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Twitterで企画参加させていただいたお話です(2023/01/28)。
企画:@yumenosyoka(Twitter)様
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   モノクローム

 手にかけた息がうっすら揺蕩った。その横で、墨を撒いたような空にぽっかり浮かぶ月に向かって、煙草の煙がまっすぐに伸びる。
 雪見酒でもどうだ。
 そう言われたのはさっきのこと。怪訝に思った私の視線を追った男とふたり、黙って庭を見つめた。ほとんど泥のような雪がでこぼこに横たわっているだけの庭は、確かに朝は一面輝く銀世界だった。けれど、若い隊士たちがはしゃいだおかげで、昼前にはすでに見るも無残なありさまになっていたはずだ。
 うん……いいけど。
 そのときのきまりの悪そうな顔といったらない。きっと、朝に思いついたそのままを口にしたのだ。
「何笑ってんだ」
 無骨な手が煙草を押し潰す。遠くから見ていた頃は知らなかったけれど、長い指の伸びるその手は、案外肉厚で、まめだらけで硬く、乾燥気味だけれどいつも温かい。
 一本一本が太くて濃い睫毛の下で、灰青の瞳が何かを探るようにして私を捉えた。「寒いか」と返事も聞かずに障子を閉め、私を抱き寄せる。空の猪口が息をひそめながら畳の上を転がった。
 硬い空気を遮る体温は心地がよかった。目を閉じると、額に柔らかい熱を感じた。かと思えば、誘い文句の稚拙さが嘘のような熟れた手つきで、あっという間に帯は放られ、私の背中は床についた。
 行燈のぼんやりした光が男の顔を横から照らしている。前が掛け合わされただけの、容易く暴けてしまうただの布を纏った私を見下ろす瞳には、熱が宿っている。
 それが、最近入隊した新人のことを思い起こさせた。

「副長は絡みづらいっすね。何考えてるかわかんねえんで」
 仕事に慣れたかという話の延長で、そんなことを言っていた。さらには「あ、怒ってるときだけはよくわかります」とも。
 新人は決まってみんな口を揃えて言う。副長はおっかない、素っ気ない、近寄り難い。だからよくわからない。本人もそう言われていることはとうにわかっていて、けれども飴の近藤さんに対する鞭だと自負しているので、むしろ好都合だとしている節がある。間違ってはいないけれど、それだって前提に信頼関係があってのことだ。衣食住を共にしているうちいずれ築かれるとはいえ、もう少しどうにかならないのかと思った私は、あることを彼に伝えてみたのだった。

「……さっきから何なんだ」
 ふてくされた声が降ってきた。また笑っていたみたいだ。何でもないと言っても、咎めるように目を細められるばかりで流してくれそうになかった。
「この間入ってきた子いるでしょ。あの子が、副長って案外可愛いとこあるんすねって言ってたの思い出してた」
 そのあることを伝えた数日後にそう言ってきたのだ。
 私が彼に伝えたあることとは、この男が怖がりだということだった。それを知って彼がどうしたのかは知らないけれど、
「ああ?」
 男は眉をひそめ、その直後にはっとした。何か思い当たる出来事があったらしい。
「……お前があいつに余計なこと言ったのか」
「新人隊士が副長と親しめるアドバイスをね」
「あのなあ……」
 はあ、と息を吐き、がくっと項垂れるように私の鎖骨のあたりに頭を乗せた。
「新人にナメられたらどうすんだ……いや、別にあれは、いきなりでびっくりしただけだけど、万が一あんなんでびびったと思われてたら事だろうが」
 胸元でもごもごと放たれるのはいつもの言い訳。
「一体何されたの?」
 それを聞き流しながら問うと「え」と頭が起き上がった。切れ長の目を丸く瞬かせる。
「お前がやれって言ったんじゃ……」
「え? 怖がりだとは教えたけど……あの子が何したかは知らない」
「……」
 フォローの鬼はどこへやら、失言をした、とありありと顔に浮かんでくる。下手くそなからくりのように、錆びついた音のしそうなぎこちなさで顔が逸れていく。そんな反応をされると、今まで気にならなかったものも気になってしまう。この様子だと、相当情けない姿を晒したのかもしれない。
「何されたの?」
「いや……別に、たいしたことは」
「教えてよ」
「い、いいだろ、んなこと」
 投げやりに言い放って、眉間にまた皺が寄る。それでも私がしつこく尋ねようとすると、無視して体重をかけてきた。
 旗色が悪くなると、いつもこうだ。隊士たちに正論で指摘されて言い返せないときも、業務上の不都合を隠蔽するときも。行き詰まって面倒になるとすぐ、力ずくで解決してしまおうとする。真選組の頭脳と言われ、実際確かに頭はきれるしそういう風に振る舞うこともできるけれど、でも本来は、二言目には斬るの口より手が先に出るタイプなのだ。
 くちびるを塞がれないよう顔を背け、今度はこちらが咎めるような視線を向けてやる。すると言葉に詰まり、みるみる顔が苦くなっていく。外部との交渉事なんかは上手くやってのけるくせに、こういうことになると、途端に弱くなるのだから不思議だ。
 こんなにわかりやすいのになあ、と思う。
「……だっ、だいたいなあ、こんなときにする話じゃねえだろ、そんな」
 ついに耐えかね、自分で言わせたことはすっかり棚に上げて、責任転嫁をしだした。
「他のおと…………」
 けれどすぐ、自分の言葉に虚を突かれたように口を噤む。今度は逆に、ぷつんと電源が落ちたように目は伏せられ、感情がすっと隠された。
 空気が、急激に水分を失ってひび割れるような、そんな張りつめ方をした。
 今の言葉に特に意味はない。単なる甘い戯れが、無意識に口をついて出ただけのことだ。けれど、だからこそ手痛いのだとその表情が物語っている。
「他の?」
「……」
 だんまりを決め込んだ顔に投げかける。
 こんなときに、はこっちの台詞だ。
 いやでも冷静になっていく頭で思う。わざわざこんなときに律儀にならなくても、と。
 まあだからこそ、この男はいつまで経っても器用に生きられないのだし、そういうところが愛おしくもある。
 けれど今は、ほんの少し恨めしい。
 ねえ、とひそめた声は、そんなつもりはないのに思いの外深刻さを帯びてしまった。それをどう捉えたのかはわからないけれど、小さな舌打ちが飛び出した。
「……だからっ」
 今する話じゃねえ、とついに口を塞がれる。
 呼吸することすら許してくれないような口づけだった。
 けれどもそんな強引なやり口に反して、その手は慈しむように私に触れる。まるで、恋人に対してそうするように。これが、ふたりの間に何ひとつ不安のない恋人同士の、愛を確かめ合うための甘い時間であるかのように。
 冷えた頭に一気に熱が上って、そんな錯覚に吞まれまいと着流しを強く握りしめた。
 そう、錯覚だ。事実じゃない。
 そして、それは錯覚したくなるほどの願望でもある。未来の青写真どころか、明日の生死も定かでない私たちが、見て見ぬふりをしている願望。
 だから口実が必要なのだ。“会いたい”をただ会うための理由にできない私たちは。たとえそれがどれだけ稚拙だったとしても。
 私を頼りなく包んでいた布が、とうとう役目を奪われる。その手つきだって、性急で荒々しいようでいて、あまりに慕情に満ちている。いつだって、触れたところから熱を生み、私の思考を奪っていってしまう。吐息の隙間で呼ぶ私の名前には、隠しきれない熱が滲み出す。
 本当にわかりやすい。わかりやすくて、困ってしまう。
 まるで、モノクロームにこぼれ落ちた極彩色のようだ。睦言ひとつないふたりの間に絶対的な熱量で以て痕を残し、忘れさせてくれないのだ。