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2026/05に発行した同人誌「爪先に薄氷」の一部を短編向けにアレンジした話です。これの直前くらいまでの話がサンプルで読めます。(サンプルはeventページ、またはpixivにあります)
※同人誌は完売しております。
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爪先に薄氷(短編用アレンジ)
風が吹き、窓が割れるんじゃないかと思うほど強く雨粒が叩きつけられた。その音にはっとすると同時に、土方さんが浴室から出てきた音がした。
いつの間に。家に上がるときはまだぽつぽつ程度だった雨脚がここまで強くなっていたこともそうだし、土方さんがシャワーを終えたことも。
さっき初めて土方さんと寝た。長らく指先ひとつ触れることのないただの飲み友達だったのに、関係が変わるのは一瞬だった。なめらかに連動して揺れる肩や腕、背中、腰に私はただただ必死にしがみついていることしかできず、いまだ色濃いその余韻にぼおっと浸っていたら、時間は瞬く間に溶けていた。
バスタオルを頭からかぶった土方さんが居間に入ってきた。髪から垂れた水滴で浴衣の肩口をところどころ染めた姿は、ゆるく結んだ帯も相まって、お風呂あがりの色気をこれでもかと振りまいている。
見惚れていると、土方さんが自分の着ている浴衣を引っ張った。
「これ、前の男のか?」
それがただただ野暮なだけの質問であるならまだ許せたが、あきらかに悪巧みをする顔で言うので私はむっとして口を噤んだ。ひとり暮らしの女の家にある男物の浴衣。それ以外何があるというのか。
浴衣は、隊服のままうちに上がった土方さんに私が貸したものだった。
私だってこの浴衣を出すかどうかためらった。土方さんに何か思われるのも嫌だが、かといって何も思われないのもそれはそれで寂しいし、どちらに転んでもいいことはないから。それでもパンツ一丁のまま一晩過ごさせるのも申し訳ないと思って出してあげたのだ。
黙ったままの私に、土方さんが鼻で笑う。
「冗談だ」
そう言って腰かけたベッドを手でぽんぽんと叩く。
「んなこと言ったら、こっちなんてもっとひでえしな」
意味がわからず首を傾げると、土方さんは意地悪く笑った。
「浴衣は新品みてえだが、こっちは中古だろ」
あんまりにひどい言い草で、もう、と枕で土方さんを叩く。
いてえ、と笑いながら土方さんは私から枕を奪い、その上に寝転がり「ほら」と腕を広げてきた。渋々その中に潜りこみ、鎖骨に軽く噛みついてやった。
「いでっ」
睨まれ、吹きだし、仕返しにくすぐられて……とじゃれているうちくちびるが重なった。窓ガラスを叩く雨音の合間に互いの呼吸の音を聞きながら、シャワーしたのに、とぼんやり思う。
「どうした」
土方さんがわずかに眉をひそめる。くちびるが離れると同時に私が笑ったからだ。
「一番中古だなと思って」
「何が」
「私」
目を瞬かせたあと、土方さんは思いきり顔をしかめ、私の鼻を摘まんできた。
「やめろ、そういうこと言うの」
若干引いてさえいる。そっちが先に言ったくせにという抗議は、再びくちびるを塞がれ封じられた。
そうして朝の四時、気怠い余韻をたっぷり孕んだベッドの上から急に覚醒したように土方さんは下りた。
「もう帰るの?」
「早朝訓練があるからな」
瞬く間にベッド脇に放られた服を拾って身に着けていく。その切りかえの早さについていけずに取り残された私は、肩透かしを喰らった気分でベッドの上からぼおっと生着替えを眺めることしかできなかった。正直なところ、初めて寝た日の翌朝なのだからもう少し甘い何かを期待していた。
私がいまだ仕組みをよくわかっていないベルトなるものを慣れた手つきで締めた土方さんは、早足に玄関に向かった。
「げっ、雨降ってんな。傘借りていいか」
戸を開けて顔をしかめる土方さんに「そこにあるの持っていって」と玄関脇に立てかけている大小二本のビニール傘を指さす。土方さんは一瞬迷って小さい方を手に取った。
「大きい方にしないの?」
「いや、これでいい」
「そう?」
変なところで遠慮するのだなと思っていると、外に出た土方さんが傘の下から振り返った。
「こっちの、小さい方はお前のだろ」
「……」
「傘、今度返す。またな」
返事をする間もなく玄関が閉まり、外階段を下りていく音がした。
傘はどちらも、急な雨の日に私がコンビニで適当に買ったものだ。大きい方も元彼の私物ではない。
こういうことをさらっと言ってくるところがよくない。そうは思うのに。
どうしても昂ってしまう感情を持て余し、その場にうずくまってやり過ごす。身体も心もうまく掴まれて、ばかみたいに浮かれて、私はどうしようもなく幸せだった。