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Twitterに上げたお話です(2023/06/25)。
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   短夜サンドリヨン

 客引きの声、コルク玉の弾ける音、鉄板とヘラのぶつかる金属音。気ままな雑音は祭囃子でうまく中和され、うっかり本来の目的を忘れそうになる……けれど、さっきからすれ違う人が時折血の気が引いたようにこちらを見てくれるおかげで、そうならずに済んでいる。
「トシ、それじゃ私服の意味ないから」
「ああ?」
 鋭いまなざしがこちらを向いた。
 トシと私服で祭りの中を見廻っている。ある攘夷党の幹部を探すためなのだけれど、トシがぎらついた目で周囲をくまなく観察するせいで、おそらく、カップルはおろか一般人の雰囲気すら出せていない。
「もっと楽しそうにしなよ」
「楽しそうって、たとえば」
 なげやりに言うので、私は小さくため息をつく。まあ、気持ちはわからなくもない。
 私たちがペアであることにはちゃんと理由がある。隊士みんながそれが適任だと思っているからだ。そしてそれは、おおよそ間違っていない判断であるけれど、同時におそろしくおとなげない提案でもあった。たちが悪いとも言える。
「あ、焼きそば食べたーい」
 数メートル先の屋台を指さしながら、甘えるように腕を組んだ。不意打ちをくらったトシがぎょっとする。
「な、にしてんだっ」
 振り払おうとする腕を強く捕まえ、屋台に引っ張る。
「たとえばって訊くから」
「仕事だぞ……! 隊の奴らもそこらへんにいんのに」
「そうだよ、祭りを満喫する男女のふりする仕事」
 しれっと言ってやると、いつも総悟くんが突拍子もないことを言いだしたときのような、信じられないものを見るような顔をしたので、負けじと見つめ返す。するとだんだんと諦めた顔になった。
「……わーった。わーったから、一旦放せ」
 何がわかったんだか。ご希望通り腕を解いてやり、焼きそばをひとパック買った。
 私たちはこれまで、指一本触れ合ったことがない。それはひとえに、将来の約束ができないから期待も持たせられない、トシのそういう信念のためだ。またはエゴとも言う。なんて立派で殊勝な心がけだろうと思うけれど、明日がわからないのはお互い様だ。だから私は別に、約束も保証も、何がなくとも構わないのだけれど。
 そういう私たちをなんとなく察したうえで、みんなはカップルのふりをさせる。だからたちが悪いのだ。
 端の方でさりげなく人波を観察しながら焼きそばを食べていると、トシの電話が鳴った。
「はあ? 京だって?」
 明日突然出張にでもなったのだろうかとそばをすすっていると、電話を切ったトシが「あーあ」と植え込みの石垣に足を広げて座りこんだ。着こなしの緩い浴衣の襟元からは胸元が、裾からは締まったふくらはぎが惜しげもなく覗く。
「野郎、京で捕まったってよ」
「えっ? 祭りに現れるって情報ガセだったの?」
「いや、半分合ってた。江戸じゃなくて京の祭りだったみてえだ」
 なんて間抜けな話だ。ということは、これで仕事が終わってしまった。幹部の件が片付いても見廻りそのものは続行するけれど、元々非番だった私たちはその限りではない。
 トシが黙って差し出した手に、あと四分の一ほどになった焼きそばを渡す。普段気取っているこの男が、ご飯を食べるときは頬いっぱいにかきこむのが子どもみたいで好きだ。
 このあと、このまま祭りをまわって花火も見たいと言えば、きっと一緒にいてくれる。でも指先さえ掠めることのないもどかしい時間のあとに残るものを思うと、それはそれで虚しい気がした。さっきたった数秒絡めた腕の余韻さえ、まだ消えないのに。
 そうしているうちトシが焼きそばを平らげ立ち上がった。そのとき帯に差していたマヨネーズ柄の間抜けな団扇が落ちたので拾って渡すと、受け取りざまに手をとられた。驚いてトシを見上げる。
「仕事すんぞ」
 え、と声にならなかった空気が口から漏れた。信じられなくて固まった私にお構いなしに、トシは手を引いて人波に紛れていく。少し歩いたところで指が絡まった。
 しばらく黙ったまま、ふたりで屋台の間を歩いた。ただ手を繋ぐだけのことがこんなに面映ゆいのは、唐突だったことよりも、これまでの徹底したプラトニックのせいだった。触れたかったはずなのに、思いがけず叶った願いを私は持て余してしまっていた。なのに、私がそんな風に戸惑っているのもどこ吹く風で、そうさせた当の本人は涼しい顔をしているのが憎たらしい。なんだか振り回されているみたいで。
 花火が始まるまで一時間ほど。少し落ち着いてきた私は、通りがかった金魚すくいの屋台を指さした。
「やってく?」
「せっかくだしな」
 すかしたように言っておきながら、トシはポイを受け取ってすぐ浴衣の袖をまくり上げた。その逞しい腕を披露するだけあって、ひとつのポイで十匹以上の金魚を掬っていた。
「兄ちゃんうめえな!」
 屋台のおじさんに褒められ周りの子どもたちに尊敬のまなざしを送られ、まんざらでもなさそうなのが可愛くて笑うと、なんだよ、と小突かれた。
 おじさんに金魚はいらないと言うと、こちらもおじさんのやっている隣の屋台のヨーヨーをくれると言うので、浴衣と同じ色のものを貰って出た。
 そのあと型抜きと射的をして――トシは金魚すくい以外の腕前は普通だった――、そろそろ花火が始まる時間になった。私が素直に人の集まるところに向かおうとすると、こっちだ、とトシに手を引かれた。
 屋台の並ぶ通りから外れて連れてこられたのは神社だった。鳥居の前には何人か人が集まっていたけれど、トシはその人たちの目を盗むように、横の植え込みから鳥居の先に続く階段に入ろうとした。
「いや、立ち入り禁止って書いてなかった?」
「平気だ。毎年ここで見てっから」
「嘘でしょ!?」
「見廻り名目でな。最初は勝手に入ったけど、今は神主公認だから安心しろ」
 その代わり誰か来たら追い返してくれってよ、と遠慮なく奥へ踏みこんでいくので呆れてしまう。総悟くんのふるまいには口うるさい割に、自分は結構こういうところがある。
 境内まで登り、手水舎の柱にもたれかかってトシが空を見上げる。
「このあたりが一番よく見える」
 ふうん、と声に含みを持たせると、誰か連れてきたのは初めてだよ、と投げつけるように返ってくる。
 私も空を見上げた。花火までもう少し。祭囃子だけが少し遠くから聴こえてきて、ちっとも涼しくない生ぬるい風がねっとり身体にまとわりつく。
 煙草を消すため離れた手が、役目を終えて戻ってくる。汗ばんだ指を絡めたまま身体を寄せると、触れ合った腕がわずかにぴくりと動いた。見上げると、探るように小さく動く目がこちらを見下ろしている。期待を込めて見つめ返すと、空いた手が頬を撫でた。指が耳輪をすべって髪に潜り、ゆっくりくちびるが寄せられる。
「……仕事だからな」
 触れる間際、念を押すように言う。
「今言うの野暮すぎて最悪」
 硬い前髪の毛先が一瞬額をくすぐった。顔が離れ、触れるか触れないかの距離で見つめ合う。祭囃子の音がだんだん遠のいていき、聞こえるのは鼓動とトシの息遣いだけになった。
 そのとき、花火が上がった。
 それが合図だったかのように指を絡めていた手が解け、腰がぐっと抱き寄せられた。頬に添えられていた手は頭を支え、さっきよりも強くくちびるが押しつけられる。腕の中で潰されそうになりながら、ぎゅっとトシの胸元を握りしめた。
 絶え間なく咲く花火にも、合間にわっと上がる歓声にも、他の何にも目をくれず、私たちは夢中でくちづけ続けた。角度や触れ方を変えながら、何度も何度も。手からすべり落ちたヨーヨーが弾けて、くるぶしがひやりと濡れる。遠慮がちな舌に焦れて急かすように誘いこむと、腰の手にいっそう力がこもった。
 もうずっと、こうしたくて仕方がなかった。だから、浮ついた心の奥で私は後悔した。
 このごっこ遊びが終われば、私たちはまた適切な距離を保った関係に戻る。それは一度も触れてもらえないことよりずっと辛いことのような気がしたのだ。
 手を繋げばくちづけを、くちづければ身体を、身体が交わればその先に続く永遠の何かを、きっと果てしなく求めてしまう。だって現に私はもう物足りなくなっている。花火が終わっても、せめて夜が明けるまで仕事をしていたい。そんなものわかりの悪い女になりたくはないのに。
 それをわかっていたからトシは最初から指先ひとつ触れなかったのかもしれない。だったら、エゴはきっと私の方だ。
 息継ぎする間も惜しんでくちづけ合った。花火の明かりに浮かぶ顔や鼓膜を揺らす呼吸を脳に焼きつけながら。