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サイト開設前Twitterで企画参加させていただいたお話です(2022/03/20)。
企画:@yumenosyoka(Twitter)様
夢主がモブ男に失恋するので、苦手な方はご注意ください。
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   俺を世界一幸せな男にしてください

 好きな男のプロポーズを目の当たりにする日が来るとは思わなかった。
 本人にそのつもりがあったのかはわからない。ただ単に往来の中心で愛を叫んでいただけだったのかもしれないけれど、とにかく私はその現場を目撃した。
 私がそれをプロポーズだと思った理由は、男が「俺を世界一幸せな男にしてください!」と言っていたからだった。人通りの多い場所だったので、同じようにそれを目撃した人々が通りすがりに思うまま感想を述べ、次の瞬間には興味を失くしていた。その中に「俺が幸せにする、だろ普通」と言う人がいたけれど、それがまさに私の心を抉った核心だった。
 「俺を幸せにしてください」はつまり「貴女でないと俺は幸せになれない」だ。これほど切実に相手を求める愛の言葉をプロポーズと呼ばずして何だというのだ。
 
 その後の顛末は見届けなかった。うまくいっていようがいまいが、私の入る隙など欠片もないことを思い知っただけでもう充分応えた。
 元々脈があるとも思っていなかった。なのに、蓋をした瓶の中で煙が立ち込めるように、やり場のない気持ちが身体の中に広がっていく。見廻りを終えるには大分早い時間だったけれど、屯所に戻ることにした。相方は幸い沖田隊長だった。
 自室は玄関から一番離れたところにある。長い廊下を渡り、副長室を過ぎた辺りの庭で梅の花が満開に咲き誇っているのが目に留まった。毎日、今朝だって通った筈なのに今に限って気になったのは、それだけ感傷的になっているということだろう。
 屯所の庭は風情がある。名高い庭師が設計したそうで、今も管理のため屯所を訪れる彼らと顔を合わせることがある。思いの外金も手間暇もかけられている。しかし、ここにその趣きを理解する人間が果たして何人いるだろう。この梅の木に関心のある隊士は多いけれど、花ではなく酒作りのための実が目的だ。
 控えめな風が庭の梅の枝を揺らした。そこからぽろぽろと花が零れていくのを濡れ縁に立って眺める。
 どれくらいそうしていただろうか。
 途中で座り込み、陽も傾いた。それでも梅の木は変わらず花を零し続ける。延々と同じ描写を繰り返すアニメーションのようだった。
 不意に、土や植物の春らしい匂いに異質なものが交じった。
「見廻りはどうした」
 はっとして顔を上げると、煙草をくわえた副長がこちらを見下ろしている。穏やかに物哀しかった空気が瞬時に尖る。
「……早めに切り上げました」
 副長の眉がぴくりと動く。今この男の小言を聞きたくはないけれど、咄嗟に適当な言い訳も思いつかなかった。
 さっきとは異なる種類の感情で、気持ちが翳る。
 正直に言うと、副長のことは苦手だ。他人に関心がなさそうで、表情も乏しく何を考えているのかいまいちわからないので接し方に困る。局長や沖田隊長なんかとは多少砕けた調子であるけれど、私に対してはいつも眉間に皺を寄せ口は真一文字。仕事以外では挨拶をするくらいで、仕事中の雑談も当然ない。聞くところによると女の入隊に大反対していたらしいので、おそらく私のことは未だ認めていないのだろう。今も、見定めるように無遠慮な視線だけを寄越してくる。
 小言も遠慮願いたいけれど、無言の張り詰めた空気も居心地が悪かった。
 今日は厄日だ。
 濡れ縁から投げ出していた脚を折り曲げ胸の前で抱えた。するとそれが合図だったかのように副長が懐からマヨネーズを取り出し、こちらに差し出した。
 唐突な行動の意図が全く理解できず、それと副長の顔をゆっくり往復する。けれど何か補足する様子もないので仕方なく尋ねた。
「……何ですか」
「やる」
「いや……いりませんけど」
 すげなく返事をした瞬間、私は目を瞠った。いつも吊り上がっている副長の眉尻が僅かに下がったのだ。「そうか」と呟く声も張りを失っていて、まるで忙しい母親に構ってもらえずしょげている子どものようだった。そのまま行き場をなくしたマヨネーズをじっと見つめている。
 何だか悪いことをしたような気がした。けれど、そもそも意味がわからないんだからしょうがない、と誰にともなく心の中で言い訳をする。
「……何でマヨネーズ?」
 私から声をかけることに余程驚いたのか、副長の目が見開かれる。かと思えば、また眉間に皺を寄せ黙り込んでしまった。そしてしばらくして口を開いたかと思えば「いや」だの「その」だの「あれだ」だのとなかなか説明が始まらない。
 こんなに切れのない副長は初めて見たので、ぽかんとしてしまった。一体何だというのか。
 しばらくそうしているうち、少し落ち着いたのか副長が言った。
「美味い物食えば、その……多少気晴らしになんだろ」
 言葉の意味をすぐに咀嚼できず、思わず眉根が寄る。
 つまり、副長は私を励ますために美味しいものを食べさせようとした、ということ、だろうか。
 あの副長が?
 にわかに信じ難かった。私が気落ちしていることに気付いたなんて。気付いて、励まそうとするなんて。
 けれど、ふとこれまでのことが頭に浮かぶ。副長がマヨネーズを誰かに勧めるとき。それは、あまり接点のなかった隊士と食堂で隣の席になったときであったり、誰かが特別功労賞をもらったときであったり、副長の機嫌が良いときであったりした。自分の好みを押し付ける有難くもない迷惑だと遠巻きに見ていたけれど、もしかするとその実、自分の好きな物を分け与え喜ばせたいという精一杯の愛情表現だったのかもしれない。
 だとするとこの男、あまりに不器用すぎやしないだろうか。
 しかし、そう考えると一連の副長の行動がすとんと腹に落ちる。そりゃにべもなく断られてしょんぼりするわけだ。
 急に一変してしまった副長の人物像に少し戸惑いつつも、案外可愛げのあることに思わず口元が緩む。そのせいで、鼻の奥がつんとした。まずいと思ったときには手遅れで、ずっと抑え込んでいた分、堰が切れたようにぼろぼろと涙が零れ落ちた。
 いい歳して人前で泣くなんて情けない。しかも、よりによって女の入隊を快く思わない副長の前でだ。
 せめてもの抵抗に腕の内側でぐいと無骨に目元を拭った。止めようとすればするほど涙は溢れる。
「こっ……これ、泣いてんじゃ……ないです、から……花粉症なんで……」
 何か言わずにはいられず、余計惨めになるようなことを口にしてしまう。ずず、と鼻をすする。
 煙草なのか溜息なのか、副長が大きく息を吐いた。
「……わーってるよ」
 どかりとその場に座り、黙ってただ庭を眺め煙草を吸う。
 庭師が丹精込めて作り上げた庭の情緒をぶち壊す煙と臭い。その不協和音の中、世界一幸せになったであろう男の顔を思い浮かべ、私は抱えた膝に顔を埋めた。