半分こした世界の中で
国光くんがいると、自然と朝起きるのが早くなる。
同棲を始めて分かったのだけれど、国光くんの朝はとても早い。起床し、ストレッチやランニングをした後にシャワーを浴びて、朝食を作る―――これが、彼の朝の一連の流れだ。
はじめは頑張って国光くんに合わせて起きようとしたり、「朝食はわたしが作るよ」と言ったのだけれど、結局わたしが起きる頃には既に国光くんがキッチンで作り始めているのがほとんどで。
だから、国光くんがいるときのわたしの目覚まし音は、スマホのアラームと国光くんが料理をしている音だ。
眠い目をこすって寝室を出ると、エプロンをした国光くんが「おはよう。…寝癖がついているぞ」とキッチンカウンターの向こうから声をかけてきた。彼がしている濃紺のエプロンは、国光くん用にとわたしが購入したものだ。
お揃いの食器とか、同じボディソープを使っていることにも幸せを感じるけれど、国光くんが家にいてくれてこうして何かをしている姿を見るのが一番好きだ。……本人には言わないけれど。
「…おはよう。んー、いい匂いだね」
今日もわたしが起きたタイミングを見計らったように、炊飯器からご飯が炊き上がった音が鳴った。洗面台へ行く途中で、白米と焼き魚の匂いに引き寄せられるように国光くんのところに寄り道する。
「今日はなに?」
「鮭の塩焼きときんぴらごぼう、それから味噌汁だ。あと作り置きのもいくつか使わせてもらった」
「うん、全然いいよ。今日もおいしそうだね、ありがとう!」
「大したことじゃない」
そう言いながら彼はフライパンの中へ溶き卵を流し入れた。じゅわっと卵の焼ける音とともに、ふんわりといい香りが広がる。
「もう少しでできるから、お前も準備してこい」
「うん!」
国光くんに促すよう言われて、わたしは洗面所へ。
冷たい水で顔を洗えば、少し目が覚めた気がした。仕事用のメイクを手早く済ませ、髪の先を軽く巻いて出来上がり。
リビングへ戻り、夫婦茶碗にそれぞれご飯を盛り付けてテーブルへ運ぶ。
食事の準備ができればテーブルを挟んで向かい合って座り、いただきます、と言って箸を持つ。
「おいしい〜」
鮭の程よい塩加減やきんぴらの甘辛さが白米とよく合う。 わたしの反応を見て、国光くんの目元が和らいだ。
「お前はそうやって喜んでくれるから、作りがいがあるな」
「いやいや、国光くんの料理がおいしいからだよ。ほんと料理上手になったよね。もちろん初めて作ってくれたときからおいしかったけど、今はもっとおいしいいよ」
「そんなことはないと思うが……。向こうでも作っているから、それでかもしれないな」
国光くんは照れた様子もなく言うけれど、はじめの頃はレシピ本を見ながら包丁を握っていた。それが今では、レシピを見なくても分量どおり調味料を合わせているし、包丁を器用に使って飾り切りなんかもしたりして―――なんならわたしより美味しいものを作ることもある。
日本に帰ってきているとはいえ、完全なオフではない。わたしが仕事に行くように、国光くんだって日中はテニスの練習がある。
早起きして朝食を作ってもらうなんて申し訳ないなと思うのが半分、国光くんが作ったおいしいごはんが食べれて嬉しいなと思うのが半分。そしてやっぱり嬉しさの方が勝ってしまう。
「なんだかわたしばっかり得してるみたい」
「朝食だけで大げさだな。俺が好きでしていることだと言っているだろう」
「だって起きたらご飯が出来上がってるんだよ。一人じゃこうはいかないよね」
「……まあ確かにそうだな」
わたしの言葉に納得してくれたのか、国光くんが味噌汁を一口飲んで言った。
「一人で食べるよりこうしてお前と食事をする方がよりおいしく感じる。それに、お前の喜ぶ顔が見たくて料理をするというのは、なかなか楽しいものだ」
ふっと口元を緩める国光くんを見て、思わずこちらまで嬉しくなる。
「わたしも、国光くんと一緒にごはんを食べるの大好きだよ」
国光くんが作ってくれたご飯を、二人で一緒に食べる。それは一人での食事よりもおいしくて、幸せな時間だ。
今日もまた一日頑張れそうな気がしてくる。
****
夕食を終えた後の穏やかな時間。この時間が、国光は好きだった。
テレビの前のソファに座り洋書を開いているが、意識は自然とキッチンで片づけをしている彼女の方へ傾く。
音が本格的に家事を始めたのは同棲を始めてからだといい、はじめは苦戦しているようだった。けれど国光が海外で家を離れている間にも料理や掃除の練習をしていたようで、久しぶりに会うごとに彼女の成長が垣間見えて、国光のためにと料理を作ってくれるのがそれがまた嬉しかった。
「国光くん、お茶淹れようか?」
「ああ、頼む」
食器類を流し終えた音はエプロンを脱ぎながらそう尋ねてくる。それに素直に従うと、音はいつものように湯呑みを二つ用意して、急須から緑茶を注ぐ。それを国光のいるソファまで持ってきた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
礼を言って受け取れば、音は「どういたしましてー」と言って国光の隣に腰を下ろした。ソファではなく、丸クッションの上に。カーペットが敷かれているとはいえ、足が冷えるのではないか。
「おい、名前」
「なぁに?…あ、お茶ぬるかった?」
ローテーブルの下から取り出した雑誌をテーブルに置いたのを見て、彼女が普段はそこを定位置にしているのを察する。そして不安そうな顔になる彼女に、小さく首を振った。
「いいや、ちょうどいい。 それより床に座って、寒くないのか?」
「うん、別に平気だよー」
音はけろりとした様子で言う。確かに暖房も効いているし、床にはカーペットが敷いてある。だがそれでも気にしてしまうのは。
「ならいいが……」
そう呟いて、国光は再び本を読み始める。―――視線を落とせば、視界の端に名前の姿が入る。
彼女の方は読書に集中し始めたようで、静かに雑誌の文字を追っている。おそらく、国光が見ていることに気づいていないだろう。
そこから少し時間が経つも、国光の方は集中が続かず、再び名前の方へ視線をやった。
読書自体は好きだし、集中しようと思えたできるのだが、音の方に気が向いてしまう。そして、ぽっかり空いている国光の右側。ソファに座る時、真ん中ではなく左に寄って座ったのは隣に彼女が来ると思ったからだ。
彼女からしたら仕事から帰ってきた後に夕食を作り、その片付けも終えてようやく趣味の時間がやって来た。集中させてやりたいとは思うが、今は二人きりだしもっとそばに来て欲しいと思う。
そんなことを考えていたら、無意識のうちに体が動いてしまったらしい。
「…ん?」
手を伸ばせば届く距離に名前がいるから、つい手が出てしまったのだ。彼女の髪に触れて軽く撫でれば、小さく声を上げた。
「どうしかたの、国光くん?」
「いや、すまない、…なんでもないんだ」
「えー、何かあるでしょう。なあに、かまってほしいの?」
こちらを見上げてくる彼女の表情から、特に嫌がっているわけではなさそうだ。むしろ嬉しそうに見える。
「……まあ、そういうところだ」
「じゃあ何してほしいのかなー?」
楽しげに尋ねる名前に、国光は考えていたことを口にする。
「……もう少し、こっちに来ないか?」
「はいはーい」
嬉しそうな返事をして、彼女は体ごと移動してきた。国光のすぐ横にぴたりとくっつくように座り直すと、「これでいい?」と言いながら顔を覗き込んでくる。
「ああ」
国光の満足げな声に、名前はくすりと笑みをこぼした。
「なんか今日の国光くん、かわいいね」
からかうように言いながらも、名前はどこか優しい目つきで微笑む。それから、甘えるように国光の方へ体を預けた。
そこから名前はテレビを観始め、国光は読書を再開する。
沈黙が訪れたが、けれどそれは居心地の悪いものではなく、互いに寄り添うことを許し合う穏やかな時間だった。
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