控えめに部屋の扉が叩かれる。コンラッドはちらと剣の位置を確認してから、船室の扉を開けた。
そこに立っていたのは、赤茶色の髪と濃い色の瞳をした少女だった。―――生来の色ではなくそれが作り物の色であることを、彼は知っていた。
本当は髪も瞳も黒色なのだけれど、旅に出る時は道具を使って色を変えたり、そうしない時は顔を隠さないといけないと。―――そう彼女に教えた男は、今は他国の王からの使者として、同じ聖砂国行の貨物船に乗っていた。
(彼女の髪は、誰が染めたんだ)
染め粉が髪質に合っておらず、加えて波と潮風で艶を失っていた。かけようとした言葉は、渦巻く感情ごと瞬きの合間に胸にしまい込む。部屋に入れず、扉を開けたまま彼女と会話を続ける。
「……部屋をお間違えではないですか?」
「そう、みたいです。広くて、迷ってしまって」
ユーリが慎重に言葉を返した。胸の前で合わせた手を固く握り合わせ、心細そうにする彼女へかける言葉を、今のウェラー卿は用意していなかった。
一国の王が深夜に他国の臣下の部屋を訪ねるものではない。
主の姿が見えないとなれば、あの優秀なお庭番はすぐにでも探しに来るだろうし、小シマロンの王がいつ守護を申し出たウェラー卿の許へ来ないとも知れない。
この場面を見られてまずいのは、お互い様だ。
早く部屋に戻りなさい、ウェラー卿は彼女を追い返そうと右腕で肩に触れた。ユーリの顔を真正面から見つめ、―――追い返そうと、した。
船室の扉が静かに閉められたとき、そこには誰の姿も無かった。
室内に引き寄せたユーリの身体を、腕の中に閉じ込める。線の細い身体をきつく抱きしめ、記憶にある感触より少し痩せていて胸が締めつけられた。
扉に押し付けたまま、ずるずるとその場に座り込んだ。
ユーリもコンラッドの背に腕を回し、懐かしい胸に縋りついた。
話したいことがたくさんあった。謝りたいことも、訊きたいことも。
けれど言葉は胸につっかえて、これまでずっと我慢していた感情が涙となって零れそうだった。
右手がユーリの頬に添えられ、上を向かされた。銀の虹彩が散った瞳が近づいてきて、唇が触れるか触れないかと言うところで止まる。決して僅かの距離は埋めることなく、ユーリとコンラッドは口付けのようなものをした。顔を傾け、互いの吐息を感じ合う。薄く口が開き、赤い舌が覗く。
交わったときの柔らかさを思い出して脳裏が焼け付きそうになりながら、角度を変えて互いの吐息を肌で感じ合う。
凪いだ瞳の奥に、彼の苦悩が見え隠れする。
もう陛下と呼ぶことなはいと告げたその口で、愛おしくてたまらないとユーリに伝えてくる。
もう叶わないと思っていた。下手な口実まで用意して、ユーリが彼の部屋を訪れたのは諦めるためだった。
―――ごめんなさい、
決して道は違えないと誓ったのに、彼に国を捨てさせてしまった。
彼の部屋を訪ね、ずるいやり方で瞳の下の真意を暴いてしまった。
ユーリ。
名を呼ばれた気がしたけれど、コンラッドの口から言葉が紡がれることは、ついぞ無く。
この夜は幻だ。夜が明ければ露と消えるもの。
刹那が永遠になればいいのに。
限られた僅かな逢瀬の間、どちらともなく深く指を絡めた。
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