いとおしむように目を閉じて

 目を覚ますと、見慣れつつある天蓋が目に入る。
 血盟城の自室で、珍しくすっきり目を覚ましたユーリは、けれど直ぐに起きたり掛布にくるまり直したりせず、ぼうっと天井を見上げた。
夢の中で確かに自分は「自分」だったのに、起きてしまった今はそのほとんどがあやふやだ。始まりも結末も覚えていないけれど、一つのことに関して、そこだけ彩度が高く、まるで映画のワンシーンを演じたかのように、はっきりと覚えていた。

 ユーリはそっと己の口を押さえた。
 触れて分かる。夢の中の感触は違っていた、と。

 ユーリは16歳だ。恋と愛の違いはまだ分からないし、彼氏ができたこともない。けれど人並みに恋愛とかそういうことに興味もあって、友達と恋愛の噂話をしたり、スマホで親や兄に見られたくないものを調べたりするくらいにはお年頃だった。

 名前を付けてくれた人が、呼んでくれる。月の名前を言うようなありふれたものではなく、ユーリにだけ与えられる響き。
 そして、名前を呼んだその口で彼はユーリの唇に触れた。

―――なんて、夢を見てしまったんだろう。

 ユーリは頭を抱えた。付き合っているならまだしも、夢とはいえ出会ってそう長くない相手を出すなんて。ため息をついた、その時。

「陛下、…もう起きていらしたんですね」

 いつもどおりの時間に主を起こしに来た護衛兼世話係のコンラッドが、ユーリの顔を覗き込んだ。

 いつの間に部屋に入ってきたのか。
 扉の開閉も、靴音もしなかった。ユーリを起こさないために静かに近づいて来たのだろうけれど、まるで忍びの者のような振舞いに、別の意味で心臓が跳ねた。

 彼は既に起きていたユーリを確認すると、「珍しいですね」とその顔に笑みを浮かべた。

 いつもならコンラッドが声をかけても揺すっても中々起きないのに、黒曜の瞳をぱっちり開けてベッドの中から見返してくるのだから。

「おはようございます。よく眠れましたか?」

「うん、おはよう。コンラッド」

 夢に見た内容が気まずくて、ユーリは支えなしでもそもそと起き上がる。
 いつもと寝起きの様子が違う主に、コンラッドはおやと首を傾げた。

「どうかされましたか?」

「なんでもない。ちょっと、夢を見ただけ…」

「良くない夢だったんですか? 話せば、気が紛れるかもしれませんよ」

 心配そうにする男はいつも頼りになるし、ユーリが頼めばこれからきっと夜よく眠れるよう気遣ってくれただろう。彼は眞魔国の生活にユーリが慣れようとしているのを傍で見ているから、余計に心配なのかもしれない。

 けれどまさか、夢の中で名付け親であるあなたとキスしちゃったんです、なんて言えるはずもない。

 恋愛経験も知識も豊富で、恋の手練手管なんてお手の物だろう彼は、こんなことで気まずさを感じてしまっているユーリをどう思うだろう。
 コンラッドはベッドの傍まで来ると、そのまま縁に腰掛けた。広いベッドだけど端っこで眠る癖のあるユーリには、手を伸ばせば届く距離だ。

「俺では力になれませんか?」

「そんな…、夢一つで大げさだよ」

「夢は深層心理の表れともいいます。貴方が何かに悩んでいるのでしたら、俺にだけは打ち明けてくれませんか?」

 その貴方に関わることで悩んでるんですが。

 喉にでかかった言葉を堪えて、コンラッドを見つめ返す。
 銀の虹彩が散った薄茶色の瞳が、こちらを心配そうに見ている。黙ったままでいてこれ以上心配されるのは心苦しいばかりだし、いっそ話して笑い話にしてしまえばいいんじゃないか。

 優しいコンラッドのことだから一緒に笑ってくれるかもしれないし、その場に相応しい相槌を返してくれると思ったのだ。(この時ユーリはまだ彼のことをおしゃべりが上手で機知に富んだ会話ができる人だと思っていた。)

「実は夢にコンラッドがでてきて、き……しちゃって」

「俺が、あなたに何を?」

 大事なところを口の中でもごもごさせてしまった。よく聞き取れなかったため、コンラッドが顔を近づけてくる。

 見慣れてきたとはいえ、王佐や兄弟たちと顔の系統は違うけれど、彼だってかなり整った顔立ちをしているのだ。あんな夢を見たあとで至近距離に来られると、変に緊張してしまう。

「だから、夢で…キスしちゃったって話よ。びっくりだよねえ、いくらいつもそばにいるからって、そんな夢見られたらコンラッドもめいわ、く……」

 声のトーンを上げて、笑えちゃうよね、と。
 ユーリの下手くそな愛想笑いに、彼も笑うと思った。

 そうですね、と相槌を返した後に「夢は夢ですよ」って言ってくれるかと。
 思ったのに。

 ユーリの予想に反して、目の前の男は口元を覆うと、視線を逸らした。寄せられた眉根に、すっと心臓が冷えた。

「あっ……あの、ごめんなさい、朝からいきなり、変なこと言って。言われた方も反応に困っちゃうよね」

 あは、は、と笑って誤魔化してみようとするも、一度変わった空気は元に戻らない。首から嫌な汗が出る。

 次にユーリが言うべき言葉はなんだろう。

 ごめん、忘れて? コンラッドはそういう夢を見ちゃった時どうする?

「あなたはどうだったんですか?」

「え?」

「夢の中の俺にキスをされて、嫌だった?」

 伺うように、逸らされていた視線がユーリ向けられる。いつもと違う眼差しに、思わずたじろいでしまう。

「いやとかじゃ……」

 嫌じゃなかったから、困ってるんです。
 なんて言えるはずもないユーリの手を、剣胼胝だらけの手が上からそっと握り込む。

「じゃあ、気持ちよかった?」

 花の16歳とはいえ恋愛未経験の女子になんてことを聞くのだ。ストレートすぎる質問に、ユーリが黙りこくっていると、コンラッドは更にユーリに顔を近づけてきた。
近い、そう思うのに、頬だけじゃなくて全身という全身が熱を持つのに。跳ねのけるための力が入らないのだ。

 至近距離で見える星の煌めきに、吸い込まれる。

「……コンラッド、は、どう思うの」

「俺?」

 コンラッドは緩く首を傾げた。至近距離で囁くように聞き返す声は、いつものように優しいのに、いつもと違う色を含んでいるようで。その視線が、ユーリの唇をなぞる。

「私の話を聞いた時、どう思った?」

 頭が沸騰しそうだ。きっと今の自分の顔は真っ赤に火照っているに違いない。

「それが現実になればいいな、と」

 何か言おうとした言葉は、くっついてきた唇によって全て飲み込まれてしまった。

「好きですよ、ユーリ」



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