松川と一緒に帰った日から一週間がたった。
テスト期間を迎えんとする時期、活動停止に入った部活動の代わりに教室に残って次週に勤しむ生徒の姿が増えている。かく言う私も友人と手分けして不得意科目を助け合いながら勉強に打ち込んでいた。

さきほどまで交際一か月記念日には何をしたのかとしつこく聞いていた友人は、今では数学に頭を悩ませている。というか言っている間にもう交際二か月になろうとするのに、随分今更な話題でもあろう。
無論なんせ気遣い深い松川のことなので、私自身何か言われるかもしれないと思っていたが、意外にも彼はそのありきたりなカレカノイベントには言及しなかった。まあ部活も忙しいだろうし、私ももともとそういうイベント事には興味が乏しいので全く問題なく通過した。急行列車かとツッコまれた。なんで電車?

「飲み物買ってくるけど、なんかいる?」
「あー助かる、紅茶ストレートで」
「ゆづる、私リンゴ。100パーの」
「オッケー」

集中も切れてきた、少し気分転換に外に出よう。友人二人からお金を受け取り、私は自販機のある一階へ向かった。お使いを済ませ、自分用にもコーヒーを買ったところで、不意にクラスの違う松川のことを思い出す。そう言えば彼もテスト期間中は部員さんたちと勉強すると言っていた気がする。

「…コーヒーでいいかな」

きっと仲間の人たちがいるだろうし、直接渡すことは出来ないだろうが、とりあえず様子を見て無理そうならラインすればいい。気づかれなかったら下駄箱においていこう。ささやかな差し入れに少しわくわくしながらコーヒーをもう一つを買い、四つ分の缶だの紙パックだのを抱えて階段を上る。

一先ず教室に戻り、友人二人にジュースを渡す。自分のものは机に残して、トイレに行くと告げもう一度廊下に出る。松川の分はブレザーのポケットだ。友人らには気づかれずに済んだようで、あっさり送り出された。

彼の教室は私のクラスから二つ離れた距離にある。廊下からそっと覗いたそこには、数人の男の子が固まってノートや教科書に向かっていた。割とがやがやしているのは教え合ったりしているからというのもあるようだが、明らかに遊んでいる人もいて、女子もそうだがやっぱりそうなるよなあと共感する。

しかし見たところほとんどがバレー部さんのようだ。学年を超えて有名な及川くんや去年同じクラスだった岩泉、その傍にも誰かいるようだがここからは角度的にわからない。
なんにせよこれだけ人のいる中差し入れするのは気恥ずかしい。これはやはりラインを入れて、気づかれなければ下駄箱行きだな。思ってスマホを取り出した時だった。

「つーか松川、お前あの子、城崎サンだっけ。結局どうなったの?」

ざわ。和気藹々とした空気の中にあったざわめきの質が妙に変容した気がした。好奇心に満ちた聞き覚えのない声が紡いだ自分の名前に、条件反射で窓下に身を隠す。自分のいないところで自分の話をされるのはどんな時でも気になるものだが、男の子の、それも付き合っている人のいる場で自分の名が挙がるというのは不思議と想像したこともなかった。

や、でも女子だって仲間内であれこれ話すのだ、男子だって男子トークも恋バナもしないってわけじゃないだろう。認識を改めていれば、落ちることのないボリュームと平均的に低い男声はドア越しにもはっきり届いた。

「ちょっとお前ら、それは」
「あーそれ俺も気になる、前に電話したときもお前外行っちまったしさ」
「けど電話してたってことは付き合ってたんだろ?」

初めに止めに入ったのは及川くんだろうか。諌めるような声はしかし、相次ぐ発言に呑まれてしまう。ちらつく違和感が喉に引っかかった。なんだろう。

「つーかそもそもオッケーするとか思わなかったよな」
「あれは想定外だったわ」
「そこで延長ってあたりがなー」
「下んねえ話してねーで勉強しろよお前ら」
「何だよ岩泉、お前どうせ知ってんだろ?」

次に制止に入った声は岩泉のもので、それは去年一年の記憶にはない険が混じったものだった。気のせいだろうか、空気が変だ。いやに冷静に分析する脳味噌と乖離した心臓が、肋骨を軋ますように脈打ち始める。聞いてはいけないような、それでいて聞かなければならないような、拮抗する緊迫感。

松川の声は聞こえない。どんな顔をしているんだろう。鳴り響く鼓動を堪えて顔を上げ、窓の向こうを覗こうかと迷って、続く会話にまた引っ込んだ。

「けどマジな話さ、どうやって―――」
「なあ松川、けどお前、…俺見たんだよ」
「温田?」

陽気な声を遮ったのはやはり覚えのない声だった。だがそれは野次馬根性と好奇心の見える声の中にあって初めて聞く、不安げで、本当に心配していることのわかる声だった。

「お前、この前あの子と一緒に帰ってたよな…?」

その時不意に、目の前が拓けるような気がして、さっき感じた違和感の理由に思い至る。リピートした会話の中にその答えは在った。


『付き合って「た」んだろ』


「は?温田マジで?え、けど」













「あの罰ゲームって、一か月だったんじゃ」

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