私のクラスには流川くんがいる。流川くんはとってもモテるのだ。どれくらいモテるかというとクラスの女子、いやもしかしたらこの学校の女子の大半は流川くんが好きだと言ってもいいくらい。
そんな流川くんはバスケ部に所属していて、しかもかなり上手らしい。彼のバスケ姿を見に行った女の子はみんな流川くんのファンになって帰ってくる。おそろしい。
夏休みが終わり、インターハイの応援にまで行った女の子たちはみんな流川くんの話でもちきりだ。

頭ではそんなことを考えながら、シャーペンを走らせる手は真面目に今日の授業のことを日誌に書いている。四時間目はなんだったっけ、と手が止まったところで教室の扉が開いた。
顔を上げると、あとは日誌だけだから部活行ってもいいよと言ったはずの流川くんが立っている。

「あれ、流川くん。忘れ物?」
「いや、途中で担任に会って、みょうじにばっかやらせんなって言われた」
「あー、運が悪かったね」

黒板に並んだ私の名前と流川くんの名前。先月の席替えで隣同士になった席に流川くんが座った。

「四時間目、何だったっけ?」
「……覚えてねえ」
「あはは、流川くん寝てたもんね」

少し考えて古典だったことを思い出す。古典、更級日記。残りの授業も埋めて行く間、流川くんは特に何を言うでもなく隣に座っている。
早く部活に行きたいんだろうなと伝わってくるけど、日誌を出しに行くのが私一人だと、また流川くんが何か言われてしまうかもしれない。なるべく早く書くからね、と心の中で呟いて、今日一日の感想へと移る。

「みょうじはバスケ部見にこねえよな」
「行かないって決めてるから」

答えるのが早すぎたのか、その内容にか、流川くんが驚いたように目を丸くしたのを横目に見えたので、小声で「ごめんね」と謝っておいた。

「……バスケ嫌いなのかよ?」
「違う違う。ちゃんと見たことないから好きとも言えないけど、多分嫌いではないよ」
「じゃあ、」
「私さ、流川くんのこと好きなんだよね。かなり本気のやつで」

流川くんの声を遮るようにして口にした言葉に返事はかえってこない。バスケが好きか嫌いかの話をしていたはずなのに、いきなり私に告白されて困惑しているのが見なくても伝わってくる。

「だから、バスケしてる流川くん見に行って、キャーキャー言って、そのまま大多数の女の子のひとりになりたくないの」

日直になる度に同じことを書いている気がする感想を書き終えて、ぱたんと日誌を閉じる。筆箱にシャーペンをしまい、帰り支度を整える。そして、ゆっくりと流川くんへと向き直る。

「だけど好きだから、やっぱり流川くんのこともっと知りたいし、バスケしてる姿も見たいし、流川くんの好きなバスケをもっと知りたいなって思ってもいるんだよね……どうしたらいいと思う?」

別に告白をしようと思っていたわけではなかった。ただ、ちょうど二人きりだし、放課後だし、教室だし、タイミングがいいなと思っただけ。
当たって砕けろというほどの気概でもないけど、変な意地を張ってるだけの不毛な片想いにも少し疲れていた。潔く散るだけ散って、あとは私もあの親衛隊の一人になってしまおう。

「……考えとく」

しばらく悩むような素振りを見せていた流川が立ち上がって、私の机の上の日誌を手に取り、教室を出ていこうとしてしまう。慌てて私も自分の荷物を持って後を追う。
職員室へと向かう廊下も、日誌を渡し終えて昇降口まで向かう道のりも、私たちの間に会話はなかった。最後にただ「部活頑張ってね」「おう」のやりとりがあっただけ。

赤く染った夕焼けを眺めながら、一人で家へと向かう道を歩く。途中で小石を蹴ってみたけど、すぐに側溝に落ちてなくなってしまった。
流川くんは考えとくと言っていた。考えるとは、私の告白への返事のことだろうか。それとも、あの大多数に混ざらずに流川くんのバスケを見たいと言ったことについてだろうか。






■□■□







あれから一週間が経った。流川くんからは何の返事も貰えないまま、私たちの関係は何も変わらず隣の席同士だ。
今日も見事な居眠りっぷりを披露していた流川くんは、放課後になっても机に突っ伏してしまっている。こんな光景にもすっかり慣れてしまったクラスメイトたちは、みんな各々の用事があって教室を出ていき、気がつけば私たち二人だけが取り残されてた。

「流川くん、そろそろ起きないと部活遅刻しちゃうんじゃない?」

お隣のよしみで流川くんに控えめに声をかけてあげると、びくりと肩が揺れた。それからゆっくりと顔を上げた流川くんが寝惚け眼で私を見ている。

「みょうじ」
「うん?」
「今日、この後予定あるか?」
「特には、ないけど……」

すぐに部活に行くとばかり思っていたのに思いがけずお喋りが始まってしまったことに戸惑いながら答えると、「そうか」とだけ言って流川くんは立ち上がった。

「じゃあ、このまま待ってろ」
「待ってろって……いつまで?」

会話の意図がイマイチ分からなくて首を傾げる私を一瞥した流川くんは、何か考えるように眉をひそめた。

「七時半に体育館」
「えっ、そんなに!?」
「帰りは家まで送ってく」

てっきり数十分とかそれくらいの話だと思っていたのに、予想外の返答につい声が大きくなってしまう。だけど、そんな私のことなど気にもとめずに流川くんは教室を出ていってしまった。

ついに一人になってしまった教室で、脱力しながら黒板の上に取り付けられた時計を確認する。七時半まであと何時間あると思っているのだろう。
それでも結局、流川くんを好きな私は密かに、こんなふうに話せたことを嬉しいとも思ってしまっている。とりあえず、今日は遅くなるとお母さんに連絡をしてから、宿題を終わらせてしまおう。それから図書館に行って本でも借りれば十分に過ごせるはずだ。





いつの間にか日が暮れて暗くなった学校は少し怖い。流川くんに言われた時間通りにバスケ部が練習をしているはずの体育館に向かうと、窓やドアの隙間から明るい光が盛れている。

入っていいのだろうか、と躊躇いながらも扉に手をかけると、広い体育館を流川くんがドリブルしながら走っているところだった。
どうしてバスケットボールを持ちながら、こんなに早く走れるのだろう。そう驚いている間にも、流川くんは片手でひょいとボールをゴールへといれてしまう。
その軽やかに見惚れていると、振り向いた流川くんが私の方を見た。

「……流川くんだけ?」
「おう、自主練だからな」

ふーっと大きく息を吐きながら、Tシャツの首元で汗を拭った流川くんに手招きをされる。少し緊張しながらそこまで歩いていけば、何故かさっきまで流川くんが持っていたバスケットボールを渡された。

「え、投げろってこと?」
「おう」

戸惑いながらも、とりあえず投げてみたボールはリングに当たることもせず床へと落ち、虚しく跳ねてと転がって行った。
それを拾いに行ってくれた流川くんがそこからシュートを打つ。私が投げた位置よりずっと遠いはずなのに、ボールは吸い込まれるようにゴールへと入ってしまう。

「下手くそだな。こう打つんだよ」
「……私のイメージではそれをやってるつもりなんだけど」
「もう一回」

また渡されたボールを投げれば、今度はリングにはなんとか当たった。だけど大きく弾かれてしまったボールを流川くんが拾って、また私に渡される。
そんなことを繰り返して五回目。私の打ったシュートはやっとリングへと綺麗にくぐっていった。

「やったー!」

嬉しくてつい、両手を大きく上げて流川くんの方を向く。そこでハッと、ハイタッチなんてしてくれるわけがないと我に返った。勝手にはしゃいでしまって恥ずかしい。慌てて手を引こうとすると、ふっと鼻で笑った流川くんの手のひらが私と重なる。
ほんの一瞬、大きな流川くんの手の感触を確かに感じた。

「もしかして、私にバスケを教えてくれるためにここに呼んだの?」
「バスケのこと知りてぇって言ってただろ」

さも当然とでも言うような流川くんの口ぶりに、思わず何度も瞳を瞬かせてしまう。それから急に可笑しくなってきた。まさかとは思ったけど、本当にそっちのことを考えてくれているとは思わなかった。
突然笑いだした私を訝しむように流川くんが見ている。

「ごめんごめん、てっきり告白の返事を考えとくって意味だと思ってたから、勘違いしてたのが笑えてきちゃって」

目尻の涙を拭いながら答えれば、何か思い出したように「ああ」と頷かれる。

「それなら、オレも好きだ」
「ん?」
「だから、どうしたらみょうじにバスケを好きになってもらえるか考えた」

呆然、放心。口をぽかんと開けた間抜け面を晒したまま、必死で頭をフル回転させる。流川くんが私を好き……好き……。

「ええ!嘘だぁ!」
「嘘じゃねぇよ、どあほう」
「……流川くん、分かりにくすぎるよ」

フラれたときのことなら山ほど考えていた。わかった、困らせてごめんね。今度はファンとして流川くんを応援に行くね。用意していたセリフのあれこれがボロボロと頭の中で靄となっては消えていく。

「……今度、試合も見に行っていい?」
「来れんのか?」
「だって私、彼女なんでしょ?他の女の子たちと一緒じゃない」

聞きたいことは色々あるはずなのに、口から出たのはこんな言葉だった。だけど私の顔を見て、満足そうに少しだけ上がった口角が何よりもこの瞬間が嘘じゃないことを証明してくれている。

次の試合、初めて目にした本物の流川くん親衛隊に圧倒される私に気づいた流川くんが、「オレだけ見とけよ」と私の頭を撫でたせいで体育館が大きな悲鳴につつまれるのは、また別の話。








華麗なるノックアウト


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