煉獄槇寿郎の保護した子供は、酷く衰弱しきっていた。鬼によって負わされた腹の裂傷は皮膚の表面を傷つけただけで内臓にダメージは負ってはいないものの、握りつぶされたのであろうぐにゃりと曲がった左腕は重傷だ。
 奇跡的に、早期発見でき、山を越えた一番近い藤の家で治療を早い段階で進められた為、じっくりと時間をかけさえすれば後遺症無く直すことができると医師に診断された。
 だがそんなモノよりも深刻な、想像が出来ないほどの心の傷が、今は怪我の所為で熱を出しうなされる子供にはついている。
 まだ自分の息子と同じ歳だろう少女の様な風貌の少年は、体に人為的と思われる傷跡が身体中につき、古傷の上に重ねる様につけられたそれは、あまりにも惨たらしく、一体誰がこんなことをしたのかと、槇寿郎はあまりの怒りに握り締めた掌から血が垂れるほどだった。
 この傷をつけられた時、どれ程の恐怖が、苦しみが、痛みが、彼を襲ったのだろうか。
 今まで数多の鬼を狩ってきたが、その中でも今回の様なケースは初めてであり、何より槇寿郎にとって悲しかった事が“死にたい”と、そう年端もいかない子供が泣きながら懇願する様を見たことだ。

哀れでならなかった。

 月明かりの下、鬼がふらしたであるろう血に濡れ、子供は底知れぬ絶望と悲しみに満ちた目をしていた。真っ黒に淀んだ目は、少年の体は、生きる事を拒絶する。
なんとかしてやりたいと、そう思わずにはいられない。

 槇寿郎は身重である妻、瑠火と相談し、快く彼女が「ならばここにおけばよろしいのでは」と、頷いたことで少年────────叶仁を家に迎えることにした。
 だが、保護をして二週間立つが、一向に叶仁は目を覚まさない。精神的負荷が脳にかかっている所為だろう、と医者は語る。彼自身が起きることを拒否しているのではないか、と。
 それを聞き、致し方ない、と、藤の家で目が覚めてからとも思ったが、長期間の戦いになることを見越し、それと、目が覚めて直ぐ場所を移動したら混乱するだろう、と言うことで、怪我による発熱が落ち着いた頃、なるべく体に負担がない様、煉獄邸に彼を運び入れた。

 齢六歳になったばかりの杏寿郎は、父によって抱えて運ばれてきた少年に興味が湧いて仕方なかった。
 まだ幼い彼は、二人から“新しい家族が増える、目が覚めたら仲良くしてあげてね”と言われ、今か今かと彼の目覚めを待ち望んでいる。
薄い白銀の様にも見える珍しい色彩の髪に長い睫毛、最初は女の子かと思ったが、父に聞けば自分と同じ男児ということに驚きつつも、目が覚めた時どんな話をしようか、怪我が治ればどんな遊びをしようか、と胸躍らせていた。
 父が留守の時にはこっそりと彼が寝かされた部屋に入り込んでは、眠り、時折魘される叶仁の手を取って落ち着かせると、今日はこんなことがあったんだ、あんなことがあったんだ、と声高らかに宙に向かって話したし、歳の近い子供自体が近所には少ないせい、というのもあり、家族としてだけでなく、友人として暮らせたらなぁと、大きな明るい色彩の瞳を輝かせていた。
 秋になれば弟が生まれると聞かされていたので、きっとどちらが兄なのか、と、言い合いになったりするのだろうか?と布団の中で想像していや俺が兄だが!!と高らかに声に出し、速まりすぎですよ、と母に怒られてしまったのは記憶に新しい。

こっそりと父と母が彼の心の傷を心配するような会話を夜、厠に行く途中聞いたことがあったが、まだそのことについて杏寿郎はきちんと理解ができる歳ではない。
だからこそ幼いながらの好奇心が打ち勝ち、彼の部屋に飽きずに通い詰めることができたのだ。目が覚めたとき、彼と友達になることを楽しみにして。

 そして、雨の降り続く季節、煉獄邸に移され一ヶ月たったある日の事、いつものように杏寿郎が手を握り、口を開こうとした時、ずっと眠り続けていた叶仁の瞼がふるりと動いた───────

▲▼▲▼

『──────』

真っ黒な墨汁を垂らした水の中にいるみたいだった。息苦しいそこではどろりとした物体が足元で渦巻いて、何事かを俺に向かって念仏のように唱えている。
聞き取れないそれの発するモノは俺に対する恨み言なんだと、なぜだかそれだけはすぐに理解できた。
びしゃりと直ぐ頭上で音がし、目に映ったのは赤色で、それは俺の頭からつま先までを染め上げて、錆臭い臭いを漂わせる。
なんだろうか?と、そう思って上に目線を送れば、血走った眼球が俺の事を射抜いていた。
そこで初めて、■■が死んでしまったことを思い出す。ぐらぐらと揺れる頭がかち割れて、彼を食べてるらしい鬼がゲラゲラ笑いだす。
頭蓋を胡桃みたいに割られた■■は形のない頭で“お前のせいだ”と俺に怒鳴り、地面に重たい音を立てて落ちると黒いどろりとしたそれに取り込まれた。
そして、それは俺に纒わり付き、ずりずりと泥の中に引き込もうとする。

──────嫌だ

そう思っても声が出ず、雁字搦めにされたみたいに身動きが取れない。恐怖や、悲しみや、嫌悪感、色んなものが俺の中で渦巻いて、心臓の当たりが包丁で刺されたみたいに、火傷を負ったみたいに酷く痛んだ。

そんな時だ。
自分の右手が暖かなものに包まれて、真っ白な空間に塗り替えられるのは。
 それは酷く暖かなもので、以前どこかで似た体験をした気がしたが、俺は思い出すことが出来ず、拘束の緩くなった■■から逃げるように明るい方へただ走る。
 光が強くなったその時、目が眩む様な白一色に、目の前が染まり、ひゅっと落下するような感覚に、現実に突き落とされる感覚に、あっ、と声が出た。

▲▼

 俺が目を開ければだんだんとクリアになる視界に、カッと目見開いて、瞳をまん丸にした変わった毛色の少年がこちらを見ている所が飛び込んできた。
 輸液チューブが繋がってるらしい右腕や、何故だか繋がれている右手の生々しい感覚に先程のことは夢で、現実に戻ってきてしまったんだ、と頭痛のする頭で理解する。

「は、母上ぇぇええええ!!!!彼が起きましたぁぁぁあ!!!!」
「い゙っ」

 回らない頭で眠る前の事を思い出そうとしたその時、突然の大声が室内に木霊する。耳がキーーーンッとし、寝起きに大変こたえる声に、文句を言ってやろうかと喉を動かそうとするが、かすかすと酷い風邪の時のように声が全く出なかった。
 喉に手を当てようにも左腕が固定されているのかピクリとも動かない。
 困惑する俺に気がついたのか、少年は「あ!水か!?水だな!?もってくるから少し待っていろ!!!」と握っていた手を離し障子を大きな音を立てて開け放ち脱兎のごとくその場を去っていった。

──────なんなんだアイツは……

 開け放たれた障子はそのまま、大きな足音は小さくなっていく。
 上手く動かない身体の中で、唯一ちゃんと動く首で周囲を見る。雨の降る外で、綺麗に整えられた紫陽花の咲く庭、シミ一つない襖、床の間に置かれた一輪挿し…それだけでここがどこかの屋敷なんだとわかるし、それもこの俺の眠らされてる布団にしても、肌触りがいいように感じる。
 まさに、どこかの良家の屋敷、という感じだ。

 そして、あの少年の髪色やらを思い出せば、嫌でも■■のことが現実に起きたことで、尚且つ、俺は死なずに生かされた……ということがわかる。
 あの俺が食われるのを止めた奴の仕業だ。意味のなさないことをよくもまぁしようと考えたものだ。
 カラカラの喉で空気を吸い込んで、深く吐きながら体に、腕に力を入れる。右側に寝返って、震える腕でまずは上半身を起こした。長期間寝ていたのだろう、腕は前よりほっそりしているし、今この状態で体を起こすのも危うい状態か。
 ここから去るにしても立つ事がやっとだろう。怪我をしているらしい左腕が酷く痛み、じんわりと滲んできた脂汗に、思い通りにならない体に嫌気がさす。

「あまり動かないほうがよろしいですよ」
「っ?!」

 その時、凛とした女性の声が雨音に混じって俺の耳にすっと入ってきた。驚いて上を向けば、上品な着物を着た黒髪の、少し下腹部の膨らんだ綺麗な女が廊下に立っていた。
 ゆっくりとこっちに近づいてくる彼女に、来るな、とカスカスの喉でいえば、一瞬動きは止まったが、またすぐに俺に近づいて着くる。
 目線を合わせるように座り、こちらに伸ばされる真っ白な手に、言いようのない悪寒が走って畳についていた手で払いのける。
 パンッという高い音と、俺がくづれ落ちる音が重なり、口の中にわずかに分泌された唾液を飲み込んで、下から睨みつければ表情を変えず、また手が伸ばされた。

「大丈夫、安心なさい…体を布団に戻すだけです。それ以外には何もしませんから」
「ーーっ、」

肩に彼女の手が触れて、ぞわぞわぞわと肌が粟立つ。カチカチと歯がなった。ぎゅっと、目を閉じて体を固くすれば、身体が傾き、ゆっくりと、背中から布団に寝かせられた様だった。
恐る恐る、目を開けば天井が写り、俺を落ち着かせる為なのか、なんなのか、優しげに微笑んだ彼女はゆったりと俺に語り掛ける。

「私は煉獄瑠火、貴方が今なぜここにいるのか疑問に思っていることでしょう。
それについては一度、貴方が重湯を食べてから話をすることにします。
流石に、一ヶ月半以上眠り続きだったのですからお腹が空いているでしょう……大人しく横になっていなさい。」

煉獄瑠火と名乗る彼女の言葉に絶句した。
煉獄という苗字、そして、俺が眠っていた時間について……
煉獄、というのであればやっぱり、この女の人も、あの鬼を殺した人も俺の知っている人物なのだろう。
本当に現実には普通ありえないことが起きすぎて頭がパンクしそうだ。
それに、そんなに長く眠っていたからただでさえ余りない筋力が衰えてしまったのか。
いや、別に眠り続けてそのまま死ねるならそれで良かったのになぜ俺は目を覚ましてしまったのだろうか?
考え込む俺に、彼女が腰をあげようとしたその時、廊下からだだだだっと地鳴りのようなものが聞こえ、スパーンッ!!と、勢いよく障子が開いた。

「待たせたな!!!!水を持ってき……母上!!!」
「……杏寿郎、廊下は走らないようにと言ったはずですが?」
「待って欲しいです!!母上、早く彼に水を飲ませてやらねばと!!」
「その水がほとんど入っていないように母には見えるのですが……?」
「!……よもやぁ!!!!?」

真ん丸の目をかっぴらき、コップの4分の1程しか注がれていない水を見て、少年は素っ頓狂な叫び声を上げた。
あわあわと慌てる少年は、母上コレを!と、そのコップを彼女に渡して、俺は廊下を拭いてきます!!!!と障子の向こうに消えていく。
まるで嵐がさったあとのようで、彼のテンションに付き合う事も、その気も無いのでしばらく来ないで欲しい。

「ごめんなさいね……あの子は貴方が目覚めるのをずっと待っていたから……はしゃいでしまっているようです」

頭を抑える彼女は、寝かしたばかりですが、少しだけ水を飲みますか?と僅かに入ったそれを手に首を傾げる。
人の手から飲む気にはなれず、無言でいれば、意を組んでくれたのか、枕元から少し離れたところにコップを置くと、「では重湯を作ってくるので大人しく横になっていてね」と、去っていく。
障子が音を立てて閉じられ、部屋には俺だけになった。

優しそうな人だった。だからなのだろうか、俺は酷く恐ろしいと思ったのは……

「、っ、」

いつの間にか右手にぐっしょりとかいていた冷や汗を布団で拭う。
そのまま、身体がうまく動かず逃げ場の無いこの場所で、どうにかしようと、横向きになんとか転がって、胎児のように体を丸めた。
聞こえてくる足音に心音が大きくなるのを感じながら、きつく、きつく、瞼を閉じ、真っ暗な空間に閉じこもる。
早く自由になりたい、そう、ただその事を願って。


❀✿❀✿
戻ってきた瑠火が見たのは、幼い子供が自分自身を守る為に小さく小さく布団の中で丸まり、震えている姿だった。
一瞬、その姿に動きを止めるも、こういう反応が来ると覚悟をしていた彼女は、落ち着いた姿勢で彼を驚かせないように、ゆっくりと、座り、重湯を枕元のすぐ側に置き、「起きていますか?」と、語りかける。

「重湯を持ってきました……その状態では食べられないでしょうから背を支えて貴方にこれを食べさせます
嫌でしょうが身体を動かせるようになる為です
我慢なさい」

貴方の心の準備が出来てからで結構です。と、そう続ける瑠火に、叶仁は、更に小さく体を一度縮こませて、深く、深く、息を吐いた。
確かに、このままでは話す事も、何をするのにも支障が出てしまう。
ギリッと奥歯を鳴らす。不自由で何も出来ない歯痒さに泣きそうだった。
冷えきった指先で布団をかく。掛け布団から頭をひょっこりとだし、髪に隠れていない薄い色彩のどんよりと濁った瞳が瑠火を射抜いた。

「……食べれますか?」

そう言って見下ろしてくる彼女に、渋々、叶仁は小さく頷く。
「そうですか」、と、零す瑠火は、「それでは布団を捲ります」「背中に腕をまわしますね」と、一つ一つの動作を口頭で先に伝え、その伝えた通りに彼の補助をする。
これには予め叶仁も心の準備をする余裕ができる為助かった。

叶仁のことを気遣いつつ、やっとこさ、程よく冷めた重湯を彼の口に運ぶ。
突然の食事に胃がびっくりしてしまわないように、ほんの少しずつ、匙で雛鳥のようにご飯を与えられる。
だが、その時、ほんの数秒叶仁は動きをとめた。
それは何故かと言えば─────味が全くしなかったからだ。
重湯と言っても薄い塩の味や米の風味がするものだが、そんなものは全くせず、ただとろみのついた無味の液体でしかない。
その変な気持ち悪さにぐっと顔を顰めながらも、こくり、こくりとなんとか飲み下そうと小さな喉を動かす。

(まずい、まずい、まずい)

瑠火の手から匙六杯分を時間をかけて腹に収めれば、「あまり無理しては吐いてしまいますからこれぐらいにしておきましょう」と、重湯の入った器を下げてくれた。
汗でぐっしょりと髪を、服を肌に張り付かせる叶仁の容態を見ての判断だろう。

「良く、頑張りましたね」

再び彼を寝かせる瑠火は、布団を首元まで掛けてやれば、声は出そうですか?と尋ねた。
その言葉に、叶仁は小さくあー、と声を出す。まだがらがらとしているし、掠れて小さいけれど、出せるには出せるらしい。
その事が分かれば、ほっと、瑠火は息を小さく吐き、では、少しお話をしておきましょうか、と切れ長の目を彼に向け口を開いた。

「私が貴方に今現在説明できることは二つ……
まず一つは、あなたを襲った存在のことです」
「……」
「あれは、鬼と呼ばれる存在……人を食糧とする簡単に言ってしまえば……化け物です
特別な刀か陽の光でなければ奴らが死ぬことはありません」
「……そう」

小さく意味のある言葉を発した叶仁に微かに目を見開き驚いた瑠火はきゅっと、唇を噛む。
少し緊張したように手を少し強く握りながら、二つ目は……と、口を動かした。

「貴方の傷の具合についてです
奇跡的に早期発見が出来たため、貴方の腕はこのまま順調に治していけば後遺症なく治るそうです
ただ、それまでは長い時間がかかるそうなので、貴方をこの家で引き取ることにしました」
「……は?」

何を言ってるんだ、と、そう言わんばかりに怪訝そうな顔をした叶仁は、「寺院にでも、いれればいいだろ」と、なんでそんなことする必要があるんだと、彼女を睨む。余計なお世話だと言うように。

「……最初に謝ります、ごめんなさい
貴方のことを看病する時に身体の傷を見させて頂きました
それを見て、こうした方がいいのではないかと夫と話した結果です」
「あんた、ほんと馬鹿なの?」

はは、と、乾いた笑いを零した叶仁は、シワが出来るほどに右手で布団をきつく握る。

「傷をみたのはどうでもいいよ…
たださぁ、アンタらが勝手に俺の醜い体見て勝手に憐れんで、可哀想だから助けてあげようだとか思ってんなら……ここに居ること、俺は頼んでねぇし望んじゃいねぇ今すぐ外に放り出すか人買いに売っちまえよ」

案外俺顔がいいからいい金になるしなと濁った目を歪めて、なんなら春を売る場所でもいいんじゃねぇの?とからからと笑い出す彼に、「おやめなさい」と、強い口調で彼女は言った。

「親にもらった身体を蔑ろにするのではありません」

その言葉を聞き、ぴたり、と、叶仁は動きを止めて表情を消す。
口を閉じ、引き締める様子に、おや、と、思った時、障子越しに「ここを開けてもいいだろうか」と、低い男の声が響く。
瑠火は、よろしいですか?と、叶仁に訊けば、「勝手にすれば?」と言いつつも、ふい、と視線が外される。

「大丈夫ですが大声は控えてくださいね」
「わかった、気をつけよう」

そういって、入ってきたのは少し着崩れた着流しを着た槇寿郎だ。
任務から帰り、慌てて着替えたのか少し帯が歪んでいる。

「おかえりなさいませ……早く戻られたのですね」
「鴉から知らせを受けてな」

走って帰ってきた、そう腕を組みうんうんと頷く槇寿郎は、「それで?具合はどうだ、少年」と、叶仁に話しかけた。

「……見てわかんない?最悪だよ」
「そうか、最悪か……」
「アンタがあの時もう少し遅く来てくれれば最高だったのにな」

そういった叶仁は、身体にググッとあらん限りの力を込め、横に転がりながら、何とか、自分で身体を起こそうと腕に力を入れる。
先程とは違い、よろけながらも上半身を起こした叶仁は、激情に駆られるまま、すぐ近くに座る槇寿郎の胸元を非力な腕で強く強く叩いた。
止めようとする瑠火を制しつつ、槇寿郎はなぜ、そんな事を言うんだと落ち着いた声音で問いかける。
わなわなと震える叶仁は、下からぎろりと槇寿郎を睨み、「そんなの死にたかったからに決まってんだろ!!」と、悲痛な叫びをあげた。

「なんで、なんで邪魔したんだよ!!
あの時、あと少しで終われたのにッ!!
ッ、俺はもう生きたくなかったのになんで死なせてくれねぇんだよ!!」

ふざけるな、ふざけるな、なんで、なんで、と駄々をこねる子供のように、ダンッダンッと、また数度強く拳を振るう。
それはあまりにも痛ましい光景だった。
彼の叫びを、あえてそのまま抵抗をせず、止めることもせず槇寿郎は受け入れる。

「生きたらまた地獄が待ってるのに、なんで終わらせてくれない、っ!!
俺がなにしたって言うんだよ!!」
「君に、そのまま死んで欲しくなかったからだ」
「っ、」
「黙って連れてこられ、家に住まわせると言われ君は大変困惑している事だろう
だがな、俺はそうしてよかったと、そう今思っている……
君にもう一度、生きたいと、そう願って欲しい」
「ーーっ!!」
「悪い大人が君に非道な行いをしていた、それをもっと早く周りの大人が気付き、君を保護するべきだった」
「うる、さいうるさい!!!気づいて何が出来る!?売られた餓鬼なんて俺みたいな餓鬼なんてそこら辺に沢山転がってる!!!それに一々テメェは可哀想だからと保護すんのか!?
はっ!!大した偽善だよ反吐が出る!!!」
「確かに……そう思われても仕方が無いだろう……
けれど、今回の件、君については俺にも責任がある
俺が遅れてしまったばかりに、さらに深い傷を負わせ、君の友人であろう少年も助けられなかった」
「あんなやつ友達でもなんでもない!!!!!!!」

喉が張り裂けそうなほどの叫びだった。
しんっと、静まる室内に、ただ、叶仁が肩で息をする音が響く。

「嫌いだ、身勝手な大人も、良心を押し付けてくるやつも、何もかもッ大っ嫌いだっ!!!」

見世物小屋で買われたからには自分は人でなくてただの骨董品たちと同じような商品、所有物でしかない。つまりはあの見世物小屋で自由になるには誰かが自分を買うか、脱走するかの二択しかないのだ。

だから脱走した。身勝手な大人から、あの今まで地獄だと思っていたあの場所から。
けど、それがなんだったのかと言うのか。
信じてた人間は俺をただ利用していただけだった。良心なんてものは、クソの役にも立たない。
それのせいで俺は、その押しつけのせいで自分は今、この状況に陥ってる。

何もかも、終わりにしたかったというのに。

ぐるぐると目が回る。激しい感情の起伏で頭がオーバーヒートを起こしたように、ぐらりと揺れた。
睨みつけた先に、叶仁の瞳に映るのは昔、誰かに向けられたことのある目をする槇寿郎で、それが酷く心臓のところを針で串刺しにした様にチクチクとした痛みを与えてくる。
ひゅうひゅうと喉が鳴り、だんだんと息苦しくなって、げほげほと叶仁は咳をしはじめた。
苦しげに自分の胸元を握り締める彼に、慌てて瑠火は背を撫でる。

「槇寿郎さん、彼をこちらに」
「瑠火、」
「一度に負担をかけすぎたようです……もう休ませてあげてください……
落ち着きなさい、大丈夫ですからね、」

私に合わせて呼吸をして、と、とん、とん、と、背を叩く。
苦しさから涙目になり、はっはっ、吐息を漏らす叶仁は、瑠火にもたれ掛かりながら、過呼吸を、落ち着かせようとなんとか息する。
起きたばかりの身体にはあまりにも負担が大きかったのだろう。
呼吸を落ち着かせる頃には、プツリと意識を落とし、涙で真っ赤に目元を腫らしていた。

「……すまない……配慮が足りていなかった」
「それについては私ではなく、彼が起きてから謝ってくださいな」

落ち込む槇寿郎に、すっぱりと瑠火はそう言うと、眠る叶仁を布団に優しく横にして、はぁ、と息をこぼす。

「彼の傷は……思った以上に深いようです……」
「そのようだ……どう、また話をするべきか……」

俺の話を聞いてくれるだろうか……そう、考え込む彼を横目に、瑠火は憂いの表情をして、叶仁の頭を撫でる様に髪を指先で梳かし、ふるふると頭を振る。

「ひとまずは、時間をかけるしかないでしょうね……
彼も混乱しているようですし、考える時間が必要なのでしょうから……
ああ、でも……」
「?」
「杏寿郎なら、あるいは……」

そう、彼女が話そうとした時、ううっと、叶仁が呻く。
話すのを辞め、一先ずは眠ってしまった彼を起こさぬよう、音をなるべく立てず、その場を二人は後にした。