可愛い子には旅をさせよ
(エンドロール後くらい)
小さな花々の咲く野を踏みしめながら歩く。風がそよぐと、草の匂いと花の香りがふわりと立ち上がった。
傍らをついて歩くリーフィアの足取りも、心なしか弾んでいるように見える。春の訪いを喜んでいるのか、それとも向かう先にいるであろう少女たちに会うのが楽しみなのか。
―――ぽとん、
ころころころ。
上からオボンのみが転がり落ちてきて、セキのつま先に当たって止まった。
木の根元に置かれている靴、次いで幹を沿うように視線を上げれば、調査隊服を着た少女が枝に足を掛け、今まさに、黄金に色づいたオボンのみをもごうとしているところだった。
短く息をついて、足元に落ちているオボンのみを拾い上げる。
「カナ、せっかくのきのみを落としたぞ」
「え?―――……あ、セキさん」
木の間から顔を覗かせたカナが、セキの姿を見つけてするすると木から下りてきた。―――少し会わない間に、エイパムのような動きを身につけたなと半ば感心する。
セキから受け取ったオボンのみが傷ついていないことを確認すると、カナはほっとしたように表情を緩めた。
「潰れてないし、うん、大丈夫そう。 ありがとうございます」
「そいつは良かった。―――なあ、昼餉を持ってきたから、一緒に食べよう」
左手に抱えていた包みを示せば、カナがこてんと首を傾げる。
「セキさんが作ったんですか?」
「ああ、そうだぜ。どうせなら見晴らしのいいところがいいよな。ほら、ついてきな」
カナの手を引いてやって来たのは、リッシ湖の畔―――コンゴウ団の集落の対岸側だった。
木々が描く輪郭の向こうに、集落から立ち上る煙がうっすら見える。近くにポケモンの気配もないことだし、しばらく静かに過ごせるだろう。
セキの隣にカナが腰を下ろすと、待ち構えていたとばかりにリーフィアが服の袖をくわえ、くいくいと引っ張ってきた。
リーフィアは、カナの手持ちにいるイーブイに会いたがっているのだ。
そして、仲良しのともだちの鳴き声を聞きつけたのか、カナがモンスターボールから出してあげるより先にイーブイの方からボールから出てきた。
イーブイは一度長く伸びをして、それからセキのリーフィアを見つけると嬉しそうにじゃれ始めた。この二匹は、いつも仲が良い。
湖面を眺めながら、セキの作ってきてくれたおむすびをぱくつく。久しぶりの白米は噛めば噛むほど甘くなっていくように感じられて、ふと、思いつく。
―――たとえば、湿地で集めたイキイキいなほを飯ごう(イチョウ商会で買ったものだ)で炊いて、海水から塩を作ったら、自然の中ででも塩おむすびが食べられるんじゃないだろうか。
それかいっそ湿地に田畑を開墾してみようか。
カナひとりの力では難しいから、カバルドンやサイドンの力を借りて……。
そんなことを考えていたら、おもむろにセキの手が近づいてきた。硬い指が、口の端を掠めるように撫でる。
「んぐ…、なんですか、いきなり」
「にぎり飯を頬張りながら、難しそうな顔をしてるんでな」
カナの顔から離れていった指先には、白米が一粒くっついていた。それをどうするのか眺めていると、あろうことか彼はその指を自身の口元へ運び、ぺろりと舐め取ってしまった。
「なっ、…セキさん!」思わず抗議すると、セキはまるでいたずらが成功した子どものような顔をした。
「何考えてたのか知らねえがよ、そんな顔してたら、味も分かんなくなっちまうだろ」
「いや、だからって、そんな……」
今、顔から火が出てしまうんじゃないかってくらい熱い。鏡を見なくても、自分の顔が真っ赤なのが明らかだ。
「顔が真っ赤だぜ、カナ」
「誰のせいだと思ってるんですか、誰の」
「はは。オレのせいだな」
セキからしたらせっかくこさえてきたおむすびなのに、カナが他事を考えながら食べていたのが不服だったようだけど、にしても目の前でそんなことされたら、もうおにぎりの味どころではない。
「セキさんのいじわる」
「お、そんな生意気なこと言っちまっていいのか?」
「わー、ウソですごめんなさい。だからおにぎりを遠ざけないでくだいー」
即座に白旗を上げたカナの表情が面白くて、セキは笑いながら宙に上げていた包みを膝に戻してやる。
カナが二つ目を平らげ、一息ついた頃合いを見計らって、ようやく本題とばかりにセキが口を開いた。
「それで、あんたは何でまたこんなところで過ごしてんだ?」
「調査隊の仕事ですよ」
「へえ、そいつは3日もムラに帰れねえほどの大層な任務なのか?」
「…そんなところです」
カナの方はおにぎりを二つ食べ終わったのに、彼の膝にある包みの中はカナが取った分しか減っていない。
彼がただカナと食事をする目的でここに来たのではないことに今更ながら気づいて、カナは眉間を寄せた。
「だいたい、セキさんこそ、どうしてここに?巡回ですか?」
カナがいたのは、紅蓮の湿地でも奥まったところにある、毛槍の草原だった。
川を渡る術が無ければ、リッシ湖をぐるっと回って南へ下らなければならず、調査隊でも好んで来ようとする者は少なかった。しばらく一人でいるには最適な場所かと思ったのだけど。
「いや、あんたに会いに来たんだ。テルから聞いたぜ、デンボクの旦那相手に啖呵を切ったらしいじゃねえか」
「そんなことしてません」
カナは言い返した。
デンボクからの話をきっぱりはっきり断わったやりとりを本部の人に見られているから、テルにもその話が届いたのだろう。
しかし、カナにも言い分というものがある。―――弁明することなくコトブキムラを飛び出してきたから、誰にも言えてないが。
セキは黙っている。カナが反論したので、続きを促しているのだ。
ムラを飛び出して次の日くらいまでは色んなものがぐちゃぐちゃで、他人に話す気分ではなかったのだけれど、時間が経ってセキを前にしたら、逆にこの気持ちを打ち明ける相手が欲しいという思いが出てきた。
「……デンボクさんから、会わせたい人がいるって、呼ばれたんです」
テルから伝言をもらい、次の任務の召集かとか思ってギンガ団の本部へ行った。けれどデンボクから告げられた言葉は、
『カナ。お前を気に入ったという人がいるんだが、身を固める気はないか』
だった。
ヒスイの空が本来の色を取り戻したとはいえ、時空の裂け目はまだテンガン山の上空にあり、時空の歪みの発生も続いている。
カナは、あの時空の裂け目を塞ぐことと、元の世界に戻ることを諦めてはいなかった。
カナの元に届けられる依頼は、痛いし疲れることばかりだ。
でも次の日にはまた依頼が届く。こなしてもこなしても、人の興味が尽きないかぎり、カナへの依頼はなくならない。
うんざりすることもあるけれど、カナに拒む権利はない。だって得体の知れない人間が、無害である証明をするには人々への貢献という形で結果を出すしかないから。
本音を言えば、荒ぶるキングやクイーンの相手なんてしたくなかった。
向こうは殺意マシマシで襲いかかってくるのにこちらからの応戦はダメ、鎮め玉をぶつけて動けなくさせるしかないって、なんでこっちに不利すぎる条件て立ち向かわなきゃいけないのか。
でも元の世界に帰るには、あの白い四足のポケモンに会わなければならない。
オヤブンだろうと好戦的な相手だろうと、捕まえなきゃ。図鑑を完成させる為に頑張ってきたつもりだ。なのに、
―――一度追放して、また理由を付けてここから追い出すのかと。
一度目のときは心の中でどこか仕方ないと割り切ってて、原因の究明という目的があって、支えてくれる人ちがいたから何とかなった。
けれど、婚姻となると事情が違う。カナは今度こそ、本当にコトブキムラから追い出されて、元の世界に帰れる可能性も絶たれてしまうことを突きつけられ、張っていた糸がぷちんと切れるように、堪えていたものが限界を迎えた。
気付けば、アヤシシを駆って、天冠の山麓まで来ていた。
デンボクに何事か言ったかもしれないが、正直、あまり覚えていない。だから、もしかしたらテルたちの言うとおり、啖呵を切ったのかもしれない。
でももう全部どうでもいいやと、そこからずっとヒスイの大地を転々とし、紅蓮の湿地で過ごしていたところをセキに見つかって、今に至る。
「わたしは、調査隊をやめたくなかった。でも、コトブキムラから追い出されて、知らない人と結婚させられるくらいなら、もういっそ、ムラの外で暮らそうと、思ったんです」
あらましを伝えて、最後に大きく息を吐いた。胸の澱みを出し切るように。そうすることで頭がクリアに近づいた気がした。
「……でも、なかなかうまくいかないものですね、自活って。ていうか、嫌だからって逃げるのが一番だめですよね。わたし、デンボクさんに謝って、断れないか頼んでみようと思います」
相棒がいれば、野生のポケモンが襲ってきても大大大。必要な資材があれば、イチョウ商会から直接仕入れたらいい。
そう思っていたけど、本当は寂しくてたまらなかった。どうやら、孤独で人は死ねるらしい。
「セキさんに話して、何かすっきりしました。すみません、いつも甘えちゃって―――」
セキの大きな手が、己の方へ引き寄せるようにカナの肩を抱いた。その手はカナの頭へと移動し、添えるようにカナの髪を撫でる。豪快な性格に反してその手つきはひどく優しくて、蓋をしていたものが溢れそうになる。
「……なあ、もしあんたがほんの少しでもオレを好いてくれてるなら、そのままオレに全部預けてみないか?」
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