芥に滲む花の色
「傷も塞がって来ましたので、今日から包帯は外しましょう。―――外したからといって、この前のような大立ち回りはなさいませんように」
カナの包帯を取り替えたヒカミは、静かな表情を崩さずそう言った。後半の言葉は、完治と受け取ったカナが大の男を相手取って軽率な振る舞いをしないように含みを持たせて。
身を守る術を知っておいて損はないと思い簡単な方法を教えたが、まさか時間を置かずにそれを他者に―――しかも側近の一人である近衛隊長に実践するとは思っていなかった。
弁明に向かう姫に付き従いなら、次こそは本当に首を刎ねられてもおかしくはないと心中で冷や汗を流したが、当の本人は第一皇子の室から五体満足で出てきて、加えて「世話係に任じられた」と無邪気に喜んでいた。第一皇子のではなく、あくまでも「鳥」の世話係だが、それでも他国の姫と比べれば大きな躍進だ。
「傷口も、もう全然痛まなくなったよ。ヒカミの用意してくれた薬のおかげだね。ありがとう」
ヒカミは僅かに頭を下げ、身支度の方に取り掛かる。世話係の仕事をするとはいえ、一国の姫に召使のような衣装は着せられない。今日は緋色の前留め式の衣装に、黒橡色のスカートを合わせて帯を締める。淡い色の髪によく映えた。衣装を用意したのは、新たに王女付きとなった侍女のアンだ。
「ご用意ができました。 セト様は本日は一日、執務をされるとのことです」」
せっかく近づける機会をもらえたのに、目当ての第一王子が遠征などで傍にいないのでは意味がない。一日中城内にいるのであれば、セトと話せるきっかけを作るチャンスはたくさんある。
「うん。セトと会話できるチャンスだね!―――今日こそ、一歩前進してみせるんだから」
鏡に映る自分の姿を確認し、カナは胸の前で手を握る。
「がんばってください、アリシャ様」
ありがとう、と笑顔で返して『アリシャ』の名を与えられた姫は弾んだ足取りで第一王子の許へ行く。その姿を見送り、ヒカミは己に課せられた取り掛かった。今日も規則的に、機械的に。
戻って来たカナは、「今日もダメだった〜」と昨日と同じように肩を落としてしょんぼりするか、それとも花を飛ばしそうな笑みで今日あったことを報告してくれるだろうか。おしゃべりな王女の話相手はアンに任せ、ヒカミは労いのお茶を用意するのだ。
+ + + + +
世話係として傍に寄る事をゆるされたけれど、カナに課せられたのは本当に鳥のニィナのお世話だった。止まり木にとまったニィナが調子外れな音で歌っている。
石造りの床を拭きながら、カナは横目でセトの方に視線を投げた。
カウチで寛いでいるのは、ガルガダ王国の第一王子・セトだ。白銀の髪に深紅の瞳。肌は陶器のように滑らかで端正な顔立ちをしているが、感情の見えない表情からは無機質な印象を与えた。
セトには会った当初に「会話はこちらから話しかけた時だけだ。それ以外は許さぬ」と言われている。カナとしては何でもいいから話しかけてほしいのだけれど、向こうはカナの存在に全く関心がないようで、視線は手元の読み物に注がれている。どれだけ盗み見てもも、その視線が交わることはなくて。
そんな状況のまま早幾日が過ぎた。
今日こそまともに話しをしたいところだけど、さてどうしたものか。
止まり木にいたはずのニィナがぱたぱたと飛んでくると、カナの頭に乗っかった。お腹が空いて気が立っているようで、カナの頭を高速で突いてきた。
「わっ…い、った! 待って待って、すぐにあげるから!」
食いしん坊め、と小さく呟けば、突っつき攻撃が激しさを増した。
それに「痛っ…、いたいってばぁ…もう!」と抗議しても、鳥に人語がわかるはずもなく、ニィナは拙く「エサ! カナ! エサ」と鳴く。
目尻に涙を浮かべながら、腰に下げていた袋からシードを取り出して与える。一粒啄むと、足りないともっと寄越せと催促するように、羽ばたきする。
「はいはい、ちょっと待ってね。今、餌を出してあげるから」
餌箱に鳥用のエサ注いでやれば、止まり木に戻ったカナが啄み出した。
「おいしいか? そう、良かったな。でもほどほどにしとかないと、その内体が重たくなって、飛べなくなっちゃうぞ」
さて掃除の続き、とくるりと振り返ると、こちらを見ていたセトと目があった。
無視ばかりされる生活の中で、銀髪の間から覗く深紅の瞳を向けられると、思わず緊張してしまう。
「フォルトナの巫女姫は動物と会話ができるのか?」
「え、いえ、そんな力はありませんが……」
カナは深い瑠璃色の瞳をしており、『アリシャ』も同じ色の瞳を持ち、星見の巫女であった。けれど、そのような特殊な力を持っていたとは聞いていない。仮に持っていたとして、興味を持った王子から見せてみろと言われても、身代わりで孤児であったカナにできるはずもない。
「なんだ。ではお前が一人で話しているだけか」
考える素振りを見せ、セトがカナを手招きする。言われるままに近づくと、セトに「そこに座れ」と床を示された。言われたとおり、床にひざをつく。一人分程の空間の開いた―――手を伸ばせば届くほどの距離。
「フォルトナの巫女は、神の遣いだというが。はたして、お前はどのような力を持っているのかな」
深紅の視線が、頭のてっぺんからつま先まで睨めるように這う。
「セトさまは、力を持った巫女をお望みでしたか?」
「いや。そんなおとぎ話じみた迷信、信じてはいない。それに、そのような姫であったなら、フォルトナは頑として嫁がせなかっただろう。本当に、惜しいな」
手っ取り早く攻め入る理由ができたのに、と。セトの言葉を聞いて、カナはほっと胸を撫で下ろす。
その控えめな胸に、セトが手を伸ばした。上位の留め具を外そうとしてくる。
「なっ、何しようとしてるんだ?!」
「怪我の具合を見せろ。もう傷口は塞がったか?」
無遠慮に胸元をまさぐられ、ぎゃー!!とカナは心の中で悲鳴を上げた。すでに敬語は無くなっている。
「塞がったよ! もう平気だし、お前に心配される謂れはないはずだ!」
「ある。斬ったのは俺だ。なら治り具合も知っておいていいだろう」
なんだその理論は。本人は心配しているつもりなのか?だったら最初から斬りつけて来るなという話だが。
両腕を使って抵抗するカナ。セトは一向に留め具が外せないことに業を煮やし、最終的に
「脱げ」
そう一言。短く命じた。
「それともあの夜みたいに脱がされたいのか?」
「……っ!」
初めて寝所に連れ込まれ、乱暴に衣服を引きちぎられた瞬間の恐怖が蘇った。
結局はセトの謀で、カナを脅かすことを目的としただだけの行為だったけれど。思い出すと心臓がきゅっと締め付けられる。
カナは、震える手で直着の留め具を外す。平気だ。次いで、上位のボタンを上から三つ目ではずした。
セトに受けた刀傷は、右鎖骨の下から左の脇腹へと斜めに入っている。大部分は下着で隠
されているけれど、鎖骨の下から走る裂傷を見て、セトは「へえ」と呟いた。
直視されているのに耐えきれず、カナは目線を違う方向へやった。
(へえ、ってなんだよ、へーって! 見せてるこっちは、すっごく恥ずかしいっていうのに……)
斬られた直後はあまりの痛みに気を失ったし、その後も暫くは苦痛が続いた。今は、もう治りつつあるけれど。
「もうよろしいですか? 面白いものでもないと、思―――」
胸元に、柔らかなものが触れた。それが唇と分かったのは、濡れた舌が肌を裂傷のある部分を舐めたからだった。
冷たいと思ったのは、カナの体が熱を持っていたからから、その人の体温のほうが低かったからか。
舌先が傷口の皮膚を押し込む。
「い―――」
痛い。いや。やだ。
口から言葉が出そうになるのを、下唇を噛んで耐える。前回は叫んたところを浅はかだと笑われた。
なら、今回も同じだろうか。カナの反応を見て、泣き出したところ笑うつもりでいるのか。
「っ……」
傷口に触れた舌は、始まりの位置から傷に沿って、ゆっくりと移動していく。まるでカナの体の中から熱を呼び起こそうとするような。
実際は数分だったのかもしれないし、10分以上されていたのかもしれない。解放されるまで、カナにとっては永遠の責め苦を受けさせられている心地だった。
「深く斬ったつもりはないが、もうここまででとはな。次、骨までやったとしても数日で寝台から起き上がりそうだ」
はっと口元だけで笑うと、セトはカナから離れていく。
「い、いきなり何するんだ?!」
さも愉快だと言うような口調に、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「お前が言ったのだろう。ガルガダの―――俺の所有物だと。それをどうしようが俺の自由だ」
「だからって、こんな……!」
「お前はフォルトナの巫女で、俺はこの国の王子だ。お前が何をしようと咎める者はいない。それに」
くつりと喉の奥で笑いながら、セトがカナを見下ろしてくる。
「お前が望んだことだ」
「ち、違――」
カナは否定しようとするが、セトに顎を掴まれて阻まれた。
「俺に抱かれるのが嫌なら逃げればいい。だが、逃げる場所があるのか?」
「…………」
カナは答えられなかった。
「ここはガルガダ。お前は俺の奴隷だ。どこに行こうが、お前の居場所なんてない」
そう言うと、セトはカナの頬を一撫でして部屋から出て行った。
残されたカナは、扉の閉まる音が聞こえるとその場に座り込んだ。
鼓動がうるさいくらいに鳴り響いている。
セトの舌がなぞった部分が、燃えるように熱かった。
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