きみと融解する温度


 冬は苦手だ。普段学校に行くときは遅刻しないぎりぎりの時間までベッドで眠っている派なのだけれど、今日は早めに設定していた目覚まし時計に合わせてがんばって起床した。
 髪や服装に変なところが無いのを入念に確認し、家を出る。
 吐く息が白くなるのを見て、本格的な冬の訪れを実感した。肌を刺すような冷気に首をすくめそうになりながら、マフラーに顔をうずめる。


 わたしが来たのは自宅からすこし離れたバス停の前だった。待ち合わせの時間までまだ時間はある。さすがに早すぎたかと思ったけれど、手塚くんはもう約束した場所で待っていた。

「ごめん、お待たせ」

 声をかけると、彼は読んでいた文庫本から顔を上げた。

「名前先輩、早いですね」

「そっちこそ。もしかしてだいぶ待った?」

「いえ、俺も今来たところですよ。 それに、約束の時間までまだ十五分もあります」

 そう言って国光くんは文庫本を鞄に入れる。わたしは小さく笑う。
 本を取り出して読むくらいには時間を持て余していたいただろうに、それを口にしない彼の優しさが嬉しい。そういうところが好きだなと思う。
 並んで歩き出すと、冷たい風が頬を撫でた。

「すっかり寒くなっちゃったね」

「ええ。天気予報では今夜あたり雪が降るかもしれないと言っていましたが……」

 空を見上げる手塚くんの横顔につられて、わたしも空を見る。雲ひとつない青空が広がっているものの、どこかどんよりとした空気を感じる。厚い雲に覆われた暗い灰色をした雲ではなく、もっと薄く透き通ったような……水墨画のような空模様だ。

「あぁ、確かにちょっと怪しいかも……。雪が降ったらさらに寒くなっちゃうね」

 ちらりと隣を見ると、国光くんの顔があった。視線に気づいて彼がこちらを見る。目が合って微笑まれると胸の奥がぎゅっとした。

「どうかしましたか?」

「なんでもない! それより早く行こう!」

 誤魔化すように、国光くんの袖を引っ張って歩き出す。袖から手首、彼の指先へと滑らせた指で絡めるように手を繋ぎなおす。国光くんは驚いたようにわずかに目を瞠ったが、吃驚したのはこちらもだった。

「わっ、すごく冷たくいっ!」

 思わず声に出してしまった。手袋をしていなかったせいで、彼の手はとても冷えていたのだ。

「これくらい平気です。それより、先輩の方が冷えてしまいます」

 先輩相手に強がる彼に構わず、わたしは彼の両手を自分の手で包み込んだ。少しでも温かくなればと思ってのことだったのだが、その行動が予想外だったようで今度は国光くんの方が驚いているようだった。

「名前先輩、なにを……」

 戸惑っている彼に、

「だってこんなに冷えてるの、早く来てたからでしょう?」

と聞くと、少し考えてから彼は言った。

「俺が待ちたくて早く来たんですから、いいんですよ」

「よくない。風邪ひいちゃうじゃない。 スポーツ選手なんだから、体を大事にしないと……」

 わたしの言葉に国光くんは困ったように眉を下げる。そんな顔を見たかったわけではないのだけど、わたしも譲れなかった。
 何しろテニス部マネージャーとして部員のコンディションの把握に努める2年半を送ってきたのだ。しみ込んだ気遣い癖は、もちろん国光くんが彼氏である前に現テニス部である以上、例外ではなかった。
 しばらく見つめ合うこと数秒。根負けしたのは国光くんの方だった。ふ、とため息をつく。

「わかりました。じゃあこうしましょう」

 彼は一度握っていた手を離すと、コートのポケットに入れた。そして再び指を絡ませてくる。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。

「これなら温かいですよね」

 いつもと同じ穏やかな表情なのに、どうしてか妙にドキドキしてしまう。さっきは自分から両手を使って彼の手を包んでいたけれど、いざ逆に自分がされる立場に立たされるとなんだか恥ずかしい。
 国光くんの手はわたしのものよりも大きくて、指も長い。関節一つ分ほど大きい手が、わたしのそれを優しく握り込む。

 手を繋いだところからわたしの体温がゆっくりと彼に伝わって、少しずつ同じ温度になっていくのを感じた。混ざり合っていく感覚。それはまるで二人の心の距離が近づいていくような気がして、心地よかった。

「うん、あったかい」

 そう答えてわたしからもしっかりと手を握り返した。

 国光くんと付き合うようになって、初めて知ったことがある。彼は厳しい人だけれど、それだけではないということ。テニス部の先輩・後輩として接していたときには知らなかったことがたくさんあった。

 国光くんはわたしのことをよく見ているし、とても優しい人だ。わたしが転びそうになったときは抱き留めてくれるし、体調が悪くなったときはすぐに察してくれるし、何かあれば必ず助けてくれる。

 だからこうして寒い日に外で待ち合わせていても、きっと彼はわたしが寒がっていないか心配してくれているんだろうなと想像がつく。彼の手が気づかわしげにわたしの手を握ってくれているから。
 そういうところが好きだと思う。

 それから、時々見せる笑顔がとてもかわいいということ。あまり感情が表に出ないタイプなのだと思っていたが、実はそうでもないらしい。

 普段ももちろん素敵だけれど、わたしの前でだけ見せてくれる特別な笑みがあることを知ったときは嬉しかった。わたしだけが知っている手塚くんがいる。
 それがくすぐったくて、でもどこか誇らしくて、ずっと見ていたくなる。国光くんのことをもっと知りたいと思った。  

 だからわたしの方からデートを取り付けた。
 初めて見る私服の国光くんは、やっぱりかっこいい。シンプルな服装が彼のスタイルのよさを際立たせていて、思わず目を奪われる。今日のためにお気に入りのスカートを履いたのだが、国光くんの隣に立つには物足りないのではないかと不安になるほどだ。

 これでも今日の服装は昨日の夜、何度も鏡の前に立って見比べながら選んだものだし。朝早く起きて慣れないメイクをして、髪だってサイドに編み込みもしてみた。

 大人びている彼の隣に立てるようにがんばったつもりだ。―――それでもやはり彼との間に差を感じる。
 背の高さも大きく違うし、手足の長さも全然ちがう。並んで歩いていて、わたしばかり子どもっぽくて不釣り合いに見えるんじゃないかと思うことはしょっちゅうだった。

「どうしました?」

 ぼんやりと見上げていたせいで、視線に気づいてしまったようだ。国光くんは不思議そうな顔をしている。

「ねえ、国光くん」

 わたしは彼の名前を呼ぶと、繋いでいた手をそっと離した。そしてそのまま、腕をぎゅうと絡めてみる。

「……先輩?」

 驚いた様子の彼に構わず、わたしはさらに身を寄せた。肩が触れるくらいぴったりとくっつくと、コート越しに体温が伝わってくる。

「あの、名前先輩……これはちょっと近すぎませんか」

 戸惑う国光くんに、わたしは悪戯っぽく微笑んでみせる。

「こうした方が温かいでしょう?」

 さっきよりは国光くんの温もりを強く感じることができた。けれど、これだけでは足りない。もっと彼と触れ合っていたい。

「それに、手を繋ぐのもいいけどこっちの方が恋人っぽいじゃない」

 照れ隠しにそんなことを言うと、彼は困ったように眉を下げて言った。

「……まあ、そうですが」

 その言葉に少しだけ満足して、わたしは彼の方へ体重をかけた。
 すると彼は仕方ないという風に歩き出す。

「本当に、あなたって人は」

 国光くんが呟く声を聞きながら、わたしはもう一度彼の横顔を見上げた。

「ねえ、国光くん。どうしてわたしの告白を受けてくれたの?」

 ふと思いついて、聞いてみた。
 なんとはなしに尋ねただけだったけれど、改めて考えると疑問に思ったことがあったのを思い出した。

 国光くんと付き合い始めてから、何度か同じ質問をしたことがある。
 しかしいつも返ってくる答えは決まって「好きだと思ったからですよ」というものばかりだった。

 国光くんが嘘をつくとは思えないし、彼がわたしのことを好いてくれているのは間違いないだろうと思っている。ただ、なぜ好きになってくれたのかがわからないままなのだ。

 国光くんのような素敵な人に好きになってもらえたのは嬉しい。
 だけどわたしはその理由を知りたかった。

「……気になりますか?」

 国光くんがこちらを向いて尋ねてきたので、うんと素直に返事をする。国光くんはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「俺にとって、あなたが特別な人だからです」

―――特別。
 予想していなかった回答にわたしが目を丸くする一方で、国光くんは静かに続ける。

「一緒にいると心が落ち着くんです。名前先輩に隣にいて欲しい−−−そう思える相手に会ったのは初めてです」

 それはわかる気がした。
 わたしだって、国光くんと一緒にいるのはとても心地いいから。

 彼の手がそっと伸びてきて、わたしの頬に触れる。

 手袋をしていない指先はひんやりとしていたけれど、すぐに温かくなって、まるで彼の気持ちが染みこんでくるようだった。
 わたしは嬉しくて、でも恥ずかしくて、うまく言葉を返すことができなかった。代わりに、彼の手に自分の手を重ねる。

「わたしもね、国光くんのことが好きだよ」

「知っています」

 そう言うと、国光くんは静かに微笑んで、それからまた前を向いた。
 もうすぐ目的地に着く頃だ。

 頬を撫でる風が冷たい。あんなに冷え切っていたはずの身体も今は熱を持っていて、火照っている。
 この風が熱を冷ましてくれたらいいのに。
 そう思いながら、わたしは国光くんの腕に絡める力を強めた。 



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