口実ばかり見つかる季節
国光くん用にと買ってきたパジャマ。
大人の男性用で本人のいないところで買ったものだったのでサイズが合うか心配だったけれど、腕を伸ばしたりしながら服の具合を確かめ、「問題ない」と国光くんは短い感想を述べた。
折り皺のついたままのそれを着た国光くんがわたしの部屋にいるいうのは、とても珍しい光景だ。
一人暮らしの部屋に長身男性が立ったままでいると、普段は気にならない天井が随分低く感じられた。
「気にしないで、クッションに座ったらいいのに」
見たまま思ったことを言うと、国光くんはクッションをじっと見た後、キッチンで作業しているわたしの方に視線を戻す。
「お前の座る場所が無くなるだろう」
「わたしはそこら辺に適当に座るよ。……ねえ、紅茶でもいいかな?」
「ああ。なんでもいい」
棚からちょっといい紅茶の缶を取り出してみて、いやでもスポーツ選手にカフェインってどうなのと自分で待ったをかける。
ここは変なものは出さない方がいいのかな。もし身体に気を遣っているのなら、無難にミネラルウォーターとか出した方がいいのでは。でも我が家には安売りで買いだめした2リットルの天然水しかない。
―――というか、こんなことで悩むくらいならさっきコンビニに寄った時に国光くんの好きそうな飲み物を買えば良かった。
新発売のスイーツしか買わなかった自分を恨む。うーん。失敗した、もう一回買いに行くのも手かなあ。
「国光くん、コンビニの飲み物で何が好き?」
脈絡のない質問に、国光くんは目を瞬かせた。
「紅茶を淹れるんじゃないのか?」
「いやあ、カフェインとか気にしているかと思って」
国光くんはそこまでじゃない、と嘆息する。
「お前の部屋に行きたいと言ったのは俺の方なのだから、あまり気を遣う必要はない」
「うん」
「それに、名前の用意してくれたものなら何でも好ましい」
学生時代は堅物で甘い言葉一つすら滅多なことがない限り言ってくれなかった恋人は、海外生活の中でストレートな言葉選びが身についたようで。嬉しいことを言ってくれるそんな彼に、思わず笑みが零れた。
国光くんと会うのは、数ヶ月ぶりだった。
活躍自体は本人の口から聞いている―――そう言えれば良かったのだけれど、残念ながら専らインターネットニュースやスポーツ雑誌で、自分で調べて知ることが多い。
メールを送るのも基本的にわたしからで、国光くんからの返信は何回かに1回返ってくれば良い方だ。
時差とかスケジュールの壁は思っていた以上に分厚いようで、お互いにタイミングが合えば電話をするようにしているが、それでも一般的な恋人同士のようにとはいかない。
覚悟して始めた国際遠距離恋愛だけれど、たまに無性に寂しくなるときもある。
だから、帰国の予定を知らせてくれた国光くんの方から『お泊まり』を提案されたときは二つ返事で了承した。
学生時代に何度かドイツにある国光くんの部屋にお邪魔したことはあるけれど、逆に自分の一人暮らしの部屋に招くのは初めてだ。
彼用のパジャマもマグカップも歯ブラシも、彼が泊まりに来たときのことを考えながら買ったもので、自分たちの出番が来るのをずっと待っていたのだ。
友人でもなく、同性の同僚でもなく、自分の部屋に恋人がいる。雑誌を読んでいる国光くんの横顔を眺めて、手を伸ばせば触れる距離にいる甘い現実が嬉しくてたまらない。
「ねえねえ、間に行ってもいい?」
間に行くとは、国光くんの胡座をかいた上に座っても良いかということで。
わたしのお伺いに国光くんは一瞬固まったけれど、雑誌をローテーブルに伏せて置いて、それから迎え入れるように軽く腕を広げた。
「……こういうことか?」
「そうそう」
足を踏まないように慎重に国光くんの胡座の上に腰掛けて、次いで国光くんの右腕を取ると自分のおなか辺りに回す。
腕を広げたときのまま固まっている左手は、わたしのひざに置く。体勢を整えれば、国光くんの上体に背を預けて存分にくっつく。
戯れのような提案だった。
我が意を得たりというように対応してくれた国光くんだったけど、頭の上に降ってきた小さなため息に、わたしは少し眉尻を下げる。
「重い?」
「平気だ。いや、そういう問題ではなくだな……」
「ならいいでしょう?―――少しでいいから、このままでいさせて欲しいの。お願い」
名前のいきなりの行動に驚きはしたものの、恋人に触れたいと思ってたのは手塚も同じこと。
肩口にそっと顔を押しつけると、自然と彼女の香りが匂い立つ。
名前は少しでいいからとお願いしてきたが、手塚からしたら少しと言わず好きなだけこのままでいてほしかった。
普段ならば自分を律するのだが、今はオフでここには彼女と二人きりだ。
自分の中で張りつめていたものが、腕から伝わる柔らかさと温かさによって、その緊張が徐々に解けていくのが分かった。
「お前には、寂しい思いをさせてすまないと思っている」
「えええ? ふふふ」
眉尻を下げた音が笑い声を上げる。
「国光くんは、ドイツでテニスをしていて、寂しいって感じることはある?」
あるといえばあるが、それ以上にテニスに打ち込んでいるときは考えないようにしているので、寂しいと感じる時間は少ない。
ただ、自宅で一人でいるときやふとしたときに、名前は今は日本で何をしているのだろうと考える。
そして彼女が自分を想って寄越してくれたメッセージを読み返しては、自分の励みへと変えている。
「わたしが好きになったのって、かっこよくて優しい手塚 国光っていう人なんだよね。テニスが死ぬほど上手だとかプロになりたがってるのを知ったのは、だいぶ経ってからだし」
知っている。中等部に入学して間もない頃―――まだクラスメートの名前すら覚えきれていない時に他所のクラスからわざわざ来て話しかけてきたのを、そのときの彼女の顔をよく覚えている。
「でもそれらをひっくるめて国光くんなんだから、そこはもう受け入れてるよ。寂しくなったら国光くんがどこにいようと、わたしが会いに行くよ」
でも今は国光くんが日本にいるから、思いっきり充電できるね。そう言いながら、名前は手塚の手をにぎにぎしている。
手塚は小さく息を吐き、その手を取ると手のひらを合わせて指を入れ絡める。
「充電、か……そうだな。俺もさせてくれないか」
「うん、どうぞ」
部屋の電気を消してしまえば、音を横抱きにして壁際のベッドまで行くのなんてすぐだ。手の届く範囲内で全て事足りそうな点について褒めると、
「それ遠回しなあれかな?」
「感想を言ったまでだったんだが、広い方が好きか?」
「うん、好き」
「なら次の部屋は、二人で探そう」
「え、それって……んん」
他事に興味が向きそうになった名前の問いは、唇を塞いで消してしまった。
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