地球と異世界の移動は、水を通じて行う。それはお風呂だったり小川だったり(記念ともなるべき一回目のスタツアは思い出したくもない)。とにかく、時と場所を選ばずに、ユーリの意志とは関係なくそれは起きる。
基本的には眞王の意志と、彼の方に仕える巫女によって喚ばれる。
地球から、眞魔国の水が大量にある場所へと落とされる。
春や夏ならばいい。まだ水浴び程度で済むから。―――けれど、冬が近づくにつれ、ちょっと…いやかなり不安はあった。
だから巫女のウルリーケにもお願いしていた。
冬場の池はどうかやめてね、と。
ウルリーケの「善処いたしますわ」というあどけない笑みが、ユーリの走馬灯に走った。
まるで全身を針で刺されたような感覚が走り、何が起きたのか分からないまま体の動 自由と呼吸を奪われた。まさかスタツアで死を味わうとは思っておらず、十六年という人生の走馬灯が一気に駆け巡る。嘘でしょ。トリップしただけで、ここでデッドエンド(ゲームオーバー)?
「ーーーユーリ!!」
悲鳴やら叫び声が重なる中で、名付け親の声が鮮明に聞こえた。
彼は真冬の池に沈んだユーリを救い上げると、勢いで最も近くにあった浴室へと飛び込んだ。歯の根からガチガチ震わせ、「し、…しぬかとおもっだ…」お風呂のヘリにしがみつくユーリを抱えながら、コンラッドはひたすら肩や頭などにお湯をかけてやる。 そして、遅れて駆けつけた侍女に手早く指示を出してやり、
「一気に体を冷やしたんです。ギーゼラと医師を数名呼んでくれ。 それから毛布と着替えをここに。暖炉にも薪をくべて、部屋を暖かくしてくれ」
「は、はい!」
体が徐々に熱を取り戻し、意識もはっきりしてくる。氷の池から助け出された自分よりもコンラッドの方が今にも死にそうな顔をしていて、
「しばらく、氷水はおなかいっぱいかも」
「……ユーリ、」
「あ、でもこんな目に遭ってもアイスクリームは好きだから、…ウルリーケは怒らないでね」
喚ぶことは確定確実にできるけれど、落ちる場所の指定までは力不足なのですと言われていたのを思い出す。もし指定できるのなら、国境付近の池とか男性用の大浴場に落とされることなんてなかったはずだし。
「コンラッドに助けてもらえてラッキーって感じだし、えへへ」
「ユーリ……。まったく、貴方という人は……」
ようやくコンラッドの表情に安堵の笑みが浮かんだ。湯から引き上げられると、ユーリは寝室にてギーゼラたち高度な医療魔術を扱う者たちからこれでもかというほど治癒を施された。このときばかりは、ギュンターとグウェンダルが留守でよかったと、ユーリはほっとしていた。
眞王廟から使者が見舞い品と丁重な謝罪の言葉を持ってきたり、医者や侍女が慌ただしく出入りを繰り返すが、お風呂で温まったのでもう大丈夫だというユーリの意見は聞き入れてもえず、高熱が出るかもしれないからと一日安静が命ぜられた。
夕方の訪問者があったとき、ユーリはベッドの上で手遊びに本を読んでいた。堅苦しい歴史書ではなく、眞魔国の子どもたちが読むような童話だ。(ギュンターの熱血指導の甲斐あって、ユーリの学力レベルは優秀な10歳児にまで上がっていた。)
「ユーリ、体調はいかがですか?」
「もう平気。熱も出ていないし、早くベッドから出たいくらい。 みんなが心配しすぎなんだよ」
コンラッドが思い詰めた顔をしたので、ユーリは慌てて別の話題を出す。
「今日の夕食はなんだろうねー。せっかく眞魔国に帰って来たのに、晩餐ができなくて残念だね」
「厨房係が、陛下に滋養のある温かいものを食べていただくんだと張り切っていましたよ」
「そうなんだ。楽しみだなぁ」
「今日も美味しいのは間違いありません。楽しみにしていてください」
ユーリ、コンラッドが名を呼ぶ。彼は本音はなかなか言わないけれど、代わりに行動に本心を映す。
「触っても、よろしいですか?」
「うん、どうぞ」
ゆっくりと伸ばされた手が、頬に触れる。体温と感触を確かめるように動き、、指先が耳の前に触れる。ーーー脈を診られているんだと察する。
「たぶんだけど、今は脈は正確じゃないかも」
「ええ、少し早いですね。ユーリが生きている証拠です」
その言葉に、どきりとする。コンラッドは先の大戦で親しい人を亡くしたと聞いている。その人と自分を重ねて、彼にまた喪失の悲しみを味わわせるところだったのだ。
「髪も伸びましたね」
「そうかな。この前いた時から二ヶ月くらいだから、そんなに変わってないと思うけど」
「いいえ、変わりましたよ。髪が伸びて、表情も前より明るくなりましたね。貴方がいない間、こちらでは半年が過ぎました」
「そんなに」
地球と眞魔国とでは時間の流れにずれがある。地球での1ヶ月過ごした間に、眞魔国では何ヶ月も経っていたりする。
魔王が不在の間はグウェンダルやギュンターが政治を執り行ってくれているので問題はないが、ユーリとコンラッドの間には会えない間の寂しさが募っていた。ようやく帰還したかと思えば恋人か死にかけるって、今どきB級映画でもそのような乱暴なシナリオは書かないだろう。
「会えなくて寂しかった?」
「世界が色を失って見えるくらいには」
ユーリ、名を呼ばれる。彼が一番目に与えてくれた贈り物。
ゆっくりと唇が近づいてきて、目を瞑って受け入れる。触れるだけの軽い口付け。触れるかどうかのところで、銀の虹彩が散った目と視線が合う。二度目のキスは、ユーリから。角度を変えて啄むのを繰り返すうち、どちらともなく深いものに変えていく。
二番目の贈り物は、青い魔法石だった。決闘に臨むユーリに、お守りだと言ってくれた。
「んっ…、はぁ……」
「ユーリ、舌を出して、……そう、いい子」
ゆっくりと体を押されて、ベッドに仰向けになる。際限なくキスの雨を降らされて、体に熱が灯ってゆく。体はこんなに熱いのに、コンラッドと触れているところは不思議と温度を感じない。
コンラッドとお互い、同じくらいの体温だと気づき、そっと瞼を開ける。銀の虹彩が散る瞳ーーーいつ見ても綺麗だと思う。潤んだ膜の向こうに自分の顔が映っていて、彼もまた、こちらの表情を一片たりとも漏らさずその目に焼き付けようとしてくるのが伝わってきた。
三番目の贈り物は挙げたいものは色々あるけれど、コンラッドから与えられるすべてのもの。ーーー彼はユーリに、恋を教えてくれた。
熱に突き動かされるまま、夕食の時間までーーーその後も半年間の別離を埋めるようにお互いがお互いを求めた。 ← top