「ページワン様!」

タッタッタッ、と軽快に靴音を響かせながら廊下を走る。少し先を歩いていた愛しの上司は私を見るなり面倒くさそうに顔をしかめた。

「ちょっと!そんな嫌そうな顔しないでくださいよー!」
「してねェって」
「え、じゃあ無意識ですか?むしろそっちの方が傷つくのでやめてください」

マントを鷲掴んでグイグイと揺らせば、やめろと怒りながら引っペがされる。その際にページワン様の腕がさっき医務室で治療したばかりの傷口に当たって、思わず小さく呻き声を上げてしまう。それを見て驚いたように手が離された。

「あ、悪ィ。そういや怪我したんだってな、大丈夫か?」
「大したことないですよ。ちょっと傷が深かったんで肩は縫いましたけど、お腹は出血が多かっただけで傷自体は全然」

肩口に巻かれた包帯と、服の裾をめくってお腹に貼られたガーゼを見せる。おい、と顔を赤らめたページワン様だったけど、大袈裟なくらいに手当されたそこを見てすぐに労わるように眉根が寄せられた。

「あんま油断すんなよ」
「……すみません」

心配と呆れが混じりあったような声音でそう呟かれ、胸の奥が鈍く痛み、錘が沈むように重く苦しくなる。それを隠すように、へらり、と笑うのが精一杯で、口にした言葉は少しだけ掠れた。

「まったくよ、あれくらいの敵で怪我なんて、いつからお前はそんなに弱くなったかと思っただろ」

そんな私の心のうちなど知るはずもないページワン様は、今度こそ心底呆れてますとでもいうように、大きな溜め息を吐いて肩を竦めた。
いつもだったら「心配してくれてるんですか?大好きです!」なんて軽口を叩いているところだけど、今は心が急激に温度をなくしていくばかりで、そんな余裕はない。

思い出すのは先の戦闘。ついていけない戦いのスピードと押し負ける力の差。そして振り向いた先に見えた切っ先の鋭さ。込み上げる焦りと不安、絶望。切られたはずの傷口よりもずっと、敵には見えないはずの心の方が痛かった。

「……ナマエ?」

俯いたまま反応のない私を不審がるようにページワン様の手が怪我をしたのとは反対の肩に触れた。そのとき、堪えきれなくなって身体が無意識に動く。ぱしん、とその手を叩き落とせば、目の前にあった瞳が見開かれた。

「グレてやる!」
「はァ?」
「もうグレてやります!ページワン様なんて知りません!嫌いです!」

放心して固まるページワン様も置いて、くるっと踵を返して来た道とは反対方向に廊下を歩く。じゅくじゅくと膿んだように痛む心臓のあたりを掴んでも、その痛みはまるで収まりそうにはなかった。








□■□■









「おい、急に来て服を貸せって言ったかと思ったら、今度は何、他人んとこで不貞腐れてんだよ」
「傷心中なんです放っておいてください」

おなかも太腿も丸見えだし、胸元もガッツリ開いたこれはただの下着なのでは?としか思えない服を着て、部屋の隅で小さく体操座りをする。ページワン様のもとから離れたその足で向かったフーズ・フー様のところで、とりあえず形からグレてやるを体現しておいた。
とはいっても、この海賊団の女性は大抵こんな露出度高めの服装なのでグレたと言えるのかは分からないけれど。でも普段の私といえば、品行方正、お淑やかを目指してちゃんと服を着ているので、それに比べれば立派な不良だ。

「わざわざそんな格好になりにきやがって、なんだ誘ってんのか?悪ィがガキに興味はねェぞ」
「私だっておじさんに興味はないです」
「あ?」

ソファに座ったまま長い足を投げ出していたフーズ・フー様が凄みながら私のもとまでやってくる。追い出そうとしたってそうはいかないと心に決めて、断固として居座る構えで膝を抱えて座り直した。

「お前な、かまって欲しいなら愛しの愛しのぺーたんのとこに行けよ」
「行きません。私はフーズ・フー様の部下になることにしました」
「いらねェよ。なんだついにぺーたんにフラれたか?」

長い足で面倒くさそうに軽く小突いてくるフーズ・フー様を睨み、それから力なく顔を伏せる。
別にページワン様と私は、別れるとか別れないとかの関係ではないのだ。いつだって私の片想いで、精一杯の好意は送ってきたつもりだけど、それに対して何が返ってきたわけでもない。
一丁前にあんな啖呵切ってみたけれど、ページワン様からしたら私が勝手に突然キレただけで、情緒不安定なのかなくらいにしか思われていないに違いない。

「……違います。むしろフッたのは私です」
「はァ?冗談だろ……おい」

ページワン様からは大したことないと思われていても、あのとき私は立ち止まることを決めたのだ。もう追いかけるのはやめた。限界を突きつけられることには疲れてしまった。
ガシガシと遠慮なく蹴られているけど知るものか。何がなんでもページワン様のとこになんて戻らないし、ここに置いてもらう。配属替えってどうしたらいいんだろう。カイドウ様の許可とかいるんだろうか。

「お取り込み中ごめんなさい。お客さんがいらしてますよ」

クスッと笑みを含んだ声がして顔を上げると、さっきこの服を出してくれたお姉さんが部屋に入ってくるところだった。仮面越しに目があった気がして不思議に思っていると、その後ろから現れた見慣れた帽子と角に反射的に立ち上がる。

「……へェ、お前がフッたのは本当だったか」

逃げ場のない部屋の中でどうしたものかと困惑しながら狼狽えていると、何故かフーズ・フー様が私を隠すように立ち塞がった。何事かと見上げれば、楽しげに口元を歪ませて、その視線はページワン様に向けられている。

「返してもらいに来た」
「何の話だ?ここにお前のもんなんてねェだろ、ぺーたん?」

挑発するようなフーズ・フー様の口ぶりに、ページワン様は何も言わずに睨み返す。その眼光の鋭さに私の方が、びくり、と肩を跳ねさせてしまう。

まさかこんなページワン様を見ることになるとは思わなかった。私がフーズ・フー様のところにいると聞けば迎えに来ることもあるだろうと思ってはいた。だけどそれは、「あんまり他所に迷惑かけてんじゃねェよ……」とかそんな感じで面倒くさそうに仕方なくやって来るのだと想像していたのに。

「おい、ナマエ」

脚の影から息を殺して様子を窺っていると、そこにいるのは分かっていたとばかりに真っ直ぐにページワン様が向かってくる。ヒィ、っと再び姿を隠そうとするも、そんな私のことなどお構いなしにフーズ・フー様は元いたソファへと戻っていってしまった。せっかく壁になってくれていたのに興味をなくすのが早すぎやしないだろうか。そして私とページワン様の間を遮るものは何もなくなり、ついにその姿が目の前に来たと思えば、あっという間に被っていた仮面を剥ぎ取られる。

ぎゅっと閉じた瞳を恐る恐る開けば、目の前に立ったページワン様はもう怖い顔はしていなくて、むしろ安堵したとでもいうように柔らかい。それを見ていたら居てもたってもいられなくて、堰を切ったように言葉が溢れ出す。

「なんで私だってわかるんですか!これ被ってるから、出てるのなんておっぱいとお尻くらいですよ!それで分かるんですか!ページワン様のエッチ!」
「エッチって、お前なァ……」

支離滅裂なことを叫んでいるのは自分でも分かっている。だけど、ページワン様が来てくれたこと、そしてその瞳にまだ私が映っていられることが嬉しくて、苦しくて、とにかく何か話していないと再びその腕に縋りついてしまいそうになる。

「もう、放っておいてください。私は戦闘員なんて辞めます。フーズ・フー様のとこで魅惑のお姉様目指して頑張りますから……」
「おい、お前はウチをなんだと思ってんだ」

横槍を入れてくるフーズ・フー様は無視してフンッと顔を背ける。目尻にはいつの間にか涙が溜まって、気を抜けば零れてしまいそうだった。このままページワン様の方は向かずにいたいのにそんなことを許してはくれなくて、すぐに腕を強く掴まれて引き戻される。
その衝撃で一筋の涙が伝ってしまって、それを見たページワン様が一瞬怯んだように竦んだけれど、そのまま抱き上げられてしまう。突然反転した視界に驚く暇もなく、ページワン様はフーズ・フー様に背を向けて歩き出していた。

「この馬鹿はつれてくからな」
「おーおー、勝手にしてくれ。もう子守りはごめんだ」
「えっ、待ってください!私は」

私の意見も聞かずに帰ることが決められていることに咄嗟に抵抗を示すも、逃げることは叶わずそのまま連れ出されてしまう。











それからページワン様の部屋へと辿り着くまでの間、最初は恥ずかしかったお姫様抱っこも一周回って変な落ち着きを感じ始め、怒られるだろうからうるティ様に会わなければいいな、とまで考える余裕まで出始めた。
そんな私とは対照的に、ページワン様はどこか焦った様子で大股で歩みを進め、運ばれている間一度も目が合うことは無かった。

そして部屋に着いた瞬間、まさか落とされた。

「痛い!もっと丁寧に扱ってください!」
「うるせェ!そんな格好してんのが悪いんだろ」
「……ああ、そういうことですか」

最初から特に反応がなかったから、この露出の多い服装には特に何も思われていないのだとばかり思われていた。私から顔を背けて乱暴に頭をかくページワン様の頬は赤く染っている。

「こんな格好、皆してるじゃないですか」
「お前はしてなかっただろ」

他の人はよくて、私は駄目な理由が分からないな、とぼんやりと思っていると、逸らされていた視線がこっちに向き、今度はちゃんと目が合った。

「ナマエが何に怒って、何に傷ついてるのか分からねェよ」

困ったように下げられた眉と、ぽつりと呟かれた言葉。傷ついているということまで気づかれていたのが意外で、思わず息を飲む。

「……ページワン様には関係のないことです」
「関係ないわけあるかよ」
「本当に、私の勝手な我儘なので、もう放って……」
「その勝手で好きな女を手放せるわけねェだろ」

私の言葉を遮るように発せられたページワン様の声。それが鼓膜に届いた瞬間、思考が停止する。呆然とページワン様を見つめれば、気まずそうに目を伏せてから、ずるずるとその場にしゃがみこんでしまう。

「……え?」
「なんだよ」
「聞き間違い、だったりしますか?」

一応聞き返してみれば、不機嫌そうに睨まれる。耳まで赤く染めたままでは怖くはないことを本人も分かっているのか、すぐに腕の間に顔をうずめて大きなため息が吐き出される。

「好きだから、他の男のとこなんか行かせたくねェし、そんな格好もさせたくないんだよ」

ずっと大好きだった人に好きだと言われる。それは嬉しくて仕方ない奇跡のはずなのに、その言葉を反芻すればするほど、黒い澱のような感情が渦巻くばかりで自然と呼吸が浅くなる。このままページワン様を見ていたら情けなく泣いてしまう気がして、そっと視線を逸らす。

「……油断してたわけじゃないんです」

口から滑り落ちた言葉は、ページワン様からしたら唐突で脈略のないものであったはずなのに、何も言わずに聞いていてくれる優しさに胸が痛む。静かに居住まいを正されたのが気配で伝わってきた。

「本気で戦って、こんな無様な怪我を負いました。ページワン様が飛び六胞になって、任せられる仕事の敵も急に強くなって、正直ずっと余裕がなかったんです」

それでも精一杯にやってきたつもりだった。鍛錬の時間も増やし、戦い方も試行錯誤を繰り返した。だけど、私が強くなるよりもずっとページワン様が先に進んでしまう方が速くて、ついて行きたかったはずの背中は遠くなるばかりだった。そしていつだって、自分の限界ばかりが視界にチラついていた。

「それがついにこんな怪我をして、もう駄目なんだって思い知りました。それでもまだ今なら自分の意思で立ち止まることが出来るから」

堪えていたはずの涙が大粒の雫となって零れ落ちる。怖かったのは、弱さのせいで死ぬことなんかじゃなかった。弱さのせいで、その口から要らないと言われることだった。

強さだけを求められるこの場所で、今までいくつもの蹴落とされる者、淘汰される者を見てきた。下に落ちていくその姿を見たとき、そこに宿るのは安堵や優越感であったはずなのに、それが我が身のような不安に変わったのはいつからだっただろう。だから、逃げ出してしまおうと決めた。

「追いかけるのはやめようって思ったんです。突き放される前に、邪魔になる前に、ちゃんと諦めようって」

話せば話すほど涙は勢いを増し、ついには子供のように泣きじゃくってしまう。

「おい、こすんなよ」

手を掴まれたことに驚いて顔を上げれば、涙でぼやけた視界にページワン様が映る。部屋の照明が丸い光の粒となって降ってくるのがまるで別の世界の出来事のようだ。

「正直焦った」
「……え?」
「ナマエに嫌いって言われて、離れていこうとされて。お前はずっと馬鹿みたいにおれといるんだと思ってた」
「馬鹿って……でも、本当にそうしたいとは思ってたんですよ」

同じくらいの年頃にここに拾われたから、ページワン様とはそれなりに長い付き合いになる。いつから好きになったのかも忘れてしまったくらい、その隣はずっと、私の目指すべき場所だった。当然のように、そんな日々が続いていくんだと思っていた。

「だったら、そうしろよ」
「……だから、それが出来ないから、もうやめようって!」

思わず声を荒らげてしまっても、私を見つめるページワン様の瞳の温度は変わらない。静かで、だけどその奥に灯る確かな熱が、虹彩に私を映して揺れる。

「同じスピードでついてこいとは言わねェよ。ただ、立ち止まりさえしなきゃ、手くらいは引いてやる」

握られていた手に力が込められる。それはまるで、離さないとでも言われているかのように熱く、強い。何か言わなければと言葉を探すも、熱に浮かされたように頭が火照って何も考えられない。

しばらく惚けたようにページワン様の顔を見つめてから、やっとゆっくりと唇が動く。

「……駄目です」
「はァ?」
「手は引かなくてもいいから、毎日好きだって言ってください」

ずっと傍にはいたいけれど、足でまといにはなりたくない。繋いだ手はきっとお互いの弱さにもなってしまう。それに、そんな弱い女としてページワン様の隣に立つのは許せない。折れかけた心はまだ生きていた。あるいは今、息を吹き返した。

「なんでそんなこと」
「さっきは言ってくれたじゃないですか!」
「あれは、そういうタイミングだっただろ!毎日なんか言えるかよ……」
「ページワン様からの好きという言葉さえ聞ければ、私は何度だって、どこにだって歩いて行けるのに」

例え、光の見えない大海原でも、全てが冷たく染め上げられた雪原でも、血と腐臭しかしない戦場でも。いつだってその声が標になってくれる。
そう言外に含めて伝えれば、うっ、と言葉に詰まったページワン様が諦めたように首を振った。

「……好きだ」
「はい!私も大好きです!」

好きなだけで生き残れるほど甘い世界ではないことは痛いほどに知っている。そばにいたいと願ったせいで、明日には死ぬこともあるかもしれない。

それでも、今日までの私は確かに、この恋のためだけに生きてきた。それならこれからだって、その為に強くなれないとは誰にも言いきれはしないはずだ。ゆっくりでもいい、確実に一歩ずつ。もう迷う必要はない。持つべきものはもう、胸に刻んだのだから。










君の愛が僕のレガリア


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