青い夜のゆくえ


 案内された個室に入ると、すでにほとんどのメンバーが集まっていた。テーブルには料理が並べられ、各人のグラスはほどよく量が減っている。
 数年ぶりの再会となった懐かしい面々を見て、わたしはにっこり笑みを浮かべた。

「遅くなってごめんー。 今来ました!」

「名字、遅刻だぞー」

「名字先輩、お久しぶりです!」

「菊丸くんごめんってー。桃城くん、お久しぶりー。 …夕方に急な案件が入っちゃって。遅れて本当にごめんなさい!」

 ぱん、と顔の前で両手を合わせて『ごめん』のポーズをとる。

 中等部の(しかも全国大会を優勝した当時の)テニス部メンバーが全員揃っての飲み会なんて、滅多にできることではない。幹事として諸々の手配・調整をしてくれた大石くんと乾くんに特に謝罪をし、わたしは空いているスペースに腰を下ろした。

 脱いだジャケットを後ろに置くと、隣にいる子がこちらを見ていることに気づく。あ、

「越前くん、隣失礼するね。―――ニュースで活躍見てるよ。この前の大会も優勝おめでとう」

「…っす。名字先輩の遅刻癖も相変わらずみたいっすね」

「もー、人を遅刻魔みたいに言わないでよ」

 生意気に、笑みを含んだ感じでそう言って、越前くんはアルコールを一口含む。
 むむ、何年経っても青学ルーキーの生意気さは健在のようだ。


 大人になってちょっとはマイルドになっているかと期待していたけれど、どうやらトップレベルのプレーヤーたちに揉まれて、不遜さにさらに磨きがかかっているようだ。

 ……プロといえば、同世代でもう一人、青学テニス部出身でそちらの道へ進んだ人がいる。室内を見渡し、いない人がいることに気づき、あれと首を傾げた。

「…部長は? 今日来ていないの?」

「手塚も遅刻だ。 ドイツからの飛行機が、天候不良で出発が遅れたらしい。もう日本には着いているはずだが、まだ連絡はないな…」

 おそらく来れると思うが、と付け足した乾くんは、ちらりと腕時計に目を落とす。わたしが口を開こうとしたところ、店員さんがお店に入った時に頼んでおいたアルコールと、追加の料理を運んできたため、会話が途切れてしまった。


 全員揃ってはいないけれど、さあ仕切り直しと2度目の乾杯を行った。
 乾いた喉をアルコールで潤し、わたしはそれぞれの近況を訊ねる。

 タカさんは実家のお寿司屋さんを継ぐために板前の修業中で、大石くんは国家試験に合格して今は研修医として勉強中らしい。
 桃城くんと海堂くんは、この前の春に無事に大学を卒業し、希望の職に就けたという。業種が似ていることから出先で顔を合わせることもあるらしい。

 卒業しても仲良しだねーいいなぁと素直な感想を述べると、「こいつ(桃城/海堂)がマネするんスよ」と言うところまでお揃いだった。二人ともはこうして口では腐れ縁になったことについて文句を言っているけれど、本気でそう思っていないところが、ほんとう、根っこの部分は変わらないのだなと思う。

 大人になっても中等部の時と変わらないところがあるのが嬉しくて、お酒はまだ全然回っていないけれど、緩みそうになる口元を抑えきれない。


 正面に座る不二くんに仕事はどうかと聞いてみると「楽しいよ。そうだ、今度の撮影で登山をするんだけど、一緒に行くかい?」とにっこり微笑みつきで誘われたので、全力で遠慮しておいた。(わたしが不二くん推しの女の子ならば、大喜びで予定を「デート」へと脳内変換していただろう。)

 その隣にいる乾くんへ同じ質問をすると、こちらは怪しい笑みを浮かべて「ちょうど今日、新作が出来上がったんだ。飲んでみるか?」と懐からボトルを取り出して見せた。粘度の高そうな新緑色の液体を見て、菊丸くんが「新作乾汁……」と青ざめた顔で呟く。

 乾くんはその呟きを聞こえなかったフリをして、わたしに飲めとばかりに差し出してきたので、首がもげるんじゃないかというくらい横に振った。
 乾くんが残念そうにボトルを懐に仕舞うのを確認して(なぜ持ち歩いているのかは訊かないでおいた)、ほっと安堵の息を漏らす。―――この二人の冗談は、冗談に聞こえないのだ。


 そんなやり取りをしながら、わたしは当時が懐かしくなった。
 青春が全部詰まった、あの時間。なんでもあって、何にでもなれるような気がしていたあの時代。



◇ ◇ ◇



 学生時代、楽しかった思い出は何かと聞かれたら「テニス部のマネージャーをしてたこと」って答える。ただし、彼氏と接していた時間は除いて、って付け足して。


 わたしの彼氏はテニス部だった。
 堅物で真面目が服を着て歩いているような人で、3年生の時は部長も務めていた。
 規律に厳しくて、何かあるとすぐグラウンド周回を命じるので後輩からは恐れられていたけれど、誰よりもテニス部のことを考えていていた。
 自分の身を削ってまで尽くしちゃうようなところがあって、それを誰にも言わないんだから、放っておけなくて約2年半わたしは付きまとっていた。

 転機が訪れたのは、3年生の秋の頃だった。

 彼はU−17合宿を途中で離脱し、卒業式までには帰ってくると一方的に告げて翌日には単身ドイツへ旅立ってしまった。
 それまで一切相談なんて無くて、彼の本心を見抜いて背中を押したのがライバル校のテニス部部長さんだと知って、なーんだわたしなにも気づけてなかったんじゃん、なら彼にとってわたしって別にいてもいなくてもいいんじゃないのと、彼が突然いなくなてぽっかり空いてしまった穴を埋めるように、そう自分を納得させた。

 だから、卒業式のタイミングでさよならして、連絡先を削除した。アルバムとか彼からのプレゼントなんかを段ボールに詰めてどこかへやってしまった。



◇ ◇ ◇



 席を立つ人、戻ってくる人とで順次立ち代わり、わたしの左隣に不二が来たとき、わたしは3杯目のチューハイを飲んでいるところだった。

「飲んでるね、名字」

「うん」

 飲み会の席特有の熱が場を満たしている。
 桃城くんが越前君の肩に腕を回し、自社の製品について語っている。隣でそれを聞く海堂くんが反論し、にぎやかな掛け合いが行われている。
 タカさんと乾くん、大石くんと菊丸くんがそれぞれ楽しそうに話している。

「いいなあ。中等部に戻ったみたい」

 思ったことがするりと口から出る。

「そうだね。 やっぱり手塚と付き合っていたころに戻りたいかい?」

「……向こうはもう新しい恋始めてるんじゃないの」

 自分で言っておいて胸の奥からこみ上げるものがあった。それを流し込むように、グラスに残ったチューハイをあおる。

「手塚はあのとおり真面目一辺倒で奥手だから、本当に好きな子には何も言えないまま引きずってるんじゃないかな」

 ふーん。なるほど、ほかに本命がいたからわたしなんかもぞんざいに扱われたってことかな。
 黙り込むわたしとは対照的に、不二くんは妙ににこにこしている。

「なんだか勘違いしているみたいだね? ちょうどいいから、手塚が来たら聞いてみるといいんじゃないかな」

 不二くんが日本酒の入った猪口を傾ける。
 あなたさっきまで水のようにビール空けてませんでしたか。不二くんの左側に空になった熱燗が3本ほど転がっているのを見てから、緩慢な速度で不二くんへ視線を移す。

「不二くん、それ何本目?」

「さあ。途中から数えるのやめちゃったから、覚えてないや」

「ふうん。日本酒なら酔えるかな? わたしも飲みたい」

「いいよ。ちょうど空になっちゃったから、新しいの頼むよ。ちょっと待ってね」

 不二くんがタッチパネルの操作をしてくれているので、わたしは近くにあった枝豆を手に取って食べ始める。
 お酒を飲んで、とにかく酔いたかった。

 桃城くんたちがあんなに楽しそうなんだから、酩酊状態になったらわたしもきっと理由なく楽しい気分になれるだろう。普段の飲み会では1杯目のビールの後にサワー系ばかり飲んでいるから、今のペースでは酩酊状態になるまで遠いと判断し、初めて日本酒に手をつけることにした。

 部長が到着するまで、無条件に笑えるくらいまでになっておきたかった。
 数年ぶりの再会なのだから、笑って挨拶をしたいなと、ぼんやりする頭で思う。
 それで、聞いてやるのだ。


―――向こうで彼女さんはできた? わたしはね、新しい彼氏ができたよ。
 誰かさんと違って、一人で全部決めて遠くへ行っちゃうような人じゃないんだから、って。



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