※サンプルはWeb用の改行をしております。



 服を着たまま水面に向かっていくような感覚だった。なんとか意識が浮上しても、ゆっくり開いていく視界はぐわんぐわんとまわって定まらず、どちらが上か下かそれすらわからない。頭が痛い。胃がむかむかする。身体じゅうどこもかしこも、口の中まで気持ち悪い。
 そのままぼおっと、ただそこにいた。だんだん焦点が合ってくるにしたがい、ここが自室でも屯所でも、それどころか室内ですらないことに気が付いて、同時に生臭いにおいが鼻をついた。顔をしかめあたりを見まわす。大量のごみ袋の上に横たわっていた。うわっ、と声をあげ飛び起き、呆然とその場を見つめる。
 何でこんなとこに?
 そのまましばらく固まっていると、

「あ、いたいた。土方さーん」

 間延びした声に呼ばれて不本意ながら少しほっとした。

「昨日は羽目外しすぎちまったみてえで」

 しかし沖田の恰好を見てまた不安になった。袴は着崩れ、長着の右袖は引きちぎられたように半分ほど裂けて長襦袢が見えてしまっている。いつもは絹のような髪もべとついてところどころ跳ね、まるで乱闘後だ。自分の方はと見てみたが、着衣が多少乱れているくらいだった。

「惨事になってんのは俺だけみてえですねィ」

 沖田が裂けた右袖をつまみ、ぴろぴろ小刻みに揺らす。

「こんなとこで目覚めてる時点で大惨事だわ」

 ため息が漏れた。

「つーか、ここどこだ?」
「かぶき町らしいですぜ」

 沖田が電柱の表示板を指さす。

「近藤さんは?」
「さっきあっちで干された布団みてえに塀に引っかかってやしたが無事でさァ。起こしたんでもうじき来るでしょう」

 そう言っている間に、

「トシ! 総悟!」

 沖田があっちと指さした方から近藤が現れ、絶句した。全裸だった。

「オイィィイ! 全っ然無事じゃねえだろうが!」


「え? このとおり元気いっぱい、無事じゃねえですかィ」

 土方はさっきまで自分が横たわっていたごみ袋の山のうちひとつを開け、都合よく入っていたサマーニットとスラックスをひっぱり出した。

「おいトシ、ごみを勝手に持ってったら犯罪だぞ」
「全裸でうろつく方がよっぽど犯罪だわ! つーかその状態で他人の家の塀に引っかかってたの⁉」

 服を近藤に投げつける。誰にも見られなくて本当によかった。よりにもよってこんな日に。

「なあトシ、このニットちくちくする」
「屯所に戻るまで我慢してくれ。ったく、全身ケツまで毛だるまのくせにニットの毛はだめなのかよ」
「こんな安物の化繊と俺の天然毛を一緒にしないで」
「ああそう、そりゃ悪かった」
「ところで、おふたり」

 大きなあくびをひとつして、沖田が言った。

「昨日のこと覚えてやすか? 俺ァ途中からの記憶がすっぽ抜けちまってて、すまいるに行ったことは覚えてんですが何でこんな有様なのかさっぱりで」
「いやあ……俺もそんな感じだ。トシは?」
「同じく」
「そうですかィ。羽目を外したことしかわからねえってのは怖えもんですね」
「お前にもそういう感覚あるんだな」

 土方が言う横で、近藤が伸びをした。

「ま、とにかく帰ろう。ちょっとでも休まねえと」

 近藤が満面の笑みを浮かべて土方の肩を組んだ。

「今日はトシの結婚式なんだから」
「式が午後からでよかったですね」
「そうじゃなきゃ昨日飲みになんか行ってねえよ」

 今日、土方は挙式する。つまり昨晩はその独身最後の夜で、普段は揃って仕事を抜けづらい三人が出かけるのにちょうどいい口実だった。
 定食屋で気分よく飲んだあと、近藤の希望ですまいるへ向かった。結婚式前日なのにと渋る土方、独身最後だからこそだと主張する近藤、結論の出るのを黙って見届ける沖田。昨晩の記憶はほとんどないが、その光景が遠い昔のことのように感じる。目覚めた場所がかぶき町ということは、そのまますまいるで飲み明かしたのだろう。昨日何が起こってこうなったのか、一体誰がいくら会計をしたのか、気になることは色々とあるが一旦頭の隅に追いやった。こんな醜態をさらすまで飲むほど昨晩は楽しかったに違いない。
 残っていない記憶を思って土方は小さく笑った。

「喉渇いちまったなあ。ちょっとコンビニ寄っていいか」

 歩きだして少し、近藤が道から逸れた。確かに喉も乾いたし、胃や口の中が気持ちが悪い。土方と沖田もそれに続いた。
 ちょうど納品されてきたパンと一緒に入店する。飲料コーナーのそばに積み重ねられた番重を眺め、近藤が腹に手を当てた。

「ちょっと腹も減ったな」
「まじかよ」

 記憶を飛ばすほど飲んだ翌朝に。呆れつつ、けれどもこういうある種の逞しさや野性味に魅力を感じる女だって絶対どこかにいるはずなのに、と思う。口に出さないのは「自分は相手がいるからって! 結婚するからって!」と拗ねられてしまうからだ。

「……おい。トシ、総悟」

 レジに向かおうとしていた土方と沖田が振り返ると、近藤が顔の影を深めてパンの番重を覗きこんでいた。中はいっぱいにあんぱんが敷き詰められている。

「何だよ?」
「山崎どこ行った? 昨日一緒に飲んでたよな?」

 全員、無言であんぱんを見つめた。
 あんぱん。ザキ。山崎。
 有線放送の音楽が三人の間に流れていく。

「……近藤さん」

 沈黙を破ったのは沖田だった。しかつめらしい顔をした沖田の次の言葉を、息を呑んで待つ。

「昨日、山崎なんていやしたっけ?」
「いたって! おい、トシは覚えてんだろ⁉」
「……」
「お前もかよ! ほら、一軒目出てすまいるに行く途中でさ、会ったじゃねえか。あんときの記憶は残ってるだろ⁉」

 うーん、と顎に手を当て目を瞑る。
 一軒目の定食屋は確かに三人で向かった。店を出て、近藤がすまいるに行こうと言いだし、土方が渋った。しかし結局折れ、かぶき町に向かっている途中で――そうだ。そういえばそこで山崎とばったり会って、せっかくだからと合流したのだった。

「……いたな、山崎」
「だろ⁉ あいつどこ行った?」
「さっきのとこには他に誰もいやせんでしたぜ」
「俺ちょっと電話してみる」

 近藤が発信したが、しかし留守番電話に繋がった。監察の吉村にもかけたが屯所に帰っている様子はないらしかった。

「トシ、総悟。もう一回さっきのとこに戻って探そう。犯人は現場に戻るって言うし」
「何か違えけど戻んのは賛成だ」

 コンビニを飛び出しさっき目を覚ましたあたりをくまなく探すが、山崎本人どころか痕跡すらも残っていない。もう一度本人に電話をかけてみても相変わらず。

「そのうちふらっと帰ってくんじゃねえですか」

 沖田が頭の後ろで手を組みあくびをする。
 沖田と同じことを普段であれば思うし、放っておく。
 しかし、今日は結婚式だ。警察関係者が何人も参列する。昨晩多少羽目を外していたくらいであればいいが、もし昨晩何か大きな問題を起こしていたのなら、式が終わるまではどうにか隠蔽しなければならない。もし式の最中に大事が発覚すればお偉方の耳にも確実に入ってしまい、相当まずいことになる。
 だからさっさと事態を把握する必要がある。そして事態を把握するためには。

「……山崎探すぞ」

 寝不足に二日酔い。満身創痍の身体に鞭打って、三人は山崎を探しに出た。


(中略)
※まずは、すまいるに残っていた花子ちゃんに昨晩の話を聞くことになりました。


「山崎さんなんて、そんな人いてはりました? 三人は覚えてますけど」
「キャバ嬢が前日の客の顔も覚えてねえたあどういう了見でィ。大阪人の人情が聞いて呆れちまわァ」
「お前は同僚のくせに忘れてたただろうが」
「そう言うトシもな。そして俺もだ」

 土方が身を乗り出す。

「山崎に直接関わることじゃなくても構わねえ。俺らとの会話とか、何でもいい。思い出せることはねえか」
「それやったら、まあ」
「教えてくれ。かいつまむのが難しかったら順を追ってでも。何が手がかりになるかわからねえからな」

 花子がちらりと黒服の方を見やる。黒服は観念したように頷く。

「ほな、話しますね」

 その妙な空気は気になったが「頼む」と促した。


 昨日は、皆さん来店したとき既にちょっと飲んできてはったみたいでした。卓についてたんはお妙ちゃんとフリーのふたりやったかなあ。でも席に座るや否や近藤さんが「今日はトシの結婚祝いだ! 皆好きなだけ飲んでくれ!」って店中に響き渡るくらいのでっかい声で言わはったもんやから、空いてる子はみーんな寄ってきて、すぐ入れ替わり立ち替わりの大盛り上がりになりました。店の子だけやなくて近くの卓のお客さんなんかも交じって。
 私はそれが始まってから指名客に呼ばれるまでの少しだけ――そうですね、十五分くらいかな。その一回と、指名客の帰ったあとの合計二回、皆さんの卓につきました。まあさっき言うたとおりの状態やったんで、卓についたいうより盛り上がってんのに交ぜてもろたって感じでしたけど。
 そんなんやったから、私は皆さんとは直接喋ってないんですよね。
 私が誰と何喋ってたか? 最初は店の子と沖田さんのこと話してたかなあ。近藤さんから話はよう聞いてたけど、お会いしたんは初めてやったから。えらいきれいな人やんよう隣座らんわ、とか、そんなしょうもないこと。
 ほんで一旦抜けて、次戻ってきたんは一時間半後くらい。その頃には皆お酒も進んで何でそんな話になったかもわからんような、さらにとりとめもないことばっかし話してました。え? 例えば? こんなん手がかりになるとは思えませんけど……どこどこでツチノコ見たとか、ゆず胡椒には実は胡椒は入ってへんとか、職場の外国人カップルの彼氏が陳さんで彼女が満さんやねんとか、煩悩がどうたらとか、月は地球より時間が早く流れてるらしいとか――そやから言いましたやん、手がかりになるとは思えへんて。
 皆さんがどんな感じやったか?
 うーん、近藤さんはいつも通り。お妙ちゃんに絡んでは殴られ、酔いがまわったら脱ごうとするから皆で止めて――って、今気付きましたけど、近藤さんだけ昨日の服と違いますね。え? 朝起きたとき全裸やった? うわあ……でも少なくともうちの店におるときは脱いでませんでしたよ。
 沖田さんは淡々と飲みながら、次々変わってく隣の席の人と喋ってたと思います。男の人とも女の人とも。土方さんも、まあ、沖田さんと同じ感じで……え、もうちょっと細かく? いえ、はあ、わかりました。
 誰やったかが土方さんに、奥さんにならはる人のこと訊きはじめたんです。どこで知り合うたんですかとか、何の仕事してはる人なんですかとか、一問一答みたいに訊いては土方さんが答えてって、だんだん何て呼び合うてんのかみたいな話になって、きゃっきゃ言うてたんです。
 でも土方さんは全然のろけてくれへんくて。どんな人か訊いても「別に普通」で、どっちから好きになったんか訊いても「どうだったかな」やし、結婚の決め手は「そういう流れになっただけ」、プロポーズは「さあな」みたいな、煮えきらん答えばっかりでした。結婚式前夜やのに物足りへん感じはありましたけど、まあ照れてはるんやろなて思てました。代わりに近藤さんが「彼女さんはきれいでトシにぞっこん」とか「あんだけ好かれちゃ真選組一のモテ男だってひとたまりもねえよな」なんて補足してくれたから盛り上がってました。
 ほんでそのうち誰かが写真見せてほしい言うたんです。でも土方さんは持ってへんて。どうせ明日結婚式なんやからそんな照れんでもええですやんて皆で迫ったんですけど、どうもほんまに持ってなかったみたいで。前撮りの写真なんかも、携帯にも、一枚も。
 それがきっかけで皆がちょっと冷静なった、というか、冷めてもて。土方さん照れてはるんやなくてほんまに熱量が低いんちゃうか、て雰囲気になったんです。近藤さんの話もよう考えたら彼女さんばっかり好きみたいやし、さっきの煮えきらん答えは本心なんちゃうか、下手したらプロポーズもしてへんのちゃうか、そもそも結婚式の前日にキャバなんか来てる時点でなあ、みたいな微妙な空気になって。
 そこに土方さんが「結婚なんざ惚れた腫れたでするもんじゃねえんだよ」て油注ぐもんやからその場が水打ったようになってしもて。土方さんもさすがに「やってもた」て顔してはったけど後の祭りでした。


「それですぐお会計して三人とも帰らはりました。そのあと『土方さんええ男や思てたのにがっかりやわあ』て店の子らが」
「花子ちゃん、それくらいで」

 黒服に話を遮られ、花子がはっと口を噤む。

「ていう感じでしたね、昨日の晩は。何か手がかりになってたらええですけど」

 近藤と沖田が土方を見やる。言葉を失っていた土方は、ごほん、と咳払いした。

「……昨日の様子はわかった。時間取らせて悪かったな」

 そそくさと席を立ち、その後を近藤と沖田も追った。
 だから日付もまたがないうちに退店したのか。昨晩もきっとこんな風にすごすごと去ったのだろう。
 すまいるからしばらく歩いたところで立ち止まる。追ってきていた近藤と沖田も少し後ろで立ち止まった。

「トシ……」

 近藤の声に憐憫が滲む。
 土方は、黙って明けきった空を見上げた。
 結婚なんざ惚れた腫れたでするもんじゃねえ。言った記憶はとんとないが、そう言い放った自分は想像に難くない。昔からこれまで、挙式を数時間後に控えた今だって、その考えが揺らいだことは一度もない。照れ隠しでも何でもない。
 近藤が頭を掻きながら申し訳なさそうに口を開いた。

「なあ、ふたりはさっきの話で何かわかったか? 俺にはちっともだったが」
「俺もでさァ。本当に山崎がいたのかまた不安になってきちまいやしたぜ」

 土方も同じだった。
 誰の記憶にもない、伝票にも残っていない。潜入捜査であれば非のつけどころのない完璧な所作であるが、敵にまわるとあまりに厄介だ。


(中略)
※このあと三人はばったりハジに会い、昨晩三人がすまいるを出たあと見知らぬ坊主と一緒にいたことを教えられます。


「高天原に行くって言ってたでやんす。そこでお坊さんに煩悩について教えてもらうんだって。百八個に分裂したとか煩悩がどうとかよくわかんないこと言いながら」
「百八……」
「まあ確かに煩悩は百八個だけど」

 あれ。何かが引っかかる。
 はは、と笑うハジの声が瞬時に遠ざかっていく。
 百八個に分裂。煩悩。
 ぴしゃんと身体じゅうに電気が走った。

「ハジ、助かった!」

 言うより先に来た道を走って戻りはじめる。後ろから「また後でー! 二次会楽しみにしてるでやんすよー!」と元気な声が投げかけられた。

「おいトシ、どうした急に⁉ どこ行くんだ⁉」

 わけがわからないままついてくる近藤と沖田を目線だけで振り返る。

「さっきハジが 『百八個に分裂』っつってたろ」
「言ってたが、それがどうし――」

 言いながら気付いたらしく、「そうか!」と叫ぶ。土方は黙って頷いた。

「ワンピース百八巻の発売日か!」
「違うでしょう近藤さん、ワンピースはもう百十を超えてやすぜ」
「えっもう⁉ ついこないだ百巻記念とか言ってなかった⁉」

 土方はふたりの会話を黙殺し、来た道をまっすぐ戻る。
 山崎は三年前、瀕死の重傷を負って身体を改造され一度サイボーグとなった。それから二年後――つまり今から一年前、再び人間の身体へと戻ったが、その過程で人格が百八個に分裂し、それぞれ山崎本人の身体と百七体のサイボーグへ宿ったまま今に至る。
 煩悩の数は百八個という。昨晩自分たちは何かをきっかけとして、この数字と煩悩と山崎の身体に起こっている異変を結びつけ、解明しようとしていたのではないだろうか。それで坊主は警察としてはあまりに雑であるが。
 ともかく、すべてを結びつけるきっかけとなったその何かとはおそらく。
 角を曲がるとすまいるの看板が見えてきた。中に駆けこむと、帰ろうとしていた花子が階段を上がってきたところだった。驚いて止まっている花子に土方は詰め寄った。

「おい、昨日客と煩悩の話をしたってさっき言ってたよな⁉」
「え? ああ、はい。言いましたけど」

 ツチノコの居場所だとかゆず胡椒の話だとか、さっき花子は昨晩近くに座っていた誰かとした会話の内容を列挙していたが、その中に煩悩の話があった。聞いたときは取るに足らない話だと思っていたが。

「その話、詳しく教えてくれ」
「詳しく言うても、支離滅裂でようわからんかったんですけど……そのお客さん、人格が百八個に分裂してもうてどうのこうの言うてはって。何やそれ百八て煩悩かいなて笑ったら、それきり黙ってもうて。ちょっと不気味やったから、煩悩のことならお坊さんに訊いてみたらどうですー言うて話は終わりましたけど」
「そいつの顔や服装、覚えてねえか」
「えーっと……あれ? ごめんなさい、全然思い出せません。男性やったことしか」
「いや、構わねえ。むしろ今ので山崎だっつー確信が持てた」

 そんなインパクトのある話をしても簡単に思い出してもらえない、それこそが山崎である証拠だ。
 やはり山崎はいたのだ、記憶にも記録にも残っていないだけで。昨晩ハジに出会ったときも一緒にいたと見ていいだろう。

「助かった」

 そうとなれば次の目的地は高天原だ。


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土方パートはこんな調子でほぼ山崎探しで、その道中山崎の行方や土方の夢主への本音が判明していきます。
夢主との直接の絡みはあまりありません。

一方、土方と夢主のこれまでを見てきたさっちゃん(夢主の親友)は、土方の夢主への熱量をあまり感じられず、結婚式の当日になっても少しもやもやしています。
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 真選組の土方十四郎といえば面白みのない男、というのが猿飛の印象だった。月に一、二回松平のところで顔を合わせることがあるが、気の利いた会話ひとつしてきたことはない。その点においては近藤の方に圧倒的軍配が上がる。そういう男は大抵、ばか真面目さや底抜けの優しさでバランスをとるものなのに、土方は真面目と言うにはいい加減に見えるし、優しいと言うにはぶっきらぼうすぎる。容姿がそれに取って代わるのかもしれないが若いうちだけだ。そう思う猿飛は、土方に何の魅力も感じたことがなかった。男としても、人としても。
 親友がそんな男と恋愛をしている姿は想像もつかなかった。一体何に惹かれたのか気にならないこともなかったが、彼女から話してくるまでは静観することにした。
 なのに、それからそう経たないうちに、彼女が泣きながら夜道を歩いているのを偶然見かけてしまった。
 夜道といってもまだ二十一時前だったが、人の少ない通りだった。気配を殺さず近づいて、涙を拭く余裕を与えてから彼女に声をかけた。

「偶然ね」
「あやめ……今から仕事?」
「ええ。ちょっと出るのが早すぎて時間持て余してたんだけど」
「気合い入ってんだね」
「そうよ。生きる価値のないクズばっかりだもんでね」

 携帯電話を開いてメールのチェックをするふりをしながら、さりげない風を装った。彼女の空笑いが妙に痛々しい。
 送る宛もないメールの作成画面で意味をなさない文字を打ちこみながら、できるだけ深刻にならないよう努めて言った。

「あいつと何かあったの」

 彼女がはっと小さく息を呑んだ。
 土方は今大江戸病院に入院していると松平から聞いていた。公になっていない話だが、少し前に真選組と見廻組で一悶着あり、そのときに大怪我を負ったらしい。
 今いるこの場所は、その大江戸病院から彼女の家までの道だった。
 彼女は少し言葉を選んでから言った。

「無茶なことしてほしくないんだけど、そんなこと言えないから」

 辻行灯がぼんやり浮かびあがらせる彼女の輪郭は、今にも消えそうに見えた。
 言えないというのは彼女の気持ちの問題なのか、言える立場にないということなのか、あるいは、言って拒絶されたことがあるのか。わからなかったが、いずれにせよ土方が煮えきらないのだろうことは察せられた。
 ふたりの関係はおそらく平行線のまま、徳川茂々将軍が暗殺され真選組の解散が決まった。住まいを失った土方が江戸を出るまでの間、彼女のひとりで暮らす家に出入りしていたことに思うところがないわけではなかったが、猿飛自身そのときはそれどころではなかった。
 そうして二年後、生活が元に戻りふたりはまた一緒にいるようになったが、相変わらずのようだった。

「前から思ってたんだけど、あいつの何が良くて一緒にいるの」

 警察庁の一室で松平を待つ間、暇を持て余してなんとなくという風に爪を見つめながら訊いた。彼女も自分の手を動かしながら答えた。

「何でかなあ。何か気になっちゃうんだよね」
「ほっとけない的な?」

 そういうタイプには見えないが。土方も、彼女も。

「それもある」
「ふうん。何か意外」
「そう?」
「あんたはもっとこう、地に足のついた恋愛しそうだから」
「まあ、不毛だよね」
「そうね」

 彼女は整理してまとめた書類の束を、とん、と机の上で揃え、少し意地悪く笑った。

「でも、あやめには負けるけどね」

 そして「書類持っていってくるね」と部屋から出ていった。
 ひとり残された部屋で、苦虫をかみつぶしたような顔でドアを見つめた。
 ぐうの音も出なかった。不毛さでいえば、受け入れられさえしていないこちらに軍配が上がるのだから。いつか受け入れられることを期待していないと言えば嘘になるが、でもやっぱり見込みのほとんどないことは頭のどこかでわかっていて、それを踏まえたうえでその関係性を楽しんでいる節は多分にある。「それでも私が好きなんだから」。それに尽きる。
 そう、それはそっくりそのまま彼女にも言えることで、一方的に弄ばれているわけでもなく、土方のあれこれを承知で一緒にいる。いい歳の女がそう選択したところに外野が口を挟む余地はないのだ。
 でもそれなら、と猿飛は思う。気まぐれの優しささえ与えてくれない銀時の方がよっぽどいい男じゃないか。猿飛の特殊な性癖を差し引いて考えたとしても。
 考えているうち、だんだんと腹が立ってきた。彼女にではなく、土方に。いくら彼女が承知のうえとはいえ、応える気はないくせ彼女の気持ちに甘えてつかず離れずいるわけだ。無茶はしないでと、たったそれだけのことも言わせない壁を作っておきながら。
 気に入らない。都合がよくて、中途半端で、潔さが欠片もなくて、あんまりに男らしくない。
 彼女がそれでいいなら止めやしないが、本当はそれでいいわけがない。でも、きっと彼女の望む未来は選択肢にすらなくて、残ったもののなかで土方と一緒にいることを選び続けている。猿飛に許されることは、彼女がその選択をやめたときそっと隣に寄り添って、彼女の話を聞きながら土方を罵ってやることくらいしかないのだろう。
 あの日泣いていた彼女が、ふと胸をよぎった。
 彼女から結婚報告をされたのは、それからそう経たない頃だった。
 おめでとうよりも先に驚きすぎて、猿飛は固まってしまった。いつか耐えきれなくなった彼女が音を上げる日を覚悟していたから。

「よかったじゃない……ねえ、何があったの」

 今度はちゃんと彼女の目を見て尋ねた。その瞬間は、彼女以上に自分が喜んでいただろうと思う。でも。

「これっていうことはないけど……私の粘り勝ちかな」

 その返事に見過ごせない違和感を覚えた。
 話を聞けば、要は、頑なに首を縦に振ってくれなかった土方を強引に押しきった、ということだった。土方が折れるまでは紆余曲折あったようで、興奮冷めやらない彼女はその一部始終をドラマティックに、猿飛に気を遣ってか時折コミカルに話してくれたが、話を聞けば聞くほど笑えなくなって、胸のうちで膨らんでいた何かが急速に冷えて萎んでいった。彼女の熱意に対し、その逆――土方の熱量が一向に伝わってこなかったのだ。
 土方がどういうつもりで結婚することにしたのか。彼女のことをどう思っているのか。惚気になりそうな話を彼女があえて伏せていたとしても、土方の結婚に対する前向きさがあまりに見えてこなかった。経緯が経緯だけに、きちんとしたプロポーズもされていないのだと言う。
 胸によぎる様々を呑みこんで「積年の想いがようやく実ったってわけね」と言うと「大袈裟すぎ」と彼女は笑った。
 別れ際、

「幸せ?」

 そう尋ねると、

「うん」

 曇りなく笑うので、おめでとう以外に言えることはなかった。
 猿飛はふたりのことをあまり知らない。そもそも人と人との関係、特に男と女のことなんて、当事者にしかわからないことばかりで構成されていて、ふたりしか知らないあれこれがあり、彼女しか見られない土方だって当然いる。
 彼女が幸せだと言うのなら幸せなのであって、結婚まで決まった今、外野が何かを言うのは野暮というもの。
 けれどもそのとき胸の中で萎んだ何かの残骸が、彼女の結婚式を数時間後に控えた今も、しこりになってつっかえているのだ。


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さっちゃんパートは夢主との絡みが多いです。
サバサバあっさりした友情ながらも夢主のことが気にかかるさっちゃんを見ていただければと思います。

最後に、今回はくだらないコメディもあるので(主に土方パートで)少し載せます。
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※前夜、かまっ娘倶楽部で近藤がオスゴリラと結婚式を挙げていました。
※一度クビになったパー子とヅラ子がご都合設定のためこの日限定で働いています。
※全員相当酔ってます。

 よし、と桂が両腿を叩き立ち上がった。

「ならば善は急げだ」

 胸元から紙を取り出し近藤たちの前に置いた。エリザベス柄の婚姻届。

「いや待て待て!」

 慌てて立ちあがる土方を桂が制す。

「安心しろ。こんなに愛らしい装飾があってもちゃんと役所に提出できる。ちなみに書き損じても問題ないよう予備もあるぞ。ぬかりはない」
「んなこた心配してねえんだよ!」

 土方が噛みつく横で、近藤はゴリエとともにさっさと届を書き進める。

「おい近藤さん、本気か⁉ こういうのはせめて酒の入ってねえときに」
「止めてくれるな、トシ。ラブストーリーというものは突然やってくるらしい」
「あんたはどっちかっつーと101回目のプロポーズ顔だ、目を覚ませ」

 しかし説得むなしく、ふたりの記入の済んだ届が土方に突き出される。

「証人欄はお前が書いてくれ、トシ」
「いや、だから」

 土方、と桂がたしなめる。

「往生際が悪いぞ。慕っている近藤が誰かに取られるみたいで寂しくなるのはわかるが、ここは祝福してやるのが筋ではないのか。それでも武士か貴様」
「こんなオリジナル婚姻届持ち歩いてる奴に言われたくねえわ!」
「いいだろう羨ましいだろう。お前ももっと早く結婚を知らせてくれていれば渡してやったのに」


(中略)

 気の抜けた合図とともに、いつの間に示しあわせていたのか〈CAN YOU CELEBRATE?〉の大合唱が始まる。地を這うような低音のなかを、近藤とゴリエが神父のところまでゆっくり進む。

「総悟、俺ら一体何見せられてんだ」
「何って、結婚式でしょう」

 ふたりが目の前までやってくると、銀時は仰々しい咳払いをして姿勢を正す。それをなぜか息を呑み見守る周囲。

「えー、新郎近藤、あなたはここにいるゴリエを、病めるときも健やかなるときも……」

 数秒の間を置き「続き何だっけ」と銀時が背中を掻く。

「『雨の日も風の日も』ですぜ、旦那」

 沖田が口元に手をかざして助け船を出す。

「え、そうだっけ? 何か違くね?」
「あ、『雨にも負けず風にも負けず』でしたかねィ」
「ああ、そっちのがしっくりくるな。えーと、雨にも負けず」
「いやどっちもしっくりこねえよ!」

 思わず土方が立ちあがる。

「何で急に宮沢賢治⁉ 『喜びのときも悲しみのときも』だろうが!」
「あー、はいはいそうだ、それだ」

 銀時が土方を指さし、また新郎新婦に向きなおる。

「えーと、病めるときも健やかなるときも……あれ、なんだっけ今聞いたのに忘れた、まあいいか……それのときも、あれのときも、えー……これを愛し、敬い? 雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち……えー……だめになりそうなときも、負けぬこと逃げぬこと信じ抜くことを誓いますか?」
「ちょっと待てェェエ!」

 座ったばかりの土方がまた勢いよく立ちあがる。

「んな誓いの言葉聞いたことねえよ! いや部分部分はすげえ聞き覚えあるけども! むしろ何か微妙に原文と変えてあんのが腹立つんだよ! 近藤さんの結婚式なんだからちゃんとやれや!」
「うるせえな、こんなもん要は前途洋々とはいかねえ人生どれだけ困難にぶつかろうともふたりで支え合って仲睦まじく生きていくって誓えりゃ何だっていいんだよ」

 銀時が耳の穴に小指を突っ込んで言う。

「つーかお前も明日結婚すんだろ? これから家庭を持とうという男がそんな狭量なことでいいんですか? 姑なんですか? そういう本質を置き去りにしてどうでもいい細かいことばっかいちいちこまごまちくちく言ってる奴が他人とこの先うまく生活していけるとはとても思えませんね」
「んだとコラァ!」

 銀時の方へ飛び出そうとする土方を「まあ落ちつけ」と桂が取り押さえる。その横で沖田が「ぐうの音も出やせんねえ」と土方を野次った。