昔から、朝は苦手だった。
眠りと覚醒をいったりきたりする、あのふわふわとした感じが心地よくて、目覚まし時計のアラームはセットしていたけれど止めては二度寝に入っていた。
そんな布団にくるまって頑なに出ようとしないユーリと、遅刻なんて許しませんという母の攻防は、渋谷家のいつもの朝のやり取りだった。
ほんの少し前までその中に身を置いていたのに、今その「当たり前だった朝の風景」が別のものに塗り替えられつつあった。
一つ、二つ。城下で鐘が鳴らされるのと共に、寝室のカーテンを左右にさっと開く。朝の光が室内に差し込んで、天蓋から下がるカーテンと質の良い上掛けに歪んだ格子模様を描いた。
「おはようございます、陛下。朝ですよ」
「んん…」
寝台の上で惰眠を貪るこの城の主は、その声から逃げるように枕と枕の間に顔を埋めた。
絶対に起きませんよという姿勢。防御は最大の攻撃なりと昔の人も言っていた気もする。
ユーリにこれをされてしまった母は、最後には「もう、起きなさい!」と声を上げながら掛け布団をはぎ取りにきていた。
けれどここは地球の都内某所に建つ生家ではなく、眞魔国にある寝室の天蓋付きベットの中。柔らかな寝具に包まれて、即位したての魔王陛下はすやすやと寝息を立てていた。
我らの魔王陛下にとことん甘くて優しくすることにかけては他の追随を許さないウェラー卿コンラートは、躊躇いのない手つきで上掛けの中に手を差し込むと、それごとユーリの身体を抱き上げた。「わっ、あ…!」ぐるんと自分の身体が浮く感覚にびっくりして、流石のユーリも何事かと目を覚ます。寝起きでまだどこかぼんやりとした黒曜石のような瞳が、コンラッドを認めて合点がいった顔をした。
朝から何するの、顔にそう浮かんでいるが、コンラッドは涼しい顔で受け流す。
「おはよう、コンラッド」
コンラッドは口元の笑みを濃くした。
「おはようございます、陛下」
寝起きというほぼ無防備な状態を見れるのは、彼女を起こしに来た者の特権だろう。くわえて、彼女に一番に朝の挨拶を言う。眞魔国に来てからは常に、それはコンラッドの役目だった。
ユーリ自身、コンラッドはいきなり異世界に落とされて右も左も分からぬ状況のところに真っ先に駆けつけて助けてくれた人であるし、自分の名付け親であり地球の事情にも一定の理解のある彼のことは特に信頼していた。
両親ともに日本人で、由緒正しい庶民家庭で育ってきたために、自分が寝ている間に誰かが部屋に入ってくる状況には慣れなくて、でも何かと教えてくれる人が必要で、そのとき一番心を許せる相手であったコンラッドにお願いした次第だ。
ユーリにとって、コンラッドは頼りになる兄か親のような(自分を庇護してくれるという意味での)存在だった。
「ちゃんと一回で起きられて偉いですね、陛下」
「その口調はやめてって言ってるでしょう、名付け親なんだから」
「すみません、ユーリ」
ユーリは満足そうに頷く。
コンラッドは臣下としての立場を取ろうとするけれど、ユーリは名付け親である彼に、そんな態度は取ってもらいたくなかった。だから彼が臣下の態度を取る度、「名付け親なんだから」と彼との間にある壁を崩そうとする。
彼と彼とユーリの朝の攻防は、今のところ勝敗は五分五分。勝ったり負けたり。でもコンラッドはユーリに甘いところが多分にあるのと、生まれてまだ十六年しか生きていないユーリと、魔族の血の入った長寿の彼とでは大きな差がある。
この勝率も、どこまで彼の思惑が働いていないとも限らなかった。
「今日はこれから何をするの?」
「朝食を食べたあとに、ギュンターから連絡があると思いますが、午前中と午後は陛下へ届いた書類の確認をすることになるかと」
「わかった。…ねえ、終わったらコンラッドと一緒に過ごせないかな?」
仕事じゃなくて、プライベートで。できたら二人で。
言外に含めて彼の方を伺えば、ユーリの意図を察したコンラッドは
「俺でよければ、キャッチボールでも字の練習でも、ユーリの気が済むまで付き合いますよ」
もちろん、それ以外のことも。
終わったあとにご褒美があるなら、苦手な書類を読むのだって頑張ろうと思えた。 ← top