かぱり、開いた下駄箱を前に、押し込むべきローファーを構えて持ち上げていた手をフリーズさせたのは、ざらついた靴箱の底に乗った長方形の白い便箋。
宛名に書かれたボールペンの黒がかたどっているのは間違えようなく私の名前。筆跡に見覚えはない。

「………ん?」

11月も終わり、本格的な冬の足音が聞こえてきた冬の初めの朝だった。





「これまた古典的なパターンで来たねー。なにゆづる、モテ期到来?」
「待って一回落ち着こう、頼むからシリアスに考えて」
「うわーマジじゃん、マジのラブレターとか初めて見た写メってい?」
「止めろそこカメラ構えんな!相手に失礼でしょうが!」
「えっ何、ってことは乗り換える?乗り換えちゃう?」
「おい嬉々とすんな表出ろ」

無駄なシンクロ率の高さで揃って前のめりに期待顔をした友人二人に、思わず真顔で凄むくらいにはイラッとした。こいつらに相談した私が馬鹿だった。酒の肴になるくらいは覚悟していたがいっそお祭り騒ぎ、打ち上げ花火の火薬代わりにされるレベルである。恋バナ?このゲスい会話がそんなカワイらしい普通名詞に収まってたまるか!

きゃーやだコワーイちょっと今の写メって松川に送ろ、とケタケタ笑う友人に真面目に殺意が湧く。やってみやがれ、今更素のガラの悪さが露呈したところで痛くもかゆくもない。…いややっぱそれはマズイ気がする、さすがにヤンキー過ぎる気もする。女子とはかくも生き辛い。

冒頭にて登場した下駄箱の中の一通の手紙。昨日帰るときには間違いなく存在しなかったそれに差出人の名前はなく、入っていたのは便箋が一枚。問題なのはその内容だ。ほとんどを余白として白く残したそこには、話があるので今日の放課後中庭のベンチ近くに来てほしいとの一文のみが記されていた。
もう一度言おう。問題なのは、内容である。

「…やっぱこれそうなの?果たし状とかじゃなくて?」
「ぶっは…!果たし状とか…!!」
「ゆづるが不良デビューして二、三人ぶん殴ってない限りはラブレターだね」
「元ヤンが言うとか説得力ありすぎる…」

私の切実な訴えを爆笑に付し、腹を抱えて机に突っ伏す友人その一の横腹をぶん殴りつつ、友人その二(※元ヤン)の彼女の平然とした証言に頭を抱える。「ちなみに四人までなら無傷で返り討ちもできるけどどうする?」。何をどうするってんだ。ていうかそれどんなヘヴィ級?ヤダもうコイツ怖すぎる。生きる世界が違い過ぎる。

「悪かったって、あー笑った、いや真面目に話すとさ」

脇腹をさすりながらしつこく笑っていた友人が、目元の涙を拭いながら身を起こす。泣くほど笑うとかコイツまじ、と思いつつ、ようやく真面目に取り合ってもらえそうなのでグッと黙って言葉を待つ。

「マジで乗り換える気はないわけ?」

待った私がバカだったらしい。私は表情を消し飛ばした。

「二度言ってみろ、その口へし折る」
「すんませんでした」

ガチトーンで机上に手をつき頭を下げた友人に、ひとまず溜飲を下げることにする。冗談でも私にも彼にも失礼だ。悪ふざけで吐いた言葉だろうが、彼の耳に入ろうものならどれほど傷つけることになるか。最悪の場合いつかのような酷い誤解を引き起こしかねない。
飄々とした松川は表層からはわからないだけで、周囲が想像するより酷く繊細な一面を持っている。彼が私に対して残したままの負い目や罪悪感とかいうものは、周りが――私を含め、外野が考えるよりずっと根深いのだ。

まだ終わってない。何が、と問われると言葉に詰まるけれど、彼と私の何がしかにおいて、なにもかもが清算されてゼロになったと思えたことは一度もない。

刺さったままの棘、喉元に引っかかった小骨のように、解消しきれていないわだかまりがどこかに鎮座している。自覚しながら暗黙のうちに言葉で触れることをしないのは、それが一朝一夕でどうにかなるものじゃないと互いに認識しているからだ。だが私にとってはそれ以上に、松川がそれを自分ひとりのものとして抱え込んでいるからというのが大きい。

君のせいじゃない。そんな簡単な言葉でほどけるほど、彼を縛るもろもろは簡単で軽いものじゃない。きっと私よりずっと深い彼の傷は誰がどう言おうとまだ癒えていないし、少なくとも今はまだ、私の言葉が届く距離にもない。

だから私は今出来る最大限として、その傷に無遠慮に塩を塗り込もうとする輩を一人残らず突っぱねるつもりでいるのだ。

「まあ今のはさすがにふざけすぎたけどさ、そういうことなら簡単じゃん。普通に行って返事してくれば?」

何かあれば即刻右フックを出しかねない凶暴性によって時に肝を冷やすどころか凍らせにくる友人であるが、今日は一段と頼りになるらしい。
告白なら告白で断ればいいし、他の要件なら他の要件で対応すればいい。そう続けた友人は「ただアレだ」と付け加えた。

「万一呼び出した相手が松川のこと好きな女子だったら対応も変わるだろうけど」
「それだ…!」
「いや待て違うでしょ、なんでそれしかないみたいな顔してんのよゆづるは」
「だってどう考えても私より彼が告白される方が確立的に高いでしょ、決定だよ結論出たよ」

目から鱗である。むしろ何で気づかなかったんだ、大いにありうるケースじゃないか。アレだ、少女漫画によくある呼び出しってヤツだ。いや待てでも私にヒロインとか似合わん以前に務まらん。無理ゲー過ぎる。
ここはいかにしてクラスメートBになるか、と真剣に脳内討議を開始したタイミングで、しかしもう一方の友人が矢継ぎ早にツッコミを入れてきた。

「いや万一そうだとしてそっちの方が問題でしょ!ライバル出現!」
「そこはでも、松川の判断に委ねるしかなくない?」
「はあ!?何その他人事対応!それこそ松川に失礼でしょ!」
「は?いやだって、実際告白されるのは松川で返事するのも松川なわけじゃん。そりゃいい気分にはなれないけど、私がどうこう出来る話じゃないでしょ」
「じゃあどうすんの、すっごい可愛い後輩が松川のこと誘惑したらどうすんの?相手はあざと可愛い量産型女子よ?女子力装備スライムレベルでどう戦うわけ?」
「…待て、スライムほど戦えるかもわからない」
「瞬殺決定か!!」

ダァン、と机に拳を振り下ろす友人を、申し訳ないようなざまあみろというような何とも言えない気持ちで見下ろす。でも実際イマドキの可愛い女の子と比べれば見た目も中身も見劣りするのは明白である身、本当に友人の言うシチュエーションになれば分が悪くなることは間違いない。そう思えば急に手紙が恐ろしいものに思えてきた。ようやくやってきたシリアスが予想以上に重くて困る。

「ちょっとアンタら脱線しすぎ。いつもと立場逆じゃないのよ」

パン、と一つ手を叩いてカオスの終息に入った元ヤンの友人に、思わずもう一人と顔を見合わせた。そして間違いなくシンクロする。いや、普段終息される側の自覚があるならたまに現役時代の般若を降臨させんのやめてくれる?とりあえずアッパーから入るヤンキー対応やめてくれる?
「アンタらが失礼なことを考えてんのはわかった」
「「イイエ何も」」
「で、それはどうでもいいから言うけど、まだ起きてもないことあれこれ心配したって仕方ないでしょうが」

…一理ある。思わぬ諭しに一瞬黙り込む。「現状告白の可能性のほうが濃厚なわけだし、筆跡からしても女子って感じじゃないし」。言われて覗き込んだ文字は丁寧に書かれているものの、確かに見てわかる丸文字といった女子らしさはない。無論字だけで性別は判断できないので何とも言えないが、彼女の言うとおり対応策を準備することと無駄に杞憂することは別物だ。

「とりあえず、無視するつもりはないんでしょ?」
「…それはまあ」
「あと乗り換えるつもりも」
「絶対ない」
「じゃあ言って用件聞いてきな。話はそれからだ」
「…オッケー」
「ただ果たし状ならとりあえず連絡な、一発殴りに行く」
「「……。」」

どうしてそれを付け加えた。

ばきり、指を鳴らしてからっと笑う友人に今度こそ真顔になった。今一度言うがなんで私こいつと友達になれたんだろう。「台無し感がヤバい…」と呟く友人に、私は重々しく頷いた。

161017
後篇に続きます。
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