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2025/12/14のWebオンリーで展示したお話です。
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   25時、ポンデリング1ダース

 深夜一時。静まりかえった部屋で、彼女がしきりにしゃくりあげる音だけがする。さっきまでは大粒の涙をぼろぼろこぼしながら大胆に鼻をすすり、自分を冷たく振った男への愚痴や未練を延々と吐き続けては時折言葉にならない音を放っていたから、これでもだいぶ落ちついた。
 彼女がこんな風に私を訪ねるのはこれで何度目だろう。五回を超えたあたりで数えるのをやめた。
 毎回ふしぎに思う。彼女はどうしてこんなに悲しむのか。どうして出会って間もない、どう考えても彼女のことを大切になんて思っていなかった男のために涙を枯らすのか。そんな男、彼女が傷つくほどの価値なんてないのに。
 けれど、それを伝えたところで彼女には響かない。
 言葉をオブラートに包みなさい、と異三郎にはよく言われた。そして同時に、伝えたいことはきちんと言葉にしなさい、とも。昔はそれを矛盾だと指摘しては得意げになって呆れられたものだけれど、あの頃よりはその塩梅もわかってきたつもり。でも、それでも私の慰めはいつも彼女に届かない。
 だったらいっそのことと「そいつ、私がバラしてきてあげる」そう言ったこともあったけれど、それも違うみたいだった。もうお手上げ。それでも彼女は私のところにやってくるから、私は何も言わずに彼女が泣いているのをただ眺めることしかできなくなった。
 行き場のない手を箱に入れ、ドーナツを掴む。十二個あったうちの、最後の一個。
 彼女はこういうときいつもこんなものを持ってやってくる。中身は決まって全部ポンデリング。十二個全部、ポンデリングだ。確かに好きではあるけれど、たくさんあるなら他のも食べたい。こういう思いこみが激しく極端なところが彼女を恋多き女たらしめているのかもしれない。
 ポンデリングをもちっと噛みちぎると、ふいに異三郎の声が聞こえた気がした。
 極端という意味ではあなたも他人のこと言えませんよ。
 わかってる。彼女とは違うベクトルで、自分も相当偏った性質であることは。だから今のは、異三郎の声をしたただの自意識。
 一ダースのポンデリングを食べ終わっても彼女は泣きやまない。これだけ泣き続けられる体力って結構すごい。
 彼女についてふしぎなことはまだある。毎回こんな風に激しく取り乱してはこの世の終わりのように悲しむ割に、一ヶ月も経てばすぐに違う男を見つけてけろりとしてしまうことだ。
 百歩譲って振られて悲しむことはまだ理解できる。たとえば、大切な人を失ったのだと自分にもわかる状況に置き換えてみたりすれば(ぽっと出の男が果たして大切な人なのかはこの際考えない)。でも、すぐに代わりの誰かを見つけることについてはどうやっても理解できそうにない。まったくもって理解不能。だって異三郎の代わりなんていない。
 人を愛することがわからないなんて、この期に及んでそんなこと言わない。だって私には異三郎がいたから。鈴蘭がずっとひとりの人間を待ち続けた尊さも理解しているつもり。けれど、それでもわからない。彼女がどうでもよさそうな男に入れこんで、傷ついて、そのたび私のところで泣いてはまた同じことを繰り返す、その行動原理が。
 ねえ異三郎、どうしたらいいの。あなた、まだ生きて私にもっと色んなこと教えるべきだった。
 それでも彼女はやってくる。理解ができず、だから励ましの言葉ひとつろくに思い浮かばない、悲しみを癒す術も持たない、黙って横にいることしかできない私のところへ。そうして気が済んだら帰って、次に会うときは新しい男を見つけてあっけらかんとしている。
 そう。どうしてあなたはどこの馬の骨とも知らない男の横では笑っているの? 私の隣ではいつも泣いてばかりなのに。私があなたを悲しませたんじゃないのに。どうしていつもドーナツなんて持ってくるの? まるで隣でうじうじさせてもらう対価みたい。そんなものなくたって私はあなたのそばにいるのに。
 なんだかだんだん苛々してきた。彼女のことが何ひとつわからなくて。
 あなたにとって私って何?
 わからない。ずるい。わからない。ああもう、何もわからない。
「ねえ、泣きやんで」
 いつもより少し強めの口調に彼女は少しひるんだようだったけれど、それでも「だって……」とぐずぐずしている。それで私が大きなため息をつくと、余計に泣いてしまった。
「いいかげんにして」
 膝を抱える腕を強く引っ張ると、さすがに驚いたようで目を真ん丸にしてやっと私の方を見た。その瞳からは涙がぼろぼろこぼれている。ひどい顔。
「私じゃだめなの」
 考えるまもなく言葉が出た。
「私より、あなたのこと何もわかってないような男の方がいいの? 私ならあなたにそんな思いさせない。私は何があってもずっとあなたのそばにいる。実際いた」
「……」
 彼女の嗚咽が止まった。涙も。今まで一度も止められたことなんてなかったのに。
 ねえ、と顔を寄せると、彼女が息を呑んだ。
 泣きやんだはいいけれど、今度は固まってしまった。濡れたまつ毛をわずかに震わせたまま、真っ赤な瞳でこちらをじっと見つめている。
 頬に触れると彼女はぴくりと肩を震わせた。涙の跡を親指で拭ってあげて瞳を覗きこんでみても、その奥に潜む感情は読めない。
「私じゃだめなの」
 くちびるが触れてしまいそうな距離でもう一度囁いた。彼女がぎゅっと目を瞑る。
 ねえ、それどういう意味なの?
 無防備すぎる。
 このままくちづけてみようか。そんな気持ちが一瞬、胸をよぎった。