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2024/02/18のWebオンリーで展示したお話です。
※山崎と原田が同い年設定、35歳の時間軸です。
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   Oh my lovely cheeky baby!!

 潜入捜査明け、二週間ぶりに屯所に戻った俺を、原田はその晩早速連れ出した。いくら俺たちの仲が良いとはいえ、たった二週間が待ち遠しくなるような関係では決してないので、のっぴきならない何かがあったんだろうというのも、それが何に関することなのかも、おおよそ予想はついた。このところの原田といえば、それに振り回されっぱなしだったからだ。
 もうおっさんと呼んで差し支えのない大の男がふたり、居酒屋の隅のテーブル席で向かい合う。原田はすっかり憔悴しきっていた。確かに三十代半ばにもなればただ一日を生きただけで疲れるものであるが、それにしたってだ。局長並の巨漢で、しかも悪人面の原田が人目を憚るように縮こまっているのを異様に感じるのか周りの客がちらちらとこちらの様子を窺ってくるが、それでも僕らは警察です。
 そんな状態にもかかわらず、酒とアテが運ばれてきてしばらく経っても原田はずっと他愛のない話で場を温め続けてくる。いまさら俺なんかに気を遣うこともないのに、豪快そうな見た目の割にそういう細やかな心配りができるのはこいつのいいところだと思うが、正直、気遣うなら潜入捜査明けの今日は早く帰らせてほしい。
「あの子のことで何かあったんだろ? 俺がいない間に」
 だから話を途中でぶった切って訊いてやると、原田はばつの悪そうな顔をして、猪口に残った酒を一気にあおった。
 あの子というのは、原田のことが好きで好きで仕方のない、原田に恋する、二十代になりたてほやほやの、原田が隊長を務める十番隊の隊士のことだ。
 元気で素直でまっすぐで、目が澄んでいて、なんというかこう、きらきらしている、というのが彼女の最初の印象だった。ただ、それは彼女自身の持つ性質というよりも、勤務歴十年の社員が新入社員の初挨拶を受けたときの衝撃に近い。俺にもこんな風に輝いて見えたときがあったのかな、と思ってしまうあれだ。郷愁と呼ぶにも嫉妬と呼ぶにも諦観が強すぎて、呆然とするしかないようなあの感情。原田とともに圧倒されてしまった記憶があるが、それは、良くも悪くも彼女と俺たちが同じ世界線に存在していないという認識の表れでもあった。お互いが仕事以外で関係を持つことのない、どこまでいっても交わることも並ぶこともない、ねじれの関係だということの。まあつまり、若い女の子とおっさんのあるべき距離感を正しく認識していたということであり、彼女の方だってそのときは俺たちと同じだったはずだ。
「あ、ああ、まあ、実は……彼女とちょっとあってな……さすが監察だな」
「いや誰が見てもわかるだろ。あの子明らかにお前のこと避けてたし」
 そうか、としょげた原田は、まるで友達を遊びに誘って断られた子どもみたいだった。原田は真選組の中でもいっとうでかくて強面のくせして、時折こういう少年じみた表情をしてみせる。嬉しいときは顔をくしゃくしゃにして喜ぶし、驚いたときは細い目を真ん丸にして純真無垢に声をあげる。思いのほか豊かに感情を表す方なのである。しかし、イコール感情的というわけでもなく、面倒事を軽くいなす年の功も持ち合わせていて、たとえば伊東が反乱を起こした際いつの間にか絡んでいた万事屋にたかられそうになったのを回避できたのは、こいつの見事なスルースキルのおかげでもあったりする。
 原田のそういうところは、そのまま彼女にとって原田の魅力なのだそうだ。
 そもそも彼女が原田に惚れたきっかけは、彼女の初めての見廻りの日、変な爺に絡まれたところを原田が助けてやったことだった。そのときの原田といえば、毅然とした態度で、でも不必要に凄んだりすることもなく、あくまで淡々としていてスマートだった……というのは彼女の談で、後から本人に聞いたところによれば、絡まれているとは気付かず「どうした」と声をかけただけだったらしいが、とにかくそんな風に大人の男を見せつけられた数日後、今度は見廻り中に迷子を見つけた原田が「お前から声かけてやってくれねえか。俺が近付くと泣かせちまうから」と自分の後ろに隠れたものだから、彼女はその子どもみたいな姿にきゅんとして恋に落ちてしまったそうだ。俺にはちっとも理解できない話だったが、どうもそういうことらしい。
 なぜ俺がそんなことに詳しいのかというと、彼女から定期的に恋愛相談をされているからであるのだが、同時に今のように原田からも話を聞かされていて、もうしばらく板挟みになっている。こういうのは大抵、実は両想いなのにいつまでもぐずぐずもだもだして、板挟みになった人間がじれったくてたまらなくなるのが典型パターンだと思う。もしこのふたりもそうだったなら俺はとっくにぶちギレて放り出していたことだろうが、でも、彼らの場合はちょっと事情が違っている。
 噛み切ろうとしたするめが思いのほか硬く、ちぎれた勢いで手をテーブルで打ってしまった。
「いてっ……で、何があったわけ?」
「……ちょっと控えてくれっつったんだ、ああいう態度を」
「それであのふられたみたいな気まずさ?」
「ああ……」
 ああいう態度、とはもちろん彼女の原田に対する態度だ。というのも、原田に惚れてからの彼女は見境がなかった。仕事中はいいとして、それ以外の時間はそれはそれはもうまるで原田以外視界に入っていないみたいに原田に夢中で、いつでもどこでも原田にくっついていた。原田の思わぬギャップに心を奪われ、そして、距離感を盛大に間違えてしまったわけだ。
 そんな、原田にまっしぐらな彼女の態度を俺は、若いなあ、微笑ましいなあ、と思う一方で、原田に対して同情もしていた。だって職場も兼ねた生活空間でそんな風にされるのは、通っている男子校の校門前に無遠慮な幼馴染の女の子がやって来てしまうようなもので、相当に落ち着かないし何より冷やかされる。それくらい、彼女の熱量はすごかった。そういうとき照れ隠しにつっけんどんな態度を取ってしまうのは、いくつになっても変わらぬ男の性ではあるのだが。
 原田の言った「控えてくれ」というのは要するに、もう少し節度を持った言動を心がけてほしい、とそういう旨を彼女に伝えたつもりなのだろう。でも、原田の言葉足らずゆえか彼女の若さゆえか――おそらくどちらも――、うまく伝わらなくてこじれてしまったということみたいだ。
 だったらはっきりすればいい……のだが、それができないからこうなっている。盲目的になっている人間に婉曲はなかなか伝わらないし、かといって多少はっきり言った結果がこれなのだ。原田の年の功もこの状況下では何の役にも立たない。
 じゃあいっそ付き合ってみたら? 俺がもしあと十歳若ければ軽くそう言っていたかもしれない。でももう三十五の俺は、同い年の男にそんなことはとても言えない。だって相手はついこの間まで十代だった子だ。女性の方が精神的に成熟しているといえど、愛に年齢は関係ないといえど、さすがに三十を過ぎた身からすれば子どものようなもの、いくら法律が成人だと認めようが未成熟ではあるのだ。彼女の人生はまだまだこれからで、今からたくさんの人間と出会って広い世界を知り、どんどん価値観が生まれ変わる。それに対してこちらは、安定していると言えば聞こえは良いが、要は人生もう消化試合に突入しているおっさんだ。そんなおっさんに熱を上げていたことなど、そう遠くない未来黒歴史になっていたっておかしくない。こっちだって、そこにさらに泥を投げつけるような真似もしたくはない。
 原田にとって彼女がそういう対象に入るのかどうかはっきりとは訊いたことがないが、彼女の未来を思えば応える気があったとて今すぐにとはいかない。
 でもそういう気持ちは若いうちには理解し難く、だからこそ原田も悩んでいる。
「……なあ、どうすりゃいいと思う……」
「どうって……」
 原田から話しかけられようものなら、それが仕事の話であっても無限大の喜びを全身から放出していた彼女が、たった二週間の間に原田を避けるようになっていたのだ。重症だ。それを解消する方法なんて……。
 酒もアテもなくなり手持無沙汰になった原田は、指でとんとんテーブルを叩いている。おそらく無意識に。少し前まで、こういうときこの手はすぐ煙草に伸びていた。副長ほどでないにしろ原田の喫煙量も結構なもので、禁煙なんてする素振りすらなかったのに、でもある日唐突に、自主的にすっぱり辞めた。ちょうど彼女が入隊して少しした頃のことだ。それについて原田は当時「時代の流れ」だとか言っていたが、それは嘘ではないにしろすべてでもないのは明らかだった。そんなこと周りの誰しもがわかっているのに、肝心のあの子だけがわかっていない。原田もわざわざ伝えはしない。
 恋愛感情の有無はさておき、彼女を大切に想う愛は間違いなくあるのだ。俺から見れば、多少特別な。彼女としては恋愛感情がないなら同じことかもしれないが、そもそもその根底の愛もきっとあまり伝わっていない。
 そういう機微はなんとなくでも察せそうなものだが、いかんせん言葉足らずのおっさんとまだ半分子どもみたいな女の子の間のこと。いい歳したおっさんには若い女の子相手の立ちまわり方がてんでわからないし、彼女だって同年代の男が相手ならアプローチの方法がまた違ったかもしれない。これはきっと文化や言語の異なる者同士のやりとりのようなもので、言ってしまえばふたりの間で行われているのはノンバーバルコミュニケーションだ。新しい上司はフランス人、ボディーランゲージも通用しない。だったら、これはチャンスと勉強しなおすしかないのではないか。
 え? どっちがって? そりゃあここは、年長者として。男として。
「まず謝って、誤解を解くしかないだろ。難しいとは思うけど」
 そうなんだよ、と原田の顔の陰が深まる。もうこの状態が二週間続いているわけだから、タイミングはとっくに逸している。でもだからといって、このまま放置も可哀相だ。
「ホワイトデー口実に何か渡せば? バレンタインもらったかどうか知らねえけど」
「もらってねえよ、バレンタインより前にこうなったからな……つーか、んなことしたら変に期待持たせちまうだろうが」
「じゃあ別に今のままでいいだろ。あの子、今もうお前への期待は欠片も残ってねえだろうし。でもこれは違うと思ってるからそんなぐずぐず悩んでんじゃねえの? だったら、もうひとつずつつぶさに話し合えよ」
「……」
 すっかり参ってしまっているこの様子を彼女に見せてやりたい。原田が君を想ってこんなに困って、悩んで、迷って、弱っている。こんな原田、君は知らないだろ?
「思ってること全部言やいいんだよ」
「他人事だと思って……」
「だって他人事だし」
 その他人事に、ずいぶんと付き合わされてきたものだ。今日だって早く寝たかったのに。それくらい、俺もふたりをほっとけないでいるわけだ。
 しばらくして、原田が細く長い息を吐き出した。
「まあ、そうだな……。腹括るわ」
 ぱん、と両手を腿に乗せて立ち上がり、俺の分まで代金を払ってくれた。

 それから、原田にも彼女にも何も相談されることなく迎えたホワイトデーの夜、花を携え彼女の部屋へと向かう原田を見かけた。
 花。もらったあとの手間があるから人によっては敬遠されるが、重すぎないプレゼントとしてはちょうどいいかもしれない。ただ、ひとつ気になったのは、原田が持っていたのがピンクの椿だったことだ。武士にとって最も避けるべき花である椿をわざわざ選んだからには、ただならぬ花言葉でもあるのだろうかと俺はすぐさまスマホで調べてみた。出てきたサイトをいくつか見て、そして、笑ってしまった。呆れ笑いだ。この期に及んでこんな調子で、本当にちゃんと話を進められるんだろうか。
 まあ、いいか。原田らしいといえばらしいのかもしれない。
 事の成り行きは、ふたりのみぞ知る。