ほんものの夢の中

 未だに、ここは夢なんじゃないかと思ってしまう。

 異世界なのに空は地球と変わらぬ青だし、花からはいい匂いがする。魔王になったというけれど、角とか自分の背には翼は生えてこなかった。全然魔界らしくないなと思えば、空飛ぶ骸骨や動物の鳴き声が地球と異なっていたり、自分の価値観と異世界の常識を擦り合わせる日が続いていた。

 こちらに来て驚いたことの極めつけは、双黒と呼ばれる自分の持つ色。黒い髪に黒い瞳は、この世界では類を見ない非常に珍しい色なのだという。

 こんなの日本人ならば身近な色で、お洒落で茶や金、はたまた派手な色に染めたりするので、ユーリにして見れば魔族の人たちの方が羨ましい。
 ユーリがそう言うと、王佐殿は「また陛下はお戯れを」と困っていた。
 けれどその眼差しは自分の黒をうっとり見つめていたので、そんなに珍しいのならと「試しに触ってみる?」とギュンターに言ったら、悲鳴とも歓声ともつかない叫び声を上げて卒倒されてしまった。

 色んな汁を飛び散らせながら長身の美形男性が卒倒する光景は、軽くトラウマになりかけた。

 これは流石に軽率すぎたと反省したし、その後名付け親から女性としての相応の言動について教育的指導を受けることになってしまった。

 そして現在、魔王陛下の自室にて、名付け親を前に殊勝な態度で臨んでいた。

「まったく……。いたずらな言動で臣下をからかってはだめじゃないか、ユーリ」

「ごめんなさい」

「君は女性で、相手は男性なんだ。みだりに身体に触れさせるような真似は、今後決してしないこと」

「……」

 心做しか、いつもの笑い方ではなく謎の凄みがある。ユーリは叱られる子どものようにコンラッドが何か言うごとに首を縦に振る。ここでまた軽はずみに「ちょっとした出来心だったの」とか「もしかしてコンラッドもさわりたかった?」など言おうものなら、さらに怒られるかもしれないのでそこはぐっと堪える。

「ユーリ、分かりましたか?」

「うん、もう十分わかった。軽はずみでしたらごめんなさい」

 だから許して、と一手。コンラッドは短く息をついて、

「それからギュンターには、俺からも少し言っておこう。いくら陛下が魅力的だからとはいえ、いきなり鼻血を出されてユーリもびっくりしたでしょう」

 王の軽口一つで心を乱されているようでは鍛錬が足りないなと、コンラッドは嘯く。
 もちろんそれは本気の評価ではない。内緒話をするように、彼なりに面白がっていた。その証拠に、耳に心地よく届く声には笑みが滲んでいて、お叱りモードが終わりったのを教えてくれる。

 いつものように、慈しむようは眼差し。彼が笑ってくれているのを見ると、つられてユーリの表情も緩んでしくる。口を真一文字にしてくっと眉間に力を入れるのも疲れてきたところだったのだ。

「……。ねえ、コンラッド。こういうのも、もうしたらダメなのかな?」

 男性にみだりに触れさせたらダメなら、「こういう」―――ソファにて、コンラッドの膝の上に横抱きされて座るのももうダメだろうか。
 これも異性に触れ合うことに該当するだろう。ギュンターへの軽口が可愛く見えるくらいではないか。

「貴方とのこれは、『みだり』ではないでしょう」

 なるほど。これは二人合意あっての触れ方であり、むやみやたらなもとではないと、彼は言っているのだ。―――物は言いよう。亀の甲より年の巧。

「ちなみにだけど、相手の髪に触れるのって眞魔国的に何かあるの? 頬っぺのビンタとか落ちたフォークを拾った時みたいに」

「いえ、そういうのは特にありませんが…」

 コンラッドの視線がユーリの目から外れ、どこがぼんやりしたものに変わる。ユーリを見ながら、他事に考えを走らせている顔だ。
 指先が、首の後ろに掠めるように触れて襟足を掬う。伸び始めたばかりの黒髪は、結う程の長さはない。指先を滑り落ちて、さらと流れる。男性らしい(軍人というのもあるかもしれない)、硬い皮膚と爪が自分の肌の上を滑る感覚に、背中がぞわぞわしてしまう。

「コン―――」

 くすぐったい。そう言おうとした。

「貴方に触れる権利は、男なら皆、喉から手が出るくらい欲しがるでしょうね」

「そう、なの」

「ええ。 今のところその特権を与えられているのは一人だけだけど、俺も男だから、独占したいと思っているんだよ」

 そう言った彼の声は、どこか楽しげだった。

「そろそろ時間ですね。執務に戻りましょうか」

 促すように髪を撫でて、コンラッドはユーリの身体を離す。膝の上で向かい合って、お互いに目を合わせながら、どちらからともなく唇を寄せた。
 触れるだけ、軽く押し当てるだけのキスをして、額を合わせる。

「今日の夜、部屋に行っても?」

「うん、待ってる」

「ああ、それと、執務室に戻る前に顔の熱は冷ました方がいい」

「誰のせいだと…」

 すっかり頬が色づいてしまったユーリと対照的に、コンラッドの笑顔はいつもの優しいものに戻っていた。 



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