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2025/12/14のWebオンリーで展示したお話です。
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かぶき町で朝食を
初めて神楽ちゃんの食べっぷりを見たとき、恍惚というのはこういうことなのだと知った。甘味楽園――甘味食べ放題のお店のことだ――のメニューが、小さな白い手によって文字通り端から端まですべてお皿に山盛られ、ぺろりと消えていく。ケーキやゼリー、プリンにサラダ、パスタなんかの軽食まで。その様子にマリッペとさきちゃんが呆気にとられるかたわら、私の鼓動はどんどん高鳴っていった。ひと口、またひと口と次々に食べ物が咀嚼され、喉の形を変えながら飲みくだされるたび、私は血湧き肉踊った。
食べることは生きること。創作料理屋の娘としてそう教えられてきた私にとって、その光景はあまりにも衝撃的で、圧倒的で、幻想的だった。そして、こう思った。
私の料理もこんな風に食べてほしい。
神楽ちゃんが大食らいだとは知らなかった。いつも酢昆布を咥えておやつにしているものだから、むしろ少食の美容家なのだと思っていた。訊けば貧乏だそうで、三食卵かけご飯の日もあるのだとか。今月はたまたまお仕事が順調で、今日なんとか一緒に甘味楽園に来られたという。
そんな生活、私には考えられなかった。なのに神楽ちゃんはこんな風に言う。
「大好きな卵かけご飯を大事な人と三食も食べられて幸せネ」
その健気さによって、私の願望は確かな目標になった。天命を受けたのだと思った。神楽ちゃんに、私の全身全霊を込めて作った渾身の料理を食べてもらうのだ、と。
「ねえ、今度はうちにご飯食べに来ない? 私料理には自信あるの」
帰り道、唐突に言いだした私をみんなが振り返る。
「えっ、お店のご飯じゃなくて作ってくれるの?」
「うん。私のご飯もみんなに食べてほしいな」
わあっ、と三人の顔が華やぐ。
「みんな好きなものとか嫌いなものある? メニューの参考にするから」
「メニューから考えるの? すごい!」
辛いものじゃなかったら大丈夫だとか魚が好きだとか、マリッペとさきちゃんが教えてくれたあと、私はにこにこするだけで何も言わない神楽ちゃんを見た。
「私はみんなと食べられたら何でもいいアル!」
元気よく、またそんな健気なことを言う。
「遠慮しないで」
「遠慮じゃないネ」
そう言われても私は物足りなくて、何かどうにか私の料理に付加価値をつけたくて、必死に提案を絞りだした。
「あ。だったら、神楽ちゃんの郷土料理とかは?」
「郷土料理って?」
「神楽ちゃんの星の料理のことだよ。どんなのがあるの?」
それは私も気になる、とマリッペが言った。すると神楽ちゃんは思いきり顔をしかめ、うげえという声とともに舌を出した。
「私の星、ろくなもんないアルヨ」
「そうなの?」
「うん。私、地球に来て色んな料理があること知ったネ。だから本当に何でもいいアル。私たちのために作ってくれたご飯なら絶対美味しいアルからな」
そうだね、と他のふたりも追随した。私はどうにか粘りたかったけれど、そこまで言ってもらっては引き下がるしかなかった。
目途が立ったら連絡するね、と伝えて別れ、帰って早速カレンダーを見つめる。ちょうどあと二ヶ月ほどでクリスマスだ。せっかくならクリスマスにちなんだ料理でパーティなんていいかもしれない。イブと当日はお店の手伝いがあるから、その何日か前に。メニューを考えて、試作に準備。うん、なんとか間に合いそう。父上にその話をしてみると、当日は店の座敷をひと部屋貸してやると言ってくれた。
三人にそれを伝えると、みんな大盛りあがりだった。日取りもすぐに決まった。
「キャッホォォォウ! 楽しみアル!」
いっとうはしゃぐ神楽ちゃんを見て私は身震いした。丹精込めて作った手料理が、あの大きな口に飲みこまれ、きれいに並んだ白い歯に噛み潰されていく。あの可憐な声を出す喉を通っていく。想像しただけでたまらなかった。
待ってて。絶対に美味しいものをたらふく食べさせてあげるから。
それから一ヶ月、私は暇さえあればメニューを考えた。ああでもないこうでもないと考えをこねくりまわし、ときには父上からアドバイスをもらった。食材の仕入れも協力してもらいながら、味はもちろん栄養から見映えまで、すべてにおいてバランスよくなるよう品を決めていった。
そうしてパーティを数日後に控えた日だった。立て続けに電話がかかってきたかと思えば、マリッペとさきちゃんがふたりしてインフルエンザにかかってしまったという。電話に出た父上が残念そうに伝えてきた。
「パーティは延期だな」
眉を下げる父上に、私は強く言った。
「神楽ちゃんとふたりでやる」
ふたりが治る頃には年末年始が目前で、次に会えるのは早くても年明け少し経ってからだ。二週間以上は先になってしまう。ふたりには悪いけれど、私はどうしても、どうしても早く、神楽ちゃんに食べてほしいのだ。
「ええ? クリスマスに合わせてえのはわかるが、ふたりが回復すんの待ってやれよ」
「四人ではまたもう一回やる。とにかく、今回は神楽ちゃんだけでも来てもらいたいの」
甘味楽園に行ったあの日から、私はこのパーティのために生きてきたのだ。あんな風に私の料理も神楽ちゃんに食べてもらう、その瞬間が待ち遠しくて、その光景を夢想するたびいてもたってもいられず、指折り数えてようやくあと数日のところまできたのだ。もう待てない。マリッペとさきちゃんにも手料理をふるまいたい気持ちはあるけれど、でも、それ以上に神楽ちゃんに食べてほしい。どうしても。
父上は何か言いたげだったけれど「そうかい」と受け入れてくれた。
翌日ふたりのことを伝えると、神楽ちゃんは少し声のトーンを落とした。
「そっかあ、それじゃあ仕方ないネ。ご飯楽しみだったけど」
「あ、違うの。だからね、ふたりでパーティしない?」
「ふたりで? パーティってふたりでできるアルか?」
神楽ちゃんは目をぱちくりさせた。
「できるよ。クリスマス向けにメニューを考えたから、できれば年内にやりたくって。マリッペとさきちゃんが回復したらまた改めてやればいいし」
「そんなに何回もやってもらっていいアルか? 私待つヨ?」
「私がやりたいの。何回でも食べてほしい。だから来てほしいな。ね?」
あんまりに私が懇願するものだから神楽ちゃんは少し呆気にとられつつ、けれどにっこり笑ってくれた。
「うん、じゃあ、お邪魔するアル」
その瞬間、全身ぶわっと鳥肌が立ち、背筋からぞくぞくと何かが駆けあがってくるのを感じた。
ついに。ようやく。あと数日で私の想いが報われる。
パーティ前夜に仕込みをし、当日の朝は早起きして調理にとりかかった。試作で何度か作ってはきたけれど、今日作るものは、いよいよ神楽ちゃんに食べてもらえるのだ。もう私の頭のなかだけに閉じた光景ではなくなる。
ともすれば手のつけられないほど昂ってしまう気持ちを抑え、私は調理に集中した。試作を経て手順はばっちり頭に入っているとはいえ、温度の調整や火にかける時間、湯から上げるタイミングなど、少しでもずれてしまえば味や食感が変わってしまうので気は抜けない。神楽ちゃんには、最高の状態で食べてもらいたい。
料理を並べ終え、私は急いで着替えて準備をした。
時間通りにやってきた神楽ちゃんは、いつもと同じ服に、髪はハーフアップにして髪飾りをつけていた。
「いらっしゃい。髪の毛いつもと違うね。可愛い」
「アリガト。パーティって言ったら、銀ちゃんがやってくれたアル」
神楽ちゃんは照れくさそうに言って、
「あとこれ、ツマラナイモノだけど」
と紙袋を差し出した。
「あ、魂平糖。お団子屋さんだよね?」
「知ってるアルか?」
「うん。美味しくって好きだよ。ありがとう」
昔ながらのお団子一筋でやっているお店で、小さい頃よく食べていた。嬉しい反面、三食卵かけごはんの生活をしている神楽ちゃんからお土産を受け取るのは何だか忍びない気もした。
「座敷まで案内するね」
パーティのために父上が開放してくれたのは昼の営業時には使わない座敷で、店の一番奥にある。長い廊下を渡りながら、一歩近づくたび私の胸は強く高鳴った。
あと数秒。数メートル。
震えそうな手で座敷の障子を開けた。
「うわあ!」
甘味天国でずらっと並んだケーキを見たときと同じ反応が背中越しに飛んできて、胸が詰まりそうになる。
「すごい、これ全部ひとりで作ったアルか?」
「うん。父上にアイディアをもらったのもあるけど、作ったのは全部私だよ」
へええ、とため息のような声を漏らす神楽ちゃんに座ってと促す。
八人用の座敷はふたりきりだとちょっとぽっかりしているけれど、代わりに机の上は料理でひしめいている。料理を目の前にした神楽ちゃんは、きっと早く食べたいのだろう、そわそわして少し落ちつかない様子だった。
「さあ、召しあがれ。好きなだけ食べてね」
「うん、ありがとう」
声を弾ませながら、けれど神楽ちゃんは取り皿を持ったままなんだか目が泳いでいる。
「どうしたの?」
「どれから食べたらいいアルか?」
「どれでも! 好きなように食べて!」
そう言うと、神楽ちゃんは少し遠慮がちに端の料理から順に取り皿にとっていった。甘味天国では取り皿が小さく不便そうだったから今日は特別大きなのを用意したのに、なかなか埋まらない。
「もっとたくさん、好きなだけ取っていいんだよ」
じれったくなってそう言うと、神楽ちゃんはやっとたくさん取り皿に盛ってくれた。
お皿がみるみる私の料理で埋まっていく光景は、それだけでも胸がいっぱいになる。このあと起こるメインイベントを引き立てる最高の舞台装置だ。
「一緒に食べないアルか?」
思わず見入ってしまい手が止まっていた。食べるよ、と私も適当に何をとっているのかもわからないまま皿に盛る。身体がふわふわして現実感がない。どきどきする。胸が高鳴るその音で鼓膜が破れてしまいそうだった。
「いただきまーす!」
元気よく言った神楽ちゃんの、その口元を見つめる。私の料理を挟んだお箸が、少しずつそこに近づいていく。
私は息を呑んだ。待ち望むあまり目の前が急にスローモーションになって、どんどんその遅さを増していく。私の料理は永遠に食べてもらえないのではないかという気さえした。
ああ、早く。早く食べて。
ついに神楽ちゃんの口に料理が入った。健康的な色の舌と私の料理は、形のよいくちびるが閉じられ見えなくなる。もぐもぐと咀嚼され、ごくん、と神楽ちゃんの喉が上下した。
「美味しいアル!」
「え……あ、本当? 嬉しい」
こんなの作れるなんてすごいヨ、と私のことを褒めながら神楽ちゃんが次々に料理を口に運ぶ。それを見つめながら、私は全身から力が抜けた。
甘味天国で感じたあの恍惚が、訪れるはずの昂揚が、一向に現れなかったのだ。
美味しいというのは断じてお世辞ではなかった。実際どんどん料理を食べ進めていっている。
なのに、どうして。
その日神楽ちゃんは八人分くらいの量を軽くたいらげ、私をたくさん褒めて帰っていった。
私は呆然としながら食器を片付けた。美味しそうに食事を食べてもらえた。なのに。
ジェットコースターで頂上まで上がりきり、ここからというところで何の前触れもなく乗り物がロープウェーに変わってしまったような、そんな拍子抜けがそのあともずっと続いた。
それから数日後のクリスマス、うちの店は盛況だった。開店からずっと手伝いをしていた私は、夜の八時頃になって足りなくなった卵を買いに大江戸マートまで走った。外は雪が降っていた。店の中にいたから全然気付かなかった。店から大江戸マートまでは人通りの多い道をすぐなので夜でも安全だけれど、ホワイトクリスマスを感じるには情緒が足りない。そんなことを思いながら大江戸マートの目の前までたどり着いたとき、少し離れた路地裏への入口あたりに万事屋さんたちがいるのを見つけた。
「銀ちゃんの方がちょっと大きいネ!」
「はあ? どっちも変わんねえだろ」
「絶対大きいアル!」
「いじきたないことばっか言ってんじゃありません」
「いじきたないんじゃなくてひもじいアル!」
「銀さん、どっちも同じなら交換してあげたらいいじゃないですか」
「嫌だね。何でも喚けば聞き入れてもらえるほど世の中甘くねえんだよ」
「おとなげないなあ……」
大江戸マートで買ったのだろう肉まんをひとつを等分しながら騒いでいた。結局万事屋さんが神楽ちゃんの肉まんと交換してあげて、三人仲良く小さな肉まんを頬張った。
そのときだ。私の身体を恍惚が駆け抜けた。甘味天国で感じた、あの。
私は愕然とした。
だって、どうして今なの? こんな寒空の下、神楽ちゃんが食べたのはたったひと口のコンビニの肉まんなのに。
そのあと、どうやって家に帰ったのかちゃんと覚えていない。とりあえずきちんと卵は買えていたみたいだけれど、気付けばお風呂にも入って、自室でぼおっとしていた。
あの肉まんのひと欠片で引き出せるものが、どうして私は引き出せなかったのだろう。私の料理は、何がだめだったのだろう。
いつの間にか雪の止んだ外を眺めていると、部屋の外から父上の呼ぶ声がした。
「昨日と今日と、店手伝ってくれてありがとな」
部屋に入ってきた父上は、私の頭を撫でた。
「うん」
「どうしたお前、元気がねえな。疲れちまったか」
そう言ってくれた父上に、私は一連の出来事を話した。甘味天国でパーティを開く決意をしたところから、さっきの大江戸マートで見たことまで。父上は時折相槌を打ちながら私の話を聞き、ひと通り聞き終えたところで、「そうかあ」と感慨深いような声を出した。
「お前、料理の味以外に食事で大切なもん、何だと思う?」
「……盛付や食べる場所?」
「ああ、そうだな。もう少し広く言うと、環境とかシチュエーションってやつだな」
「パーティのときは、シチュエーション悪かった?」
でも、あの日使った部屋は夜の時間帯に特別な客にしか開かない座敷だ。料理の見栄えだって、そりゃあプロには及ばないけれど、少なくとも甘味天国に陳列されているものよりはよかったし、食器だって皿やコップはもちろん、箸置きや取り分け用のレンゲに至るまでこだわった。それでも足りなかったなら、どうすればよかったのか。
困惑していると、父上がふっと笑った。
「いんや。お前の歳にしちゃ贅沢すぎるくれえだったんじゃねえか。お前の料理、俺ァ試作しか食ってねえが悪くなかったと思うし、盛付もよかった。あの座敷や食器ともよく合ってた。すべてがガキのパーティの水準を遥かに超えてた――ただ」
そこで父上の声色が一段穏やかになった。けれど、目はまっすぐ私を射るように見つめている。
「お前が張りきりすぎて、神楽ちゃんは気ィ張っちまったんじゃねえか」
言われて私ははっとした。
思い返してみれば、思い当たる節がいくつもあった。座敷で座った瞬間そわそわしていたこと、食べる順番なんて訊いてきたこと。今から思えば、緊張していたのだ。
もしかすると、いつもと違う髪型にしてきたこともそうだったのかもしれない。私があんまりに熱を入れすぎていたから、それに応えるつもりで。あれは神楽ちゃんのためのファッションではなく、私への気遣いだった。
そう考えればすべて合点がいく。珍しく友達と行くことのできた甘味天国で、たったひと欠片の肉まんを握りしめた道端で、神楽ちゃんに恍惚を感じた理由。私の料理で感じなかった理由。
恍惚の正体は、神楽ちゃんが料理という〈場〉を通じて心の底から感じた幸福だったのだ。
「まあ、お前の料理が悪かったわけじゃねえさ。元々来る予定だったふたりもいたら、また違ったかもしれねえな」
「――私、自分の料理を食べてもらうことしか考えてなかったや」
ひとりごとのように言うと、父上は小さく笑った。
「そうだな、ちょいと気が急いてたな。でもお前なりに良いもてなしをしようとしたわけだろ? 方向を間違っちまっただけさ。いい勉強になったってことで、次に活かしゃいい」
「……」
「なあにシケた顔してやがる。別に何も神楽ちゃんに嫌われちまったわけでもねえんだろ?」
それはそうだ。美味しいと言って全部食べてくれたのは、紛れもない事実。
「今度は皆で楽しく飯食えばいい」
父上はくしゃくしゃと私の頭を撫でた。
年が明けて、雪が解けて桜が咲いた。
「このへんにしようよ!」
マリッペが少し小ぶりな桜の木の下でビニールシートを広げる。
パーティのリベンジは、少し期間が空いてお花見になった。各自で食べ物を持ち寄る形式だ。マリッペはおにぎり、私はおかずを数種類、神楽ちゃんは卵焼き、さきちゃんはお団子。全員順番にお弁当箱を開けて、うわあっと目を輝かせる。
「色んな人に手伝ってもらったアル」
そう言って神楽ちゃんが開けたお弁当箱には、色んな卵焼きが入っていた。教科書みたいなシンプルなもの、中に海苔が巻かれているもの、少し形が崩れているものに――真っ黒の塊。
「これは?」
「これは気にしなくていいアル。食べちゃだめだヨ」
じゃあ何でそれを入れてきたのかはわからないけれど、でも、神楽ちゃんはすごく愛おしそうにお弁当を見つめている。真っ黒の塊も含めて。
それぞれのお弁当箱から少しずつ紙皿に取りわけ、全員で手を合わせる。
「いただきまーす!」
まずは皆最初に私のおかずを箸でとった。それらが全員の口に運ばれるのを、ひらひらと舞う桜の花びらのなか私はうっとりと眺めた。