私が初めて彼と出会ったのは『添い寝屋』と紹介されたからだ。

なんと響きの怪しい職業だろうか。そのちょっぴりいかがわしい響きだったにも関わらず、待ち合わせしている場所に来たのは綺麗な顔立ちで長い銀髪の背の高い男性だった。

「今晩は。君が名字名前さん?」
「あ、はい」
「ボクの名前は雪白東。今日はよろしくね」
あ、やっぱりいかがわしい響きの職業にぴったりだ。しゃべり方といい声のトーンといい、ゆったり余裕があってそれでいて何だかえっちだ。

何をするでも無く、ちょっとおしゃれな雰囲気のお店で晩ご飯を食べて、しばらく仕事の話や趣味の話をしていた。
東さんはとても話の聞き上手な人だった。
「名前ちゃんはどうしてボクに会おうと思ったの?」
「あの…」
「ちょっと核心に触れすぎたね。手を出してごらん?」
言い淀んでいると、東さんが左手を出してきたので、恐る恐るその手の上に自分の手を重ねた。私の手より大きい東さんの手が包み込むように握ってきた。強くは無い力で、そっと壊れものでも触るかのように。
東さんの親指が私の指先を撫でるように動いた。少しくすぐったいような気がして、手に力が入る。
「…こわい?」
「怖くないです、少しくすぐったい」
「こうしていれば、緊張せずに済むよ」
にこりと微笑まれて、その美しさに息をのんだ。
指先を撫でられているだけなのに、妙にドキドキして緊張はしないけれど、別の意味でそわそわした。

「このあとどうする?」
さらりと揺れる東さんの前髪にどきりとした。
東さんは『添い寝屋』なのだ。寝られる場所が必要で、もちろんそれは東さんを紹介してくれた人も言っていたから分かっていた。分かっていたけれど、ドキドキがおさまらない。
「あの、…私の家でもいいですか?」
「もちろん」

お会計をして店から出る時に当たり前のように東さんの手が差し出されて、先ほどと同じようにそっと自分の手を重ねた。するりと東さんの手が滑ったかと思うと、指が絡められた。いわゆる恋人繋ぎってやつだ。
「いい子だね。さ、名前ちゃんの家に帰ろう?」
「…はい」

手を繋いだまま電車に乗り二駅先の私の家の最寄り駅に着いた。
繋がれたままの左手は、現実なのに非現実的で。いつもと変わらない駅なのに、月に照らされて少し違って見えた。帰るまでの道のりも、いつもより足取りが軽く感じられた。

マンションに着き、鍵を開ける。いつもより入念に部屋を掃除して正解だった。こんな綺麗な人がこの家に来ることになるとは想像もつかなかった。
「東さん、お風呂入りますよね?」
「シャワーでも問題ないよ」
「お風呂溜めるんでよかったら使って下さい」
しばらくしてからお風呂が溜まり、どうぞどうぞと東さんにお風呂を先に使って貰うことに成功した。ちょっとドキドキしすぎて、どうすればいいのか分からない。
冷蔵庫から麦茶を取り出してグラスに注いだ。あとはお風呂に入って寝るだけだ。寝るだけ、なのだ。東さんがお風呂から上がってくるまでテレビを見ていたけれど、そのほとんどの内容は頭に残らなかった。

「お先にお風呂頂いたよ」
「はい、私も入ってきますね。麦茶置いとくので良かったら飲んでください」
お風呂上がりの東さんの色気のなんたることや。同じ空間にいるだけで、ドキドキしてしまう。しっかり寝間着を持ってきているあたり添い寝屋もプロの域だろうか。そんなことを考えつつ湯船につかってメイクを落としながら、ふと今からすっぴんを東さんの前に晒すのかと思うと嫌な汗が出た。
全くもって失念していた。しかも化粧水はリビングの棚に仕舞ってある。仕方ない。東さんも添い寝屋なりに守秘義務があると言っていたし、すっぴんの酷さは黙っていてくれるだろう。しっかりと全身を洗い、湯船に再びつかる。
洗い流さないヘアトリートメントをつけ、タオルを髪に巻いて、お気に入りのボディクリームを塗る。
「東さん、私すっぴん酷いんであんまり見ないで下さいね?」
「ふふふ、わかったよ」
一声掛けてから顔を出すとリビングの上には鏡と化粧水と美容液と乳液が並んでいた。
「あれ?私用意してましたっけ?」
「棚の上にあったから出しておいたよ」
すごく気が利いてる。ありがたく用意されていた化粧水たちを塗り塗りして、麦茶を飲む。
「髪、乾かしてあげようか」
「え!?」
「さ、洗面所に戻ろう?」
言われるままに東さんと一緒に洗面所に戻る。頭に巻いていたタオルを取られて、手ぐしで整えられる。まるで美容室でドライヤーをかけられているみたいな心地よさに思わずうっとりとしてしまう。途中から櫛を持ち丁寧にブローされて、これから寝るだけというのに髪は綺麗にまとまっていた。
「東さんすごいですね?めちゃくちゃ髪が艶々になりました…!」
「自分の髪はブローしづらいもんね」
笑いながら言う東さんだけど、東さんの髪も自分で乾かしたはずなのにまっすぐ綺麗に整っていた。

そっとベッドに入る。いつもの自分のベッドなのに、東さんがいるだけで自分のベッドじゃ無いみたいだ。向かい合わせに入ると、顔が近くてちょっと心臓がもちそうにない。
「東さん、髪触ってもいいですか?」
「いいよ」
長くて綺麗な銀色の髪は、さらさらとしていて触るだけで心地よい。
「すごく綺麗な髪ですよね」
「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」
東さんの手が私の髪に触れた。
「名前ちゃんの髪も綺麗だよ」
「これは東さんのお陰です」
思わず笑ってしまう。いつもこのクオリティで髪を乾かすことができたら、朝の支度がどれほど楽だろうか。東さんに髪が梳かれる感覚が心地よくてだんだんと微睡んでしまう。

髪を梳かれ、頭を撫でられて心地よくてうつらうつらとしてしまう。久しぶりに寝るのが怖くない。
最近眠るのがすごく怖かったのだ。夢見が悪いだけだと分かっていたけれど、丑三つ時に目覚めたりだとか、朝の目覚めの悪さは言いようがなかった。寝起きの気持ち悪さに胸がむかむかしたりして、ここしばらく会社を休みがちだった。
「…手、繋いでいいですか?」
「うん。いいよ」
東さんの手と私の手が手のひらをすりあわせるようにしてくっついた。心地よい。本当にこの人の存在は不思議と心地よさを私に与えてくれる。添い寝屋という職業故なのか、東さん自体がそうなのか。
「…月が綺麗ですね」
駅から歩いてマンションに着くまでの道のりで見た満月にはあと少しの月をふと思い出した。月の光に透けてしまいそうな東さんはとても綺麗で、手を繋いでいるのが不思議なくらいだった。
「可愛いことをいうね。…今なら手を伸ばせば届くかも」
クスリと笑った東さんの吐息が聞こえた。恋人繋ぎの手はきゅっと力を込められた。
今なら手を伸ばせば届くのか。手を握っているのに。もうすでに届いているのではないだろうか。微睡んだ思考でそう考えた。

目覚めると東さんの姿はなく、軽い朝食がテーブルの上に置いてあった。
『怖い夢を見ないようおまじないをしておいたよ』なんて可愛いメモと連絡先が添えられていて、東さんを思い出して胸がドキドキした。

手を繋いで寝た以上のことは、無い。
いつもより眩しい朝日に私は伸びをしてから、東さんの手作りの朝食なんて贅沢だなと思った。






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