国境付近の村では小麦の刈り入れが始まったという。
そして王都の小高い丘の上にある血盟城にも、秋の気配が近寄っていた。
夏の暑さは和らぎ、日差しは秋らしいからんとしたものへ。
早朝や夜はひんやりするけれど、昼間は過ごしやすく感じられる。
他国の使者との謁見も書類へのサインも済ませた魔王陛下は、執務疲れを癒すために一時の休息を勝ち取った。
中庭の木陰に腰を下ろして、ユーリは伸ばした足の上に本を置く。赤い紐のついた栞の差し込まれたページを開き、その続きから読み始めた。
筆記スキルは未だ幼児程度だけれど、魂の襞に刻まれた記憶のおかげで、書かれている文字を指でなぞればある程度は読ことができむる。
おかげでユーリの最近の愛読書は、主婦の日常と生活の知恵が描かれた本だ。作者不詳だが貴婦人たちの間でも話題に上がっている。先日の茶会で同席した女性から薦められて、ユーリも読み始めた。
おかげで王佐殿から勉強のためにと渡された、眞魔国の長いながーい歴史が綴られた本の方は栞の位置があまり変わらなかった。1冊が百科事典ほどの分厚さで、続き物であるということ、しかもこの巻では偉大なる眞王もかの大賢者もまだ登場しないという。
夜にベッドの中で読むとすぐさま深い眠りへ導いてくれる―――そんな悲しい方面に役立っていることを知っているのは、護衛役の彼だけである。
立っているのも疲れるでしょうとユーリに促され、彼女と同じように幹に背を預け、その場に座った。
周囲に注意を払いながら、その視線は主の横顔へと向けられていた。本を辿る指が止まり、ユーリが困った様子を見せたら、すぐに教えてあげられるように。
ぱちぱちとまつ毛が震える。集中力が切れてきた気配を察して身をくっつければ、腕に重さがかかった。コンラッドに寄りかかったユーリが「平和だね」と呟く。
「もう少ししたら紅葉ができるかな」
「そうですね。ラヴァル湖は、紅葉の名所として有名なんです。見頃になったら行きましょうね」
「楽しみ。ヴォルフやグレタも一緒にね。きっとグレタは紅葉に映えるだうろなぁ」
赤茶色の髪をふわふわさせて、紅葉の中で遊ぶ愛娘。
きっととっても愛らしい、癒される光景だろう。
思い出を形で残せないのがとても残念だ。
カメラのような、思い出を形に残せるものがあればいいのに―――ユーリは指で四角い枠を作り、写真を撮る真似をする。
想像のグレタをその中に収めるように、思い描く。四角い枠の中に、青い空と梢が見える。
その仕草を見ていた、地球滞在経験のあるコンラッドが言った。
「写真ですか?」
「そう。グレタの成長記録なんかをアルバムに出来たら素敵だろうなと思って」
ユーリは指で四角を作ったままスライドし、隣にいるコンラッドを枠の中に収めた。
枠越しに目が合ったコンラッドは、主が何をしたいのか察すると、衒う素振りも見せずにユーリに向かって柔らかく笑んでみせた。まるでモデルのような完璧な表情に加えて、彼の周りできらきらと光が散っているようだ。
仕掛けたのは自分からとはいえ、ユーリはそれ以上視線を合わせている事ができなくなり、枠は真ん中から二つに分解され、ユーリは腕を下ろした。
「撮れました?」
「……ほんと、いちいち様になるよね」
「貴方の心のアルバムに入るなら、いい顔で写らないとと思ったんですけど、お気に召しませんでした?」
……そんな事ないです。カッコ良いです。寿命が5年延びた心地です。素直に誉めるのは照れくさいので、口では知らないと言ってそっぽを向く。そんな照れ隠し、彼にはお見通しだろうけれど。
笑ってこっちを見ている、その余裕な態度が悔しいと思う。
「今度、カメラ持ってこよ」
防水タイプで絶対に水の中に落としても壊れない、加えて画素数の高いやつを。
そう言うと、コンラッドが「いいですね」と乗り気な様子を見せた。
「ユーリをたくさん撮らせてくださいね」
「なんでわたしを撮るの」
「俺も貴方の写真が欲しいので。貴方だけ持っていて俺には無いだなんて、そんな悲しいことはしないでしょう?」
「……覚えてたらね」
コンラッドは知らないだろうけれど、今のカメラはカメラの形をしていないものもあるのだ。
フィルムタイプとかカメラの形をしたものではなくて、電話機にカメラ機能その他諸々のアプリが付いていること等は内緒にしておく。
学生鞄の中に残してきた携帯電話を恋しく思いながら、さてどうやって護衛の素の表情を隠し撮ろうかと考えを巡らせるのだった。
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