カラフルビーズをちりばめて


 どこかで鳥が鳴いている。近くの木に巣を作ったのだろうか、それとも村の子どもたちが遊びで真似ているのか。

 ここの村の子たちは動物の鳴き声を真似て遊んだり、いたずらで気配を薄くして近づいて来たりするので、何度それで後ろから驚かされたか分からない。

 腕の中で、赤子が身動いだ。生を受けてまだ間もない赤子は、無垢な目をきょろきょろと動かして懸命に世界を映そうとする。手の届く小さな範囲がこの子の世界だけれど、この子にとってのすべてが詰まっているのだろう。

 風に揺れる木々の緑、雲間から差し込む柔らかな日差しーーーそれが何であるか分からないなりに、与えられるものを素直に享受するその姿には、かけがえのない愛らしさがあった。

 三本の指に収まりそうなほど小さな手。
 名前はその手をそっと広げるように、優しく包んだ。

「まるで紅葉みたいですよね」

「そうだね。しかし、ほんとうに小さいねえ」

「まだ四ヶ月ですから」

「陣左が赤ん坊だった時を思い出すなぁ。初めて会った時なんて、このくらいの大きさだったんだよ」

 このくらい、と雑渡は親指と人差し指で示した。まあ、と笑う名前の後ろで、一寸法師にされそうになった高坂が「組頭、流石にそこまで小さくありませんでした」と返す。

 高坂としては、上司と妻の会話を邪魔するつもりはなかったのだけれど、自身で覚えていない赤子の時分のことを話されるのはいささか気恥ずかしかった。

「幼いときの陣内左衛門さまも、きっと可愛かったのでしょうね」

「……頼むから組頭の前でそういうことを言うのはやめてくれ」

 面白がられているのが分かる。こういうのは尊奈門の役割のはずなのに……。
 
 妻に強く出れない高坂と、夫の新たな一面を知れて喜ぶ名前の様子を、雑渡は愉快そうに眺めていた。


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 名前はタソガレトキ領内にある商家の生まれで、一男四女の末っ子として大切に育てられていた。

 祖父は一代で商いを興し軌道に乗せた傑物として、その地域では名の知れた人物だった。
 扱っていたのは米や塩といった生活に必要なもので、商売を通じて多くの人々と繋がりをもち、時には寺院や大名家と直に取引を行うこともあった。

 名前が生まれた時にはすでに祖父は他界していたものの、祖父の話はよく父から聞かされていた。

 家業を引き継いだ父は、自分の代で更に商売を盛り上げようという野心を持っていた。

 父は、親として娘たちを愛してくれていた。けれど、目に入れても痛くないほど可愛がるのと嫁に出す話は別で、どこに出しても恥ずかしくないように、行儀見習いとして一時期奉公に出されたり、いろいろと稽古事を習わせた。

 父親は、娘たちが実家にいる時以上に幸せになるには、一番は嫁ぎ先が裕福な家でなければならないと信じていて、婿として娘を大事にしてくれるかは二の次という人だった。

ーーーだってお金がないと広い家にいられないし、食料も着物も買えやしない。逆に富んでいれば自ずと心には余裕が生まれ、妻を愛でる気持ちが湧いてくるもの、と言うのが父の持論だった。
 祖父(名前にとっての)がそうだったから。

 それが親として正しかったかどうかは置いておいて、名前が十五になる頃には、山のように縁談が来ていた。

 父は、裕福な武家や他の商家に嫁いで行った姉たちにも引け目を取らないような良縁を瑠璃にも与えてやりたいと、縁談話について吟味に吟味を重ね、おかげでなかなか話が進まないでいた。

ーーーなので、名前が街中で男に絡まれそこを助けてくれた高坂に一目惚れをし、「この方と結婚したい」と家に連れて来たとき、父はひどく難色を示した。
 
 身元が分からないからではなく、その時の高坂の置かれている状況に理由があった。(父はタソガレトキ城にも出入りしており、彼が高坂家出身であることを知っていた。)

 高坂家は代々タソガレトキ領主に仕えている家系だが、嫡子であり当主の一人息子であった陣内左衛門は、タソガレトキ忍軍狼隊に無理を言って入隊したことから実家から勘当扱いを受けていた。

 そのような男に嫁がせても娘が不幸になるだけと不安視する父を、名前は兄の助力を得て説き伏せ、高坂と婚姻を結んだ。

 そのような経緯から始まった夫婦関係なので、タソガレトキ忍軍の内部では、実は高坂の方は本意ではなかったのではないか、押しかけ女房同然にやって来た娘に手を焼いているのではないかと、この結婚に対して同情する声が少なくなかった。

 そう思わせたのは、結婚する前とした後とで高坂の態度がちっとも変わらなかったのも大きな理由だった。

 妻の元へ足繁く通うわけでもなく、新婚らしい雰囲気をおくびにも出さない。命令に対して忠実で、長期の忍務にも文句を言わない。仕事における人材としては完璧で文句のつけどころがなかった。

 組頭から「結婚してどう? 奥方殿とは順調?」と聞かれても「問題なくやっております」と無難な回答をし、直属の上司である山本から「今度の休み、たまには家の方に帰ったらどうだ」と勧められて、ようやく城から近い方の家ではなく、妻のいる家に向かったという具合なので、

ーーーよほど妻に会いたくないのだな……

と、同僚たちは高坂の置かれている境遇を思い遣った。

 タソガレトキ忍軍は結束が固く、身内に対して情が深かった。



 ある時、高坂はタソガレトキ領内にある隠れ里に家を用意し、そこに名前を連れて来た。
 家を建て始めたあたりから「そのうち連れてくるんだろうな」と思っていた諸泉は、予想していた以上に早く高坂によって連れて来られたので、びっくりした。
 だって昨日、内装が完成して家具を運び込んだばかりなのに。

 諸泉は、「早すぎませんか……?!」と思わず叫んだ。

「何を言う、遅すぎたくらいだ。 両方の家を納得させるのに時間がかかってな」

 高坂は「同じ隊の諸泉 尊奈門だ」と名前に諸泉を紹介する。

「ーーー名前と申します」

 彼女は濃い青藍色の小袖を着ており、庭に植えたリンドウがそのまま人の姿を取ったかのようだった。化粧っ気はほとんど感じられないのに、白い肌と薄く色づいた頬。つやつやとした黒髪を一房ずつ横に垂らし、残りを後ろで一つに束ねている。そして……

「陣内左衛門さまの妻になりました。 どうぞよしなにお願い申し上げます」

 諸泉の視線は彼女の顔から胸をたどって更に下に行き、「尊奈門」と高坂に窘めるように呼ばれて我に返った。

「も、申し訳ありません! ついぶしつけに……」

 名前はころころと笑った。鈴を転がすような、耳なじみの良い声だった。

「もう少しで生まれるんです。そしたら顔を見に来てくださいね」

 そうして、村に来てほどなくして、名前は玉のような赤子を産んだ。高坂と婚姻を結んで、一年になろうかという頃だった。



 ある時、半年ほどの忍務をこなし、城に戻った後ひと通りの仕事を片付け、久方ぶりに隠れ里の家に帰ったはずの高坂が、「妻がいなくなりました」と俄かに詰め所に飛び込んできた。

 曰く、家に帰ると妻と子がおらず、書き置きもなければ侵入して荒らされた形跡もなし。
 忍びの村のから城下までの道のりは険しく、何の訓練も受けていない女が幼な子を抱えた状態で出られるはずがない。
 村の外には侵入を防ぐための罠が多々仕掛けられているので、もしやそこで動けなくなっているのではと、色を失くした高坂の様子に、詰め所内はざわついた。

 訳知り顔の山本が高坂を自身の家へと連れて行くと、そこには山本の妻と一緒に針仕事をする名前がいた。籠の中でぷあぷあ喋る幼子を、山本家の六人の子どもたちが取り囲んであやしている。

 一家の主である山本とその隣に高坂を見つけた名前は、「お帰りなさい、陣内左衛門さま」と向日葵のような笑みを咲かせた。そのまま走ってこようとするのを、高坂が「走るな、転んだらどうする!」と制止し、自ら駆け寄って名前をしっかり抱きしめた。

 彼女の腹は、着物の上からでも分かるほど膨らんでいた。二人目を妊娠していたのだ。

 身重の名前を気遣って、山本の妻は陣内左衛門が留守の間、名前の様子を気にかけて家に呼んでいたのだ。


 良いところのお嬢さんだったのに、嫌な顔一つせず、元くノ一が多い忍者の妻たちに混じって畑仕事や洗濯をせっせとこなす名前を見て、いつしか「慣れない土地に嫁いできたのに、夫に放っておかれて、かわいそうに」とそちらばかり心配するようになっていたタソガレトキ忍軍の同僚たちは、心中で胸を撫で下ろした。

ーーーちゃんと仲良くやれているようでよかった

 忍びとして任務を冷徹にこなす一方で、村に迎え入れた者は家族同然、彼らは身内に対して情が深かった。
 ちなみにタソガレトキ忍軍の妻やその家族たちは早々と瑠璃を受け入れた。

 忍びの村に卸される食材の質が上がり、衣や植物の種など村に入ってくる種類が豊富になったという。


 名前は大らかに育てられたそのままの性格をしており、ぺかぺか向日葵のように笑うところが愛らしく、おまけに結構な美人だった。ーーーそんな娘が家で帰りを待ってくれていて、数ヶ月ぶりに帰っても文句を言うより先に「お帰りなさい、会いたかった」とぎゅーっと抱きついて、疲れた体を労わってくれる。

 今では忍びの里でも有名な、おしどり夫婦となった。


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 「やあ、遊びに来たよ」と前触れもなく現れては、庭で子どもたちの遊び相手をしてくれる雑渡に対して、最初は緊張していた名前も、今ではすっかり肩の力が抜け、縁側で並んで座るようになった。

 高坂と名前の間には、満で四歳、二歳の子がおり、そしてこの春にめでたく三人目が生まれた。いずれも男の子である。

 この時期の赤子は綿毛のような髪の毛をしているので、今決めつけるのは早いかもしれないが、この流れだとゆくゆくは、この子も兄たちとお揃いの針金のように真っすぐな黒髪になりそうだ。
 父親の要素が強すぎて母親の面影がちっとも見当たらない。

 大人は2年3年顔を見なくても、あまり変わらないものだ。けれど赤子は違う。
 少し会わない間に、ふっくらしていた頬は徐々に引き締まり、小さな手は何かを掴もうとする。
 泣いてばかりだった声も、いつの間にか笑い声に混じって言葉を織り交ぜるようになる。

 時の流れは同じなはずなのに、赤子の成長は風のように早く、目を離すのが惜しいと思えるくらい。

「もう歯は生えた?」

「下の歯が見えて来ましたよ。むずがゆいのか、最近いろんなものを口に入れたがって、目を離せません」

「順調そうでよかった。にしても、陣左にそっくりな子たちばかりで、一人くらい奥方殿に似てもいいと思わない?」

 名前に抱っこされている三男坊、高坂の膝にもたれて寝息を立てている次男坊、そして自身の膝に座って組頭ギニョールをいじる長男坊を順に見比べた。

 パーツの配置はそれぞれで若干異なるも、きりりと上がった吊り眉やはっきりした目元、口のかたちなどが、ほんとうにほんとうに父親そっくりだ。

「いえ。陣内左衛門さまにそっくりな子たちがわたしを慕ってくれるので、満足しております。 夫が小さい頃もこんな感じだったんでしょうか」

「まあそうだね」

「だとしたら、私は夫の小さい頃からの成長を三人分見られるってことですね」 

 名前は頬に手を当て、「なんて果報者でしょう」としみじみ呟いた。

「だってさ。よかったねえ、陣左」

「名前、お前はもう何も言うな……」



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