めのよい朝だった。
昨夜は確か一人で海まで出向いたはずであったのに、いつの間にここまで戻ってきたのだろう。随分と都合の良い夢を見ていたから、あの場で地面に倒れ伏してしまっていたとばかり思っていたのに。

そんなことを思い返しながら首を捻っていると、女中の一人が恐る恐る私に近づき、昨晩はついにフーズ・フー様に抱かれたのかと問うてきた。何故そんな突拍子もないことを聞かれたのか分からず驚いて目を見開くと、女中仲間はじっと私の瞳を見つめた。

「昨晩遅くにナマエを抱き抱えたフーズ・フー様がいらして、アンタを寝かして何も言わずに出て行ったのよ」
「……嘘」
「嘘なわけあるかい。私たちみんな吃驚して、だけどナマエはピクリともせずに寝こけているし、だから余程手酷く抱かれたんだなって……」

そこまで口にしたところで彼女はわずかに頬を赤く染め、目を伏せた。あらぬ誤解をされていると分かりながらも、昨晩の出来事がすべて嘘でなかったことに気付かされて言葉が出ない。
荒れ狂う海と凍てつく風、そして私を抱き上げたフーズ・フー様。夢ではないと分かった途端に、はっきりとそのすべてが蘇ってくる。どうして、私はあんなことを言ってしまったのだろう。そして、どうして彼はそんな私の願いに応えたのだろう。

「アンタたち、いい加減に支度をなさい!」

どんなに混乱を尽くしていたところで、女中の朝は慌ただしく、膝を突合わせたまま支度に取り掛からない私たちを叱咤する年長の女中の声で我に返る。思考の整理をする時間も、目の前の女中仲間の誤解を解く暇も与えられないまま、着物を着替え、髪を結いに向かうしかなかった。

そうして朝餉の席でフーズ・フー様も見かけた折、なんと言ったものか気を揉んでいたけれど、その場で彼から声をかけられることはなく、視線すらも交わらなかった。
それどころか、その日以来フーズ・フー様が私に何か施しを与えることもなければ、呼び止められることさえなくなった。近くを通っても彼は私がいないもののように振舞っていたし、それは彼に与えられた簪を挿している日も変わらなかった。

そんな私を見て、周りの女中たちはあの夜、情交に耐えきれなかったせいで見限られたのだと噂していた。だけどそれを正したところで、ならば何があったのかと問い返されれば私自身も分からぬと答えるしかなくなる。だから、何も言わぬまま好奇の目に耐えているうちに、また女中仲間たちから少しずつ声をかけられるようになった。

今ではもうフーズ・フー様からの施しを受けるようになる前と何ら変わらぬ日々を過ごしている。変わったところがあるとすれば、彼から与えられた物を詰めた小箱が所在なさげに部屋の隅に置かれていることくらいだ。

ずっと、こうなることを望んでいたはずだった。彼が私に飽きてさえくれれば、もう何も怖がる必要はないのだと思っていたのに、いざ与えられた日常はあまりにも味気なく、ぽかりと心に穴が空いたようだった。

一度だけ、私に視線もやらぬまま通り過ぎて行ったフーズ・フー様の後ろ姿を眺めていた時、女中のひとりが「まるで恋する町娘ね」と小声で笑った。そこにはわずかに嘲りの色が滲んでいたけれど、それ以上に「恋」の言葉が重く心にのしかかった。
そうか、私はもうとっくに戻れないところにまで行ってしまっていたのだ。恐れていた深みに嵌ってしまっているのだ。だからこんなにも、心が焦がれて仕様がない。

だけど今さら気づいたところで、否、たとえいつ気づいたとしても、どうすることも出来はしなかっただろう。あの人はもうとっくに私への興味を尽かしているし、未だに構われていたとしても、それは猫や何かを可愛がる戯れでしかなかったのだから。
あの日、無礼を働いた私をそのまま捨て去らずに部屋まで連れてきてくれたのは、ほんの少しでも目をかけた生き物に対する、せめてもの情けであったのだろう。あのまま放り捨ててくれていたほうが、些か楽になれたかもしれないのに。

そんなことを考えながら庭の掃き掃除をしていると、向こうからフーズ・フー様が歩いてくるのが見えた。慌てて顔を俯き、瞼を閉じたままぎゅっと唇を噛み締める。己の気持ちに気づいてしまった以上、私のことなど見えぬかのように過ぎ去っていかれるのは耐え難い責め苦となっている。

彼が過ぎていくのをじっと待っていたつもりが、ザリっと砂を踏み締める音が耳に届いて以降その気配が読めなくなっていた。不思議に思いながら瞳を開け、そして息を飲んだ。
視界に映ったのは焦がれた唐紅の洋袴の裾で、それを辿るように見上げていけば、幾星霜ぶりに見た気のする顔が退屈そうに私を見下ろしていた。

「行くぞ」
「……え?」

本当に私に向けられた言葉であるのか分からず、戸惑いを声に滲ませれば、苛立たしげに舌を打ったフーズ・フー様が私の身体を容易く抱き上げた。慌てて手放した箒が庭に落ち、カランと音を立てる。そんなことなど気にも止めずに歩き出したフーズ・フー様の腕に抱えられたまま屋敷を過ぎれば、私を見かけた女中たちは皆その瞳に驚きを浮かべて立ち止まっていた。また遠巻きに扱われるようになるだろうかとわずかに憂いながらも、それよりもずっと、また彼の瞳に映ることのできた喜びの方が勝っていた。










そうしてフーズ・フー様に連れてこられたのは、彼の所有する船のうちの一隻であった。船に乗せられてすぐ降ろされた部屋で一人取り残されたことに怯えていると、しばらくして彼の部下の女性たちが現れ、私が言葉を発するより早く着物を剥ぎ取られた。驚いて目を剥く私など気にもとめずに、今度は見慣れない衣装に袖を通せと命じられた。

訳も分からぬまま、かといって裸でいるわけにもいかないので戦々恐々としながらそれを纏う。薄く青い生地が幾層にも重なり合った裾がふわりと広がった。これがフーズ・フー様より与えられた外海の物語で読んだドレスという洋装なのだろうか。そして今度は鏡面の前に座らされ、髪がほどかれ、顔には化粧が施されていく。

「あの、これは……?」
「すぐに分かるわ。珍しく真剣に本なんて読んじゃって、面白かったんだから」

化粧のさなかに問いかけた私の言葉は曖昧にはぐらかされ、この状況について問いかけることは諦めてされるがままとなっていた。そうしてすっかり女中らしからぬ出で立ちとなると、部屋を出るようにと言い渡された。

荒れ狂う海を想像して恐る恐る甲板へ向かう私に「この辺りは波が緩やかだから気楽に歩いて大丈夫よ」と隣を歩く彼女は笑った。
そうして甲板に立ってみれば確かに波の音は静かで、船が揺れることもあまりなかった。この船に乗ったときは傾いていた夕日はすっかり姿を隠し、空には夜の帳が降りている。

フーズ・フー様が待っているという言葉を信じて彼を探すと、舳先の方を見つめたまま立つ後ろ姿を見つけることが出来た。

「……フーズ・フー様」

闇に溶けてしまいそうなか細い声で彼の名を呼ぶ。着慣れないドレスは風で捲れあがってしまいそうで心もとない。ぎゅっと裾を押さえつけていると、振り返ったフーズ・フー様がフッと口元を緩めた。それがまるで笑顔のように見えて大きく心臓が脈を打った。

「これは一体、どういことなのでしょう?」
「黙って空見上げとけ」

何故と問い返すことも出来ぬような声音でそう言われては、黙って言われた通りにする他ない。
見上げた空は薄墨を零したような闇色で、月もなければ流れゆく雲すら見当たらなかった。こんな変哲もない空に何があるのだろうと思っていると、一筋の光が線となって落ちていった。

「……あっ!」

思わず声が漏れる。そして、そのまま堰を切ったように夜空を流れる星々はひとつ、またひとつと数を増やしていった。突然現れた流星の群れは、ひとつの星が残した永続痕の余韻に浸る間もなく次から次へと落下していく。大気の汚れたワノ国ではひとつ見つけるのもやっとな星が、今ここには数え切れぬほどに迫ってきていた。

息を吐くのも忘れるほど目の前の光景に見とれていると、隣で今度こそ確かにフーズ・フー様の笑った気配がした。

「次に見えるのは数百年後だとよ」

昂揚する胸を抑えながらフーズ・フー様に視線を向けると、彼もまた今もまだ流れ落ち続ける星々を見上げていた。まるで無数の流星を背負うかのようなその姿が美しく、声も出せぬまま息を飲んだ。

「この世界のほとんどのヤツらはもう二度と見ることが出来ねェ景色で、あの国のヤツらにいたっては知ることさえも出来なかった空だ」

彼の視線がゆっくりと私に向けられた。浅く呼吸を繰り返しながら、じっとその瞳を見つめ返す。

「本当は仏の御石の鉢だの何だのをくれてやるつもりだったんだがな」

その言葉に思わず目を見張った私を見て、フーズ・フー様が揶揄うように口の端を吊り上げた。彼に少しだけ反旗を翻すつもりで御伽草子の姫君の真似事をして、結局は不釣り合いな身の上を比べて自分自身の傷を抉ることしか出来なかったあの日のことがありありと思い起こされた。

「あれは、御伽草子の話であって現実には……」
「本当にないと思うか? あの国にはなくとも、海の外はには信じられないものが実在する世界だぞ」
「……あるんですか?」
「さァな、探すだけの価値はあんだろ」

何気なく放たれたその言葉に、それを私が欲しがったからという意味が仄めかされているような気がしてしまって、自分の思い上がりの恥知らずさに強く手のひらを握りしめた。そんな私の葛藤を知ってか知らずかフーズ・フー様は薄く笑い、指の腹で撫でるように私の頬に触れた。

「だが、結局は月に帰っちまうような女の真似事をするのも面白くねェ」

それだけ言うとフーズ・フー様は視線を私の後ろへと遣った。その視線を追うと、甲板の橋に一脚の椅子が用意されていたことに気づく。

「そこに座って足だせ」

言われるがままに椅子まで向かい腰を下ろすと、後をついてきていたフーズ・フー様が足元に膝をつくものだから慌てて制しようとする。しかしそれよりも早く「動くな」と短く命じられて、つんのめるように椅子の上で動きを止めた。
私の足元にしゃがみ込んだままフーズ・フー様が白い箱をひとつ引き寄せた。蝶蝶結びにされていた真っ赤な飾り紐が解かれ蓋が開けると、そこにあったのは洋装用の靴であった。草履とは違い踵が高い靴。フーズ・フー様の部下の女性たちがそれをヒールと呼んでいるのを聞いたことがあった。だけど、これは普段見かけるその靴とはまるで違う。

「……硝子みたい」
「そりゃあ、本物の硝子だからな」

思わず口から零れた呟きに、フーズ・フー様は肩を竦めて笑った。彼がその硝子の靴を箱から取り出すと、空から降り注ぐ流星の星影を受けてキラキラと輝いて見えた。
その輝きに目を奪われていると、フーズ・フー様の手が伸びて私の足に触れる。彼の手の感触に身体が強ばってしまいながらも、抵抗はせずに足を差し出す。椅子に座らされ、目の前で彼が跪き、そして靴まで見せられれば、流石にこの状況の意図を察することくらいは出来る。

彼の手によって抜き取られた今まで履いていた靴の代わりに、眩いほどの輝きを放つ硝子細工の靴が宛てがわれる。それは驚くほどぴたりと嵌った。同じ動作がもう片方の足にも行われる。

「立てるか?」

立ち上がり私を見下ろすフーズ・フー様に問われ、こくりと頷く。しかし、いざ立ち上がろうとしてみると、どこに重心をかけたらいいのか分からず、上手く腰が持ち上がらない。
早く立ち上がらなければと四苦八苦していると、いい加減見かけなたのかフーズ・フー様の手が差し出された。一瞬、その手の意味することが分からず呆けてしまってからハッと我に返り、そこに自分の手を添える。

「……ありがとうございます」

彼の手を掴みながら立ち上がる。立ってさえみれば、この履きなれぬ靴もそう難しくなく、このまま歩くことも出来そうだった。だから、もう手を添えてもらう必要はないのだけれど、フーズ・フー様は手を放そうとはせず、じっと私を見下ろしている。

その視線に耐えきれず目を伏せれば、ドレスの裾が風になびき揺れているのが見えた。まるで魔法のようだ。こうしていれば、私を炊事や掃除に明け暮れる下女中だと思う人はいないだろう。
だけど、どんなに着飾ったところで出自や身分を変えることは出来ない。月の天女の真似事をしたときと同じで、どう足掻こうとここにいるのは他でもない私自身で、比べれば比べるほどに惨めになる一方だ。

「こっちには下働きの女が、その靴で姫にまでなる話があんだよ」

爆ぜるように顔を上げる。声を出そうとした唇は震えただけで言葉にならず、ほんの少しの間が空いてしまった。

「下働きの、女が……?」
「あァ、読みたきゃあとでくれてやる」

フーズ・フー様が私から目を逸らそうとしたその一瞬、強く彼の手を握りしめる。驚いたのかピクリとその指が動いた。

「……今、聞かせていただきたいです」

出過ぎた真似をしているのは分かっている。それでも、その物語が知りたかった。あとで羨望に焦がれながら頁を捲るのではなく、ほんのひと時の変容を遂げている今、わずかな夢でも見てみたかった。

しばらく私の瞳を見つめていたフーズ・フー様は深く溜め息を吐き出してから、握りしめていた私の手を解いた。遠ざかっていく体温を名残惜しく思っていると、不意に腰に手を添えられる。驚いている私をよそに、彼は風上に移動し自分の方に私の身体を引き寄せた。彼の大きな体躯に遮られ、少しだけ吹き付けていた冷たい風が止んだ。

「いいか、おとぎ話の語り聞かせなんて柄じゃねェんだ。下手でも文句言うんじゃねェぞ」

こくりと頷けば、彼は私から目を逸らし、流星が落下を続ける空へと顔を上げた。星々の光に混じって降り注ぐ彼の声。それは遠い異国の物語だった。
継母や義姉に虐められた少女が、一夜の魔法をかけられる。時折、分からない言葉があったものの、大まかな流れを掴むには問題はなかったので、黙って彼の声に耳を澄ませ続けた。
そして物語は、少女を探し続けた王子と、もう魔法を持たない少女が再会を果たした幸福な終結を迎える。

「……素敵なお話ですね。まるで夢、魔法。そんな奇跡があればどんなに幸せなことでしょう」
「そうだな、そんな靴ひとつで好いた女を自分のもんに出来るんだからな」

どこか投げやりな気のするフーズ・フー様の言葉に違和感を覚え顔を上げると、どこか不貞腐れているようにも見える表情で彼は私を見ていた。

「こっちはどんなに貢いだところで、最後にゃ海に帰るだなんて言い出しやがるってのに」

月ではなく、海。
天女の物語をなぞらえているとばかり思っていたフーズ・フー様の言葉が何を意味しようとするのか。その言葉の端に、彼の腕に抱かれながら海に身を投げると呟いた日のことを思い出しそうになる。違う、それじゃあまるで猫や玩具ではなく私自身を求められているように錯覚してしまう。
とんだ思い上がりを打ち消したいのに、私を見つめて離さないその瞳がそれを許してくれない。

「なあ、どうしたらお前はおれのもんになる」

お手上げだとでも言いたげなその声色。心臓がうるさいくらいに脈を打っているのに、辺りに響くのは波の音だけであまりに静かだ。

「……フーズ・フー様が望みさえすれば」
「だけどその瞬間にお前は海に身を投げるんだろ? 和歌も要らなきゃ、不死の薬なんぞ欲しくもねェ。なァ、あとは何をくれてやればお前はおれのもんになるんだ」

甲板の板目に、消えては灯る星明かりが明滅を繰り返す。それをぼんやりと見つめながら、長らく心の奥底に降り積もっていた夢の欠片が、待ちわびた雪解けを迎えたかのように溶けていく。

「……ずっと、フーズ・フー様に捨てられるのが怖かったのです」

ほんの一瞬だけ、仮面の向こうのフーズ・フー様の瞳が見開いたのを見てとることが出来た気がした。彼は何も言わずに、掠れて震える私の言葉を待ってくれている。

「貴方を好きになって、貴方のものになって、だけどいつか貴方に捨て置かれた日、一人では生きていけなくなることが怖かった。一人ぼっちの夢を見る度に、こんな孤独を味わうくらいなら、貴方の手のひらに落ちる瞬間に死ねた方がどんなに幸せだろうって……」

怖かったのは、女中たちが遠ざかっていくことでも、塞がった両手が多くのものを取り落とすことでもなかった。彼に与えられたもので溢れ返ったその先に、彼がいないことだけをずっと怯えていた。
堪えきれなくなった涙がついに頬を伝って、零れ落ちていく。

「それでも望んでいいのなら、貴方がずっと私のそばに居てくれる約束が欲しい」

そこまでやっと口にして、あとは必死に嗚咽を押し殺す。フッと鼻にかかるような笑い声が聞こえたと思うと、フーズ・フー様の大きな指が涙で濡れる頬を拭った。

「そんなものでよけりゃあ、いくらだってくれてやる」
「……絶対に、絶対にですよ」
「あァ、ただし行き先は地獄までだぞ」
「そんなこと構いません。あの夢の地の方がよほど地獄にございました。だから絶対に置いていかないで」

泣きながら約束を繰り返して、まるで幼子に戻ったような私をフーズ・フー様は呵々と笑う。

「そんなに信用ならなきゃ小指くらい持ってくか?」
「い、いらないですよ!」

冗談だと分かりながらも、フーズ・フー様が言うとあまりに物騒なものだから驚いて涙も止まってしまった。それを見計らったように彼の腕が私の身体に回され、ぐいと抱き上げられる。

景色が変わり、空が間近に迫る。手を伸ばせば流れゆく星のひとつくらいなら掴めそうな気がした。だけど、今さら星など欲しくもない。手を伸ばす代わりに、この瞬間を刻み込むように瞳を瞬かせれば、目尻に溜まっていた涙が一粒だけ流れ落ちていった。

まだ終わりの見えない星空を見上げながら、つま先から頭の先まで彼によって誂られたものに身を包み、彼の腕に抱かれる。なんて趣深く、情緒的だろうと思ったところで、なんとなくこの状況を表すにしてはそれでは不十分なような気がした。たぶん、もっと相応しい言葉を私は知っていたはずなのだ。

「急に顔を顰めてどうした?」
「……前に頂いた本の中で、こういうときにぴったりの外海の言葉があった気がするんですけど、思い出せないんです」

わかりますか?と首を傾げれば、フーズ・フー様はぴくりと口の端を引き攣らせた。

「……分かった気はするが、忘れとけ」

それだけ言うと彼は私を自分の胸に押し付け、ふいと顔を背けてしまった。仕方がないので私もまた空を見上げる。
今宵、ひっそりと交わされた私たちの約束。それを数百という星霜の後に、再びこの空へ巡ってくるという星々の大群だけが知っている。ああ、そうだ。こういうのがロマンチックというのだった。




星屑の大海原


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