「大切なものを隠すなら、やっぱり森の中がいいの?」
「……森?」

ふかふかの真っ赤なソファに腰掛けて、使用人のおじさんが持ってきてくれたチョコレートのタルトを口に含む。隣で新聞を読んでいたサーの前には紅茶しか置いてなくて、可哀想だから私のを一口あげようとしたら、すごく嫌そうな顔をされた。

「木を隠すなら、森の中って言うんでしょ? 森には木がいっぱいあるから、隠すのにぴったりのものがあるってことかなって」

仕方がないからサーのために掬った分も、ぱくり、と自分の口に入れる。そんな私を見たサーは大きな溜め息を吐き出して、頭が痛いときにするみたいに眉間のあたりを指で押さえた。
新聞なんて細かな字がいっぱい並んでいるものを読んでいるせいで、もしかしたら本当に頭が痛くなってしまったのかもしれない。心配になってその顔を覗き込む。

「サー、どうかしたの?」
「……いや、いい。それで、何か隠したいものでもあるのか、お嬢さん」

一瞬、何か言いたげに口の端がぴくりと動いた。だけど結局、サーはわずかに首を振っただけで、読んでいた新聞を畳んでテーブルに置いた。それが私の話を聞こうとしてくれてることだって伝わって嬉しくなる。

「そう、あるの。私のとっても大切なものをね、なくさないように隠しておこうと思って」
「そんな大切なものがお前にあったとは知らなかった」
「サーには秘密にしてたからね、知らなくて当然よ」
「そんな秘密の話をしちまってよかったのか?」

サーの鉤爪のある方じゃない手が私の頬に伸びてきて、その指先が唇の端を掠めた。チョコレートのクリームが付いていたらしい。もう一度だけ「食べる?」と聞いてみたけど、やっぱり「いらねェ」と言われた。

「何を隠すのかはこのまま秘密だけど、隠すのにぴったりの場所はサーに聞くのがいいと思ったの」
「そうか」
「そうなの」

それだけ言ってサーは紅茶のカップを手に取った。私もまたタルトの続きを食べ始める。
こうして隣に座ることを許されながら、サーと私は恋人ではない。私はサーを愛していても、サーは私のことを愛していないから。

──ゆきずりの女。

サーに言われたのか、他の誰かに呼ばれたのかは忘れてしまったけど、私はとにかくサーにとってのゆきずりの女だった。
その退廃的な響きが気に入って、私も自己紹介のたびにそうやって口にしていたけど、サーがあまりいい顔をしないし、いい加減に飽きてきたのでもうしばらく使っていない。それくらい、私はサーと一緒にいる。

最初に出会った街から、サーは拠点を移すたびに私を連れていった。ここでもう六つ目の街になる。一度、「ゆきずり」の意味を調べてみたことがあるけど、すれ違ったとか、ちょっとしたと書いてあって、それにしては少し一緒にいすぎているかもしれないと思った。
再び新聞を読み始めたサーを見上げる。

「ねぇ、サーは私のことを愛してないんでしょう?」
「あァ、そうだ」
「私はサーを愛してるよ」
「そうか、よかったな」
「うん、とても幸せ」

私がサーの近くをウロウロしていることを不思議そうに見る人がたまにいる。サーの周りにいる女の人が、みんな綺麗で頭がいい人ばかりのせいだ。私は確かにその人たちに比べると、少しだけ出来が悪い。よくサーを困らせてることも分かってる。
そうやって見てくるだけならいいのだけど、時々それを言葉にして投げつけてくる人がいる。そういうとき、サーはその人を殺してしまう。

サーは人を殺す。そういう場面をもうたくさん見てきた。その中には、私のせいで死んだ人たちもいる。私を悪く言った女たち、私を娼婦だと思って手を出そうとした男たち。みんな首が飛んだり、ミイラになったりして死んだ。

私が手にかけたわけではない。だけど、間接的に関わってしまった生き物の死に対する罪悪感を上手く飲み込めないでいる。







▼ ▼ ▼









その日の夜、今滞在している屋敷の裏の森へと出た。真上にのぼった月の明かりがうっすらと夜を照らしている。ランタンを片手に歩き回って、隠し物をするのにちょうどよさそうな洞の空いた木を見つけた。
持ってきた小箱を隠す前に、一度あけて中身を確認する。そのとき、さあ、と風の通り過ぎる音がした。そして、突然現れた人影。

「──それが隠したかったものか」
「……サー!ついてきてたの?」

驚いた衝撃で大切な箱を落としてしまいそうになって、慌ててぎゅっと抱きしめる。少し不機嫌そうなサーは私の質問に答える気なんてないのだろう。

「秘密を持ちてェなんて偉くなったもんだ。それで、それは?」

見つかってしまったからには仕方がないので、素直に箱の中身をサーに見せる。

「これは最初にサーの殺した女の付けてたピアス、こっちはこの前まで住んでいた街でサーの殺した男のカフス釦」

そうやって指輪やネックレス、バングルと箱の中身を紹介していく。私以外の人にとってはガラクタでしかないそれを見て、サーは怪訝そうに眉をひそめた。

「……なんでそんなもんを」
「愛みたいだな、って思ったから」

少しだけ黙って私を見ていたサーは「分かるように説明しろ」と言った。普段からよくサーに言われるセリフだ。だからなるべく、たくさんの言葉で私の気持ちを説明できるように頭を働かせる。

「この人たちはみんな、私のせいでサーに殺されたの。私がいなければ死ななくてよかった可哀想な人たち。それから、サーも殺さなくて済んだでしょう? だけど、私のために殺さなくてよかった生き物を殺すのは、なんだかすごく、愛みたいだなって」

木々の間を大きな鳥が飛び去っていって、大きな音を立てた。フクロウかな、と思って気が散りそうになったけど、サーがじっと私を見てるからそのまま話すことを続ける。

「私はサーが好きだから、サーがくれた愛みたいなものを手元に残しておきたかったの」

サーが死んでしまった人たちを残して立ち去ろうとするとき、こっそりとその死体から盗んできたもの。ずっとそうやって生きてきたから、こういうことは得意だった。それをサーがくれたお菓子の箱に入れてここまで持ってきた。

「……愛みてェなもんか」

サーの指が箱の中からシルバーの指輪を掴んだ。そして、それはそのまま砂に変わる。「あっ」と叫んだけど、サーはお構いなしにすべてを砂にしてしまった。箱の中に溜まった砂が、風に舞い散って夜の闇に混じっていく。

「こんなものより余程、愛してねェということがそれだろう」
「……どういうこと?」

悲しいのを我慢しながら問いかけたら、サーはじっと私の瞳を見つめた。

「お前が、おれの手元を離れたとき、それは解放ということになる」
「かい、ほう?」
「そうだ、ただ一時海賊に捕まってた不憫な女が解放された。そういうことになるんだ」

解放、と意味は知っている言葉を心の中で繰り返した。解き放つ。自由にする。そのためにサーは私を愛さない。それが何よりの愛みたいなもの。

「ねぇ、サー」
「なんだ」

その瞳をじっと見つめながらサーの名前を呼ぶ。応えてくれた声がいつもより少しだけ柔らかいような気がした。

「難しくてよく分からなかった。どうして、それが愛みたいなものになるの?」

首を傾げると、サーは一瞬だけ珍しく驚いた顔をして、それから苛立ったように舌を打った。

「……そういうところを許しているのも、お前だけだ」

帰るぞ、と短く言って、サーが私を抱き上げた。
サーの言葉は時々、私には難しい。最後に言われた意味もよく分からなかったけど、 私だけ、というのは確かに愛みたいな気がして嬉しかった。だってそれはつまり、私の存在自体が愛みたいなものってことだ。

だから、もしも、その解放の日が来たら、私は私を森に埋めることにしよう。サーがくれた愛みたいな私を、誰にも奪われないように。









そして、いつか森になる


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