きらきらとほつれる想い


「購買のパンって特別な感じするよね。 ちなみにわたしはチョコデニッシュが好きなんだけど、菊丸くんは何が好き?」

「パンか〜。俺はなんでも好きだにゃ」

 名前はふーんと相槌を打ち、手元のノートに計算式をつらつら書き進めていく。会話しながら数学の問題を解けるなんて、器用なやつ。

 俺だったら絶対無理だね。数学の石井先生には申し訳ないけど、数式なんて見てるだけで眠くなっちゃうよ。

「チョコデニッシュってレア商品なうえに、人気でさ。買いに行ってもいっつもないんだよね。1年生の時は何とか買えてたんだけどさー…」

 今度は俺がへえ〜と相槌を打つ番だった。
 食堂とは別に、学園の近くにあるパン屋さんが毎日昼休みになると昇降口付近でパンの販売を行っている。(そのパン屋の名前は知らない。逆によく知っているっていう生徒はどれくらいいるんだろう?)

 学園内には食堂もあるけれど、焼き立てのパンはおいしいし、しかも財布にやさしいお値段ってこともあって、生徒からの人気は高い。育ち盛りの中学生の胃袋は、弁当だけでは足りないのだ。

 俺たち3年生のクラスは3階にある。
 昼休み開始のチャイムを待って買いに行ったのでは、地の利的に1年生、2年生に負けてしまう。下級生になるにつれて階下になり、昇降口が近くなるのだ。

 しかも人気商品とくれば、いくら陸上部で健脚を誇る名前といえど、手に入れるのはなかなか難しいのだろう。

「だったらさあ、コンビニとかで似たのを買ったらいーんじゃないの?」

「もう、だから購買のパンは特別って話なの」

「にゃあるほど」

 名前がそんなに食いしん坊だとは思わなかったにゃ。―――なーんてことを本人に言ったら、「女の子に向かって、デリカシーがない」とデコピンが飛んでくるか、シャーペンの頭の方で突っつかれそうなので、口には出さないけどね〜。

「ていうかいつも来るパン屋さんってどこのお店なんだろ。 菊丸くんは知ってる?」

「さ〜ね。気にしたこともなかったにゃ」

「地元の子なら知ってるかな。宮ちゃんとか、坂下くんあたり」

「えぇ〜、わざわざ買いに行くの?」

「いや、ちょっと気になっただけ」

 お店の名前を名前も知らなくて、俺が考えてたことと同じこと言ってるよ。何か面白いとこで似てるよね、俺たちって。

 名前はシャーペンを2回ノックして、次の問題へと取りかかる。せっかくの昼休みなのに、俺とのおしゃべりと並行してなーにしてんだろ。

「名前〜、さっきから何してんのさ?」

「え、数学の課題だよ。昨日、やる前に寝落ちちゃったから。 この前、坂下くんが当たったから、次私かなって思って」

 そういや坂下と前後の席だよね。(俺が座ってる席が坂下のだ。)
しかも名前と同じ陸上部員同士だし。
 授業の合間の休み時間とか、よく2人でしゃべってるよね。陸上関連の話題とか、お互いの好きな名前楽とか、新しいショップの情報とかさ。同じ部活で仲が良いのは分かるけど、ちょーっと近すぎるんじゃないの。

 俺とはなんだかんだ3年間ずっと同じクラスなのに、近くの席になったことがない。だからこうして俺が昼休みに名前の近くにわざわざ行っておしゃべりしてるんだけど、名前はちーっとも気づかないんだよね。

―――それより、

「課題? にゃにそれ?」

「数学の課題。昨日電話で話したじゃん。 でも電話終わった後、寝ちゃってさ。朝、あわてて教科書だけ用意したんだー」

 名前はあっけらかんと言う。
 そうだよね、昨日の夜は俺と今度遊びに行く場所を遊園地と映画館どっちにするかとかで結構電話してたもんね。

 俺もあの後、風呂入ってソッコー寝たんだ……じゃなくて、

「しまった〜、課題あんの忘れてたにゃ〜。 名前、できたやつ見せてちょ?」

「まだ半分しか解けてないから無理。不二くんに頼んで?」

「名前のが良い。お願いだよ〜」

 両手を合わせて下から覗き込むように見上げると、名前は眉間に皺を寄せてぐっと口を食いしばったのち、「……そういうのずるい」と呟いた。そういうのってどういうの。とりあえず、名前が解き終わった後にマッハで書き写させてもーらおっと。

 昼休み終了まであと20分。
 俺の課題は名前にかかってるから、集中させてあげるために、俺はそこからおとなしく名前を眺めていた。


 昨日の電話で。
 名前は映画館に行きたがってたけど、俺としては遊園地がいいんだよね。
 遊園地なら絶対楽しませる自信ある。いや、名前とならどこ行っても楽しいだろうけど、やっぱり初めてのデートで楽しむなら、静かな場所より賑やかな方がいいと思うんだよね。


◇ ◆ ◇


「あれれ〜、もうパン無いの?」 

「ごめんねー、今日はもう全部売り切れ。また明日来てね」

 購買のおばさんが空っぽになった箱の中を見せられ、俺はがっくりと肩を落とす。

「ええー……俺の昼がー……」

 授業の終わり際に教師から指名されたのが運の尽き。日直だからという理由で、ノートの回収を命じられたのだ。
 ブーイングでもって抗議したけれど、中堅教師にはにべもなく。

 言われたことを終えて急いで購買に来てみれば、なんとパンは全て売り切れてしまっていた。
お弁当が無いのは俺が休み時間に早弁したからなんだけど、さすがに昼抜きで午後の授業を受けるのはしんどい。

 どうしよっかにゃ〜と途方にくれていると、後ろから「あの…」と控えめに声をかけられた。振り返ってみると、クラスメートの女の子が立っていた。
 その手にはパンがあって、空腹の俺は無意識に彼女の顔よりも手にあるおいしそうなそっちに目が行ってしまった。

「…あの、よかったら、これ食べる?」

 マジ? 俺の都合のいい幻聴じゃなくて?
「欲しい」と本能的に手を伸ばそうとしたけど、名字さんの後ろで待ってる友達とかの手にパッケージのジュースとかお菓子の小袋があるのを見て、俺の良心が待ったをかけた。

「えっ? いいの?…君の分はどうすんの?」

「ぜんぜん平気。…というかこれ、部活前に食べようと思って買ったものだから」

「じゃあ、ホントのホントにくれんの?」

「うん。お昼抜きのほうがやばいでしょ。テニス部は体力資本だし。―――どうぞ」

 そう言って、名字さんは買ったばかりのパンを差し出してきた。昼飯抜きをどうにか免れたい俺は、名前さんの言葉に甘えて受け取った。

「サンキュー、君は俺の命の恩人だよ! 今度、テニス部を見に来てよ。お礼に、俺のアクロバティックなプレーを見せたげるからさ」

「アクロバティック? テニスで?」

「そ! 俺の得意技なんだよね〜」

「じゃあ、今度、部活のないときに見に行くね」

「うんうん、ぜーったい来てよね!」

 俺はそこでやっと、もらったパンから名字さんの方へ視線を移した。―――近くでまじまじと見て、俺の中に何かがストンと落ちてきた。

「……あのさ、下の名前、何ていうの?」

「? 名前だよ」

「ん。じゃー、これから名前って呼ぶね! ホントにありがと!」

 そう言って、きょとんとする名前たちを置いて、俺は最近ダブルスペアを組んだ大石のとこへダッシュした。

 とにかくこのふわふわする衝動をどうにか外に解放したくて、俺は教室で食事中だった大石に後ろからタックルして叫んだ。「どうしよう、大石ぃ〜。可愛い子がいたー!」って。

 大石は食べていたものを変なところに入れて咽てたけど、それ以上に俺の方がわけわからない感情に襲われて大変だった。



<<