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2025/12/14のWebオンリーで展示したお話です。
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   無限の果て

 坂本がやっと仕事にきりをつけられたのは夜遅かった。夜といっても宇宙を飛びまわる艦内、明確な時刻はないので、だいたい皆が入浴をしたり部屋でくつろいだりしている頃合いのことだ。
 食堂の入りはまばらだった。座っている面子も食事は終えて歓談している。放課後の教室のような空間のなか、入口近くに肩を寄せ合う三人の古株たちがいたので、坂本はその背後から「なーにをこそこそ話しちょる。わしも交ぜい」と声をかけようとしたが、ふと話の内容が聞こえて足を止めた。
 彼らは坂本の恋人の話をしていた。それも、彼女が陸奥に坂本の話をしていたというので、坂本は思わず距離を空けたまま彼らの話に耳を傾けた。

 彼女さんと副艦長が仲睦まじく座って喋っていたんだ。まあそれはいつものことだが、どうも彼女さんの方が深刻そうだったもんだからついうっかり聞いちまって――そうじゃなきゃ俺は盗み聞きなんて趣味の悪い真似しねえさ。
 で、彼女さんはこんなことを言った。
「自分が辰馬に釣り合ってるのか、って、最近思うことが多くて」
「釣り合う?」
 一体どうしてって思うだろ。副艦長も眉をひそめた。
「……こないだ、私が新しい商流を作ろうとしてたでしょ」
「作ろうとしたというか、作っとったな。それがどうした」
「結果的には作れたけど、あれは結局最後の最後で辰馬のひと押しがあったから成立したようなもので、私ひとりで作ったわけじゃないから」
「何じゃ。何かと思うたら……あれはむしろあそこまでひとりでもっていけたことに自信を持てばえい。奴もそう言うとったじゃろ」
「辰馬はどんな結果でもそういう風に言ってくれるよ……」
 副艦長は呆れたように眉を下げた。
「じゃあ何か、商いで奴の横に並ぼうとでも?」
「まさか。無理だよ……でも……」
 なんだか要領を得ねえなあと思いながら俺は聞いていた。副艦長もじれったそうに見えなくもなかったが、でも真剣に彼女さんの話を聞いてやっていた。
「辰馬って、人望があるでしょ。何があっても前向きで明るくて……いつでも人に優しくいられる余裕があって。それが商いの才能にもなってて」
「まあ、そうじゃな」
「そんな人の横にいるのが何もない私なんてって、思っちゃうんだよね」
 それはちょっと卑屈すぎやしねえかと思ったが、恋人は社長で自分は社員、仕事もプライベートもほとんどこの船の中、そんな環境にいればそんな風に思いつめちまうこともあるのかなあとも思った。艦長はスケールが違うからな。そう考えると彼女さんも不憫だが、もっと不憫だったのはそのときの副艦長だ。きっと得意分野じゃねえ話だろうし、しばらく言葉を考えていた。
 それでようやく出てきたのが、
「奴を買い被りすぎじゃ」
 だった。
「お前は奴を天井知らずの大物だと思うとるんじゃろうが、実際はただの底なしバケツなだけかもしれん。どっちなのかはわしにもまだわからんが、いずれにせよそういう男には、こんな繊細なことで悩んでしまうお前のような人間が合っとるんじゃなかか」
 うんうん、と俺は大きく頷いた。相性なんてもんは理屈じゃねえが、理屈で説明するならまさにそんな感じだと思った。さすが副艦長ってな。
 でも彼女さんはまだ納得いかねえようで「でも」ともごもご何かを言う。
「何じゃ」
「だって――」
 それまでうつむきがちに話していた彼女さんがぱっと顔を上げた。
「辰馬のすごいとこってそんなもんじゃないでしょ? まず笑顔が素敵。あんなガタイが良くて一見圧倒されちゃう見た目の人があんな笑顔で笑うんだよ? かと思えば一転して仕事のときの真剣な表情、あのギャップに落ちない人いなくない? なのに私がそんな人の彼女なんて……それに辰馬って包容力もあって――」
 ずっこけそうになった。そのあと何を言ったか細かいことは覚えてねえが、とにかく彼女さんは艦長をひたすら褒め倒していた。そう、まあ、つまり、相談という体の惚気だったんだな。副艦長はというと、もしかしたらよくあることだったのかもしれねえな、慣れた様子で聞き流していた。
 俺は心配して損した、とその場を立ち去ろうとしたんだ。でもそのとき。
「なら――」
 と副艦長がため息をついた。あまりにずっと彼女さんが喋り続けるもんだから、突き放すのかと思ったんだが。
 副艦長は彼女さんの手を取った。両手で、彼女さんの両手を包みこむように。
「お前をそんなに不安にさせる男なんぞ捨てて、わしのところに来るか」
 宝塚でも見てるのかと思った。突然、ふたりのまわりがきらきら輝きだして薔薇の花びらが舞いはじめたんだ。俺は見てはいけないものをこっそり覗き見しているような気になった――ああ、まあ、最初から覗き見だったんだが、とにかく。男が立ち入ったらいけねえような、澄みきったそういう空気に浄化されて消滅するかと思った。
 あれだけ弾丸トークだった彼女さんもすっかり黙っちまって、顔がみるみる真っ赤になっていった。
 そのままふたりは見つめあっていたが、しばらくして副艦長が吹きだした。名残惜しさの欠片もなく手を放し、「ばーか」と小さく笑って颯爽と去っていった。
 彼女さんも俺も、ぽおっとその後姿を見送った。

 何だそれ俺も見たかった、と騒ぐ男たちを坂本がぼおっと見つめていると、
「おい」
 強めの語気が飛んできてはっとした。振り向くと陸奥が眉をひそめている。
「あ、ああ、陸奥……何じゃ」
「それはこっちの台詞じゃ。こんな入口でぼーっと突っ立って」
「あ、すまんすまん、あはははは」
 坂本が身体を端に寄せると、ふん、と鼻を鳴らして陸奥が通っていく。
 凛としたその背中を見つめながら、坂本は思った。陸奥は彼女の手を握ったとき、一体どんな顔をしていたのだろうと。
 男たちが麗しい女の戯れと受け取ってはしゃいでいるさっきの話が、実際はきっとそうでないことを坂本は知っていた。坂本が彼女を見るのと同じ目で、熱量で、陸奥もまた彼女を見つめていることを、彼女を誰より見つめている坂本だけが知っていた。
 わしのところにくるかと陸奥が言ったのは、決して戯れなどではなく、そのとき耐えきれずに溢れてしまった本音なのではないだろうか。
 真実はわからない。坂本はこの先ずっと気付かなかったふりをするし、きっと他の誰かが知ることもない。陸奥が宇宙よりも深い、無限の果てまで葬った想いを。