大至急戻ってくれとたった一言連絡が来たのは昨夜のことだった。もちろん何事かと確認しようにも音信不通で。仕方なく身一つで数年ぶりに戻ってきたのだ、警察庁警備局警備企画課に。
「……居ないし」
何年もデスクを使っていない割に埃一つなく保たれているのは、私の優秀な部下が小まめに掃除してくれているからだろう。それに比べて私を呼び戻した張本人のデスクには積み上げられた書類の山が今にも崩れそうになっている。あの状態を見るに彼は数日来ていないのだろう。せめて伝言とか残してくれいたら助かるんだけどね、見た感じどこにも残してない。
「そういえば前に弟子入りしたとか言ってたような気がしないでもない」
頑張って記憶を辿っても全然思い出せない。それもそうだ。秀才である彼が誰かに弟子入りしたなんてなんの冗談だと、本気になんてしていなかったんだから。
「………ダメだ。出てこない」
朝からこんな考えさせられるなんて、糖分が欲しくなってくる。こうなってしまえばもう何も思いつかないのは分かりきってる。止めよう。そもそも、メモなり何なりを残してない方が悪いんだから。もういっそのこと帰ってしまおうか。そんなことを考えていると、ガチャッとドアが開く音がして振り向くとそこにいたのは彼の直属の部下である風見裕也だった。
「…お久しぶりです」
「ナイスタイミング!ねえ、降谷って誰に弟子入りしたの?」
「え、?」
「弟子入り!誰かにしたって前に言ってた。誰なの?」
「………ああ。毛利さんです」
「毛利?」
「はい。眠りの小五郎で有名な」
「降谷が眠りの小五郎に?…探偵にでもなったの?」
「そのようです」
「組織の潜入は?」
「継続中です」
「こっちは?」
「ご覧の通り」
「で、新たに眠りの小五郎に弟子入り中の探偵を?」
「はい」
「ねえ、降谷ってバカなの?」
「?!」
「二足の草鞋じゃなくて、三足の草鞋じゃん。体に悪そ、私には無理だわ。よくやってるよ、君の上司は」
「……まあ、その三足の草鞋に限界がきてあなたに助けを求めてるのでは?」
「助け?降谷が?それはあり得ないわね」
あの降谷零が誰かに助けを求めるなんて、天と地がひっくり返ってもあり得ない。次々と同期を喪った時も、親友を亡くした時でさえも、誰かと哀しみを分かち合うこともせず、独りで仕事に明け暮れているのだから。
「それは降谷さんに聞かないと分かりません」
「分かった。どこかで降谷が待ってるのね」
「話が早くて助かります。降谷さんは米花町にある毛利探偵事務所の真下にある喫茶ポアロという店で、安室透として勤務されています」
「…………ん?勤務?」
「はい。くれぐれも降谷の名前は出さないように、と。それと、ポアロに来るときはコレに着替えてくれと」
言いたいことは山ほどある。山ほどあるが、それを風見に言ったところで意味がないのだ。こういうことは面と向かって降谷に言わないと。風見だって彼の被害者なのだから。風見が持つ袋を上から覗くと洋服が入っていた。
「喫茶店にスーツは堅すぎるもんね」
「ですね」
「まさかとは思うけどコレって降谷が選んだの?」
「そうだと思います」
「私の好みなのが腹立つな」
「紫藤さんに似合うものを選ばれたのだと思います。とても悩まれてましたから」
「………へえ」
「行くときは自分に声掛けて下さい。送りますので」
「それも降谷に?」
「はい」
「なら佐野に車出してもらうわ。聞いておきたい件もあるし、だから君はその分少し休みなさい。隈、酷いわよ」
「え、」
「そのポアロって店、あの子でも分かるでしょ。降谷には上手いこと言っておくから」
「あ、はい」
警備企画課を出て、空いている仮眠室で着替えようと渡された紙袋から洋服を取り出す。覗いたときにも思ったけどやっぱり私好みで、確かに今まで何度か私服で会ったことはある。あるけれど、それは警察学校の頃だし、あれからもう7年も経つのに未だに覚えてるのもなんかムカつくな。しかもこのワンピース絶妙に動きやすいし。しかも、可愛い。それもなんかムカつくな。降谷のくせに。
着ていたスーツが入った紙袋を置きに自分のデスクに戻ると、風見はもう戻った後のようで誰も居なかった。さてと、私も向かいますか。ここよりも少し騒がしいあの部署へ。
「いた」
「紫藤さん?!なんでここに!?」
「例の件の報告聞くついでに車出してもらおうと思って、来ちゃった」
「あ、はい、出します!でも…、その格好」
「降谷がね」
「あー、それでか!」
「?」
「先日、降谷さんから聞かれたんです。普段はどんな系統を着てるのか、って」
「なるほど。じゃあ、これは降谷の好みではないってことね」
「………たぶん?でも、すごく似合ってますよ」
「ありがとう」
「車回してきますんで、確認お願いします」
受け取った資料に目を通してつくづく思う。あのときこの子を選んで本当に良かった、と。そういえば降谷にはもっと刑事っぽい見た目のヤツにしろって最後の最後まで反対されたっけ。自分だって人のこと言えないくせに。
「以上です」
「ありがとう、助かったわ」
「やはり気になりますか」
「うーん。ちょっとね」
「もう少しこちらで探ってみますか?」
「んーーー………、あっちで少し探ってみるわ。君は一旦ステイで」
「承知しました」
「なんかさ」
「ダメですよ」
「まだ何も言ってないんだけど」
「ポアロ行くの面倒になってきたんですよね?ダメです。風見さんが可哀想なんで絶対に送り届けます。中に入るまで見てますからね」
「こっわ。見張られるの?君に?」
「はい。ちゃんと入るまで見張ってます」
褒めると大型犬みたいに、わっふわっふって喜ぶのにこういうときは獲物を逃がさないって鋭い眼で見てくるんだから。一体誰に似たんだか。
「着きました」
「……本当に真上に毛利探偵事務所がある」
「さ、行ってください」
「ねえ」
「嫌です」
「私も。なんか嫌な予感しかしなくなってきた」
「きっと気のせいですからもう諦めてください」
「………」
「あ、」
「なに、まだなにかあるの」
「ハムサンドがオススメですよ」
「ハムサンド?まあ、小腹空いてたし丁度いいか」
「ちなみにそのハムサンドは絶品すぎると有名だそうです」
「へえ、それは食べてみたいわね」
このまま近くで車を停めていると人目に付いてしまうのもあり、意を決して車を降りポアロへと足を向ける。本当に中に入るまで見張ってるんだろうかと振り返ると佐野と目が合う。ポアロを指差したかと思ったら、何やら口が動いている。よーく見ると "行ってください" って言っているようだ。本当に優秀だよ、君は。うんうん、と頷き今度こそポアロに向かう。
カランカラン−
「いらっしゃいませー。お一人ですか?」
「はい」
てっきり降谷が安室透としてくると思っていたら、可愛らしい女の人がとびっきりの笑顔で迎えてくれて、案内された席に座るまでに店内を見渡しても降谷の姿はなくて拍子抜けしてしまいそうになる。
「お決まりですか?」
「あ、ハムサンドとアイスコーヒーを」
たぶんこの子、ここの看板娘なんだろうな。笑顔も話し方も声も全てパーフェクトだもの。この子に癒されに通ってる人がたくさん居そうだ。カウンターに入っていく彼女を目で追いながらそんなことを思っていると、彼女は言った。あ、安室さん!丁度よかった、ハムサンドお願いします、と。
「………」
その声にバックヤードから出てきた褐色で金髪の男、安室透もとい降谷零は慣れた手つきでハムサンドを作っていく。うっそでしょ。あの子じゃなくて降谷が作るの?と、信じられない光景に驚いていると不意に降谷と目が合った。変なもの入れるなよという念を送ったのに、降谷はニコッと笑った。それも見たこともない胡散臭い笑顔で。
「梓さん。これは僕が持って行っていきますね」
いや、持って来なくていいよ。あの子でいいじゃん。なんでそんなニッコニコで来るのよ。心の中でツッコんでいても降谷は止まってくれるわけもなく、気づいたら目の前に座っていた。は?座ってる?!
「やっと来てくれたね。ずっと待ってたよ、藍」
「!?」
「はい、これ。僕が作ったハムサンドとアイスコーヒー」
ちょっと待った!なんだこの甘い声色、目線、雰囲気は!まるで恋人みたいな……。と考えたところで察してしまった。用意された洋服、突然の呼び出し、つまりはそういうことなのだろう。
「コーヒーはあなたが作ったわけじゃないでしょ。ちゃんと見てたんだから」
「僕のことそんなに見てくれていたなんて嬉しいよ」
私の知る降谷零は絶対に言わないセリフにゾワっとする。目の前にいる男は未だに胡散臭い笑顔を貼り付けているし、ダメだ、不快感が出てしまいそうになる。
「!」
「お味はどうですか?」
「……悔しいけど、美味しい」
顔に出てしまわないようにと、ハムサンドを口にしたのだが、想像以上の美味しさに驚いた。これは人気なのも分かる気がする。チラッと降谷を見ると、嬉しそうな顔で私を見ていた。
「藍のには特別に僕の愛情をたっぷり込めて作ったからね」
「それは平等に込めてあげて」
「それは無理なお願いですね」
「………それよりそろそろ持ち場に戻って」
「嫌だと言ったら?」
「仕事優先!」
「ですね」
名残惜しそうな顔をしながら降谷はカウンターの中に戻ってくれたのだが、事あるごとにこちらを見てくるのだ。勘弁して。さっきから私たちのやり取りを見ていた女性客からの視線が痛いんだから。いや、女性だけじゃないな。小学生くらいの子も穴が開きそうなくらい私をジッと見つめている。
「お姉さんってさ、安室さんの恋人さん?」
「どうして?」
「だって、安室さん。お姉さんのことだけ名前で呼んでるから」
「え?」