同じ温度で飽和して
朝。下駄箱の所で、名前はちょうど登校してきた夜天と会った。
「おはよ、夜天くん」
「…ああ、君か。おはよう」
挨拶をすると、いつもより低めの声で挨拶が返ってきた。夜天が靴を履き替えるのを待ってから、一緒に歩き出す。
「疲れてそうだね。連休中もずっと仕事だったの?」
「そうだけど、原因は別。 気分屋の相手は疲れるよ」
へえ、と名前は夜天を見た。
気まぐれで好き嫌いのはっきりしている夜天にそう言わせるなんてどんな相手だったんだろう。
ミュージック番組のプロデューサーとか、はたまた収録で一緒になったアイドル、女優とか?
無理難題を言いつけられても涼やかな態度で躱わしそうに見えるけれど。
超人気アイドルグループとはいえ、駆け出したばかりで芸歴が浅いと苦労も多いのだろう。
「君は? 最近忙しくしているって星野から聞いたけど」
「うん。球技大会が近いから、打合せとか準備で大変。 今年の1学年は夜天くんたちのクラスが強そうって、みんな言ってるよ」
「うちは負けず嫌いの星野がいるからね。 もちろん君はうちのクラスを応援するんでしょう?」
「それは……」
「まさかしないの?」
名前と星野の関係を知っている夜天は、予想とは違う名前の反応にびっくりした。そのまさかだと示すと、彼は大仰なため息をついてみせた。
「……それで納得がいったよ。星野がなんで不機嫌だったのか」
「そのやり取りしたのは一週間も前だよ。そんなに引きずるかな?」
「君がそうやって呑気に構えている間、誰が星野のフォローしてたと思うの?」
「あはは…。あ、自販機あるよ。ジュースでもいる?」
労いの意をこめて名前が訊くと、「…その気遣いをもっと別のとこに使えないのかな」と皮肉が返ってきた。失礼な。
夜天には悪いけれど、名前は直前に、約束していたデートを、前倒しで入って来た仕事を理由にドタキャンされたのだ。
その直前には球技大会に向けて張り切って練習している姿を見ていたから、「応援なんてしてやるもんか」とつい意地を張ってしまった。……星野と名前の問題で夜天たちに負担をかけたなら申し訳ないと思う。
「教室に寄っていきなよ」という夜天の誘いを断って別れた直後、名前のポケットの中で携帯電話が震えた。自席に着いて、こっそりメッセージを確認すると、差出人は先ほどまで話題に出ていた彼からで。
『昼休み。屋上。ぜったいk』
という文面だった。慌てていたのか、先生に使用しているのが見つかってしまったのか。どのような理由かわからないけれど、途中で送信したようだった。
屋上に出る扉をくぐると、手を取られて腕の中に引き込まれた。
大好きな温度を近くに感じられて、それだけで会えなくてくすぶっていた可愛くない感情は砂のように消えてしまった。なんて単純な思考回路なんだろう。
練習は大変なのかとか、学校に来られなかった間にあったこととか、できれば次のデートの予定とか。
星野が学校に来たら話そうと思ってたことがたくさんあった。
あのね、と開いた口は「あ」の形をしたままぱくりと食べられてしまった。
言葉も無く性急に降ってきたキスにびっくりして、けれど抗議しようにも食まれる唇の隙間から出るのは声にならない音ばかり。合間の息継ぎも僅かな時間しか与えてもらえず、またすぐに唇同士が触れ合って、柔らかな舌が角度を変えながら深く入り込んできた。
「……っ、…」
待ってと縋った手は、逆に指を絡めて握り返された。
名前がいっぱいいっぱいなのをお見通しのくせに、それに気づかないふりして我を通すなんて、星野らしくなかった。
会えなかった間に空いてしまったものを埋めるようなキスに、流されてしまいそうになる自分を叱咤して、名前はようやく声を上げた。
「ーーーストップ」
隙間の無くなっていく距離が気になって、星野の手が腰から上がってきたのでいよいよ名前の羞恥心は限界を迎えた。不埒に動く手を捕まえて動きを阻止すれば、不満げな視線が痛いくらいに突き刺さってくる。
「なんでだよ」
「なんでじゃなくて、ここ学校、しかも屋上! 人に見られたらどうするの」
なら、と言いかけた星夜を遮り「キスももう終わり」とノーを突きつける。
「いーじゃん、見せつけてやろうぜ」
「絶対にだめ!」
一般人の名前はさておき、星野は今人気急上昇中のアイドルなのだ。
今では誰でもが耳にしたことのあるグループ、“スリーライツ”。そのメインボーカルを務めるのが彼だ。
ただでさえルックスも良くてスポーツもできて目立つのに、ホンモノのアイドルだから彼のファンは星の数ほどいる。
この十番高校で、校内に落としたボタンを見つけるよりも彼のファンじゃない女の子を探し出す方が難しいだろう。
「じゃあ、こうならいいだろ」
星野の足の間に座らされ、後ろからがっちり抱きしめられる。彼は細身なのに意外と力があるらしく、身じろぎしてもびくともしない。「逃げんなよ」と更に力を込められてしまえば、名前は仕方なくあきらめた。
給水塔の裏。日陰になった場所に隠れるようにしてこんなことして。
本当は良くないのかもしれないけど。
「会いたかった」
素直に好意をぶつけられてしまえば、もう名前に対抗手段はない。
そんなのわたしもだよ、とおなかに回された腕に手を添えて、星野に身体を預ける。
昼休みの喧騒が遠い。まるで切り取られたような二人きりの空間に、乾いていた気持ちが満たされていくようだった。
「学校に来れなかった間、おまえがどっか行っちまうんじゃねーか気が気じゃなかった」
「どこに行くっていうのよ」
「わかんねーけど、どっか、遠く」
なにそれ、と名前は努めて軽い声で返した。
星野はたまに、よくわからないことを言う。
自分はずーっと遠くから来たと言いながら、故郷に名前を連れて帰りたいと宣言したり。名前の知らないことを言い、なんのことか分からず反応に困っていると不満そうにする。
スリーライツのメンバーの大気や夜天に通じるものを、星野は名前にも同じかそれ以上のものを求めているのだと、最近になって気づいた。
正直、彼の考えていることがわからないときがある。名前は星野のことが好きだけれど、彼が名前に向けてくる感情は同じじゃない気がした。星野は名前に何を求めているのか。
もしも名前が、星野が求めているものが何かわかったとき、彼はきっと離さないだろうという予感めいたものがあった。
「……早く思い出せよな」
肩口に頭を押し付けたまま、星野がそう小さくつぶやいた言葉の意味も、名前はわからなかった。
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