三廻部はつなという先輩を初めて知ったのは、呪術高専に入って最初の夏だった。


緑の黒髪と形容するのが正しいであろう、黒檀の髪。利発そうな顔。ホッソリとした肉体。彼女の髪は長すぎて、赤い髪ゴムで乱雑に束ねられていた。___そのあんまりな乱雑さに、毛があちらこちらに歪んでいる。なんならシャツもくしゃっとしていて、急いで服を着たのが分かるありさまだった。

女の身だしなみとは思えない粗暴さが目についた理由。もうひとつ重ねるとしたら、彼女が自分の友人である五条悟と楽しげに話していたから。

友人はどうやらその女生徒を気に入っている様子だった。からかうような言葉が飛び、楽しげな声音が響いている。


次の日が来てもなんとなくその様子が頭を過り、授業の合間に友人に聞けば___曰く、彼女は一風変わった変人らしい。

術式は身体能力の底上げや強化。
筋肉の密度をあげたり、心臓を素早くするものらしい。あの天才五条悟が平凡と切り捨てても可笑しくない術式だが、彼女の場合はその努力の度合いが全く違うという。一言で他者が切り捨てることすら惜しむ向上心と天性の率直さ。

つまりは鍛練バカだった。
さらに重ねるとかなり脳筋だった。

彼女は呪力のコントロールが上手い。密度の高い、練って練って練り込んだ呪力を込めた拳は凄まじいものだった。本人は某パンヒーローに憧れて一撃必殺を心掛けているらしかった。どういうことだ。


まぁ、聞けば聞くほど出てくるヘンテコ人間。

一般人出身、戸籍は禪院置きで、三年になったら独立する契約を結んでいる。趣味は原付での旅。満十六歳で正規の手続きをとって手に入れた免許証が好きで、いつも持ち歩く。原付が好きすぎて補助監督を置いて任務に一人で行くことが多々ある。料理が好き。

よくここまで知っているなぁと友人自身にも驚くが、自由気ままな彼女の話は、聞くだけでお腹いっぱいだった。




___だから、こんな風に話すことはないと思っていた。目の前を見れば、コーヒーをブラックで啜る彼女。自分の目の前にも同じものが置かれているがどうも手が出にくい。


「遠慮しないで飲みなよ。」
「…はい。」


寮の共有スペースに唐突に現れた彼女は夏油の顔を見るやいなや、『コーヒー、ホットミルク、レモネード、炭酸水、煎茶、緑茶、ココア、蜂蜜ジンジャーどれがいい?』と唾を飛ばす勢いで話しかけてきた。
そのあまりの早さに咄嗟にコーヒーと答えると、目にも止まらぬ早さで持ってきたのだ。
ちなみに容器はちゃんとプラスチックの使い捨てカップだった。


「いやぁ、夏油くん。はじめまして。夏油くんのひとつ先輩、三廻部はつなです。よろしく。」
「はぁ…はじめまして。」
「五条くんから聞く通り、なかなか芯の通った青年だね。立派立派。コーヒー、ミルク欲しかったら言って。砂糖もあるよ。」


女性の平均よりも大きめな手には、小さなミルクカップと角砂糖の入ったポット。本人はブラックだからわざわざ夏油のために持ってきたのだろう。だったら最初にブラックかどうか聞けばいいという話______もしかすると彼女も焦っていたのかもしれない。
なかなか抜けている人なんだなとコーヒーに手を付ける。モカだった。フルーティーな味わいで女性が好む感じだ。


「に、しても何かご用で?」
「ああ。そうだね君とは少し話したくて。」


本題だ、と声のトーンが変わる。彼女の本気の声はどっしり重く、腹に貯まるような印象だった。


「君さ。」
「はい。」
「吐くの癖になってない?」


肺から声にならない空気が漏れた。恐ろしいほど背筋が凍る。


「なんで。」
「いや、分かるっしょ。吐きだこ指にあるし。声とかで。」


なんてことないようにコーヒーを啜る彼女に言い表せない不快感が募る。親友にすら言っていないことを暴かれて丸さらしにされた気分だ。
金か?名誉か?五条とのパイプか?とにかく彼女が何を脅しにとるかは分からない。そっと身構える。


「あ、誰にも言わないよ。そんな警戒心の強い猫みたいな顔しないで。かわいいな、もう。」


なんだそれは。
言葉を紡いだ彼女が嘘をついているような感じはしない。もちろん信頼はしていないが、ひとまず乗っておこう。


「それを知ってどうするんですか…?」
「だからそんな顔するなって…。そういうのなかなか他人に言い出せないでしょ。五条くんはデリカシーないし言って距離空いたら嫌だし。家入ちゃんは同級生で女子、恥ずかしいわな。先生は誰かに報告するかもで信頼できない。」


するすると目の前でこれまで夏油が悩んでいたことを言い当てられる。体の輪郭をなぞるように内面を的確に言い当てられた。


「私も昔色々あってさ。ずっとゲロゲロ吐いてた頃がある訳。かわいい後輩が同じ目にあってたら気にしちゃうでしょ。先輩風ふかせたいの。」


確かに言葉に嘘は見受けられない。普通の人間の感性なのだろう。脳筋やら筋肉ゴリラやら言われる女性の思わぬ一面に口を引き結ぶ。


「ありがとう…ございます。」
「よし。良い子だね、君。体に負荷がかからない吐き方とか吐瀉ぶつの効率的な片付けとか。教えられる範疇でお節介するよ。」


にまっと笑った顔は猫に似ている。黒い乱暴に固められた髪は寝癖かピョンピョン跳ねている。野良猫だ、と夏油は咄嗟に思う。


「後で蜂蜜大根あげるよ。部屋に漬けてるの。嫌い?」
「飲んだことないです。」
「まじ!?そんなことある!?」


本気で驚いた声をだし、紅潮した頬に手を当てる彼女。ワタワタと手を動かして、慌てた様子だった。


「明日にでも渡すよ。基本体温はあげた方がいいぞ!血行も良くなると吉!」
「送っていきますよ。もう遅いし女子寮まで。」
「ええ!?」


今度はおかしなことは言っていないぞ?先輩の赤い顔を見ていると何か失敗したのかと、不安になってくる。


「誰かに女子扱いをされるのが初めてで…プレイボーイだな、君は。」
「そうですか?」
「かっこいいよ。このくそみたいな呪術界じゃモテるだろうね。禪院の屑どもも、君みたいなのだったらまだよかったな。」
「そういえば禪院に戸籍置いてるんですっけ。」


肩透かしを食らった気分だ。脅されることもなく普通の平凡な会話が続く。彼女は灰色の瞳を瞬かせ、口を尖らせた。


「そ、一般人からの出世、といっても半ば強引な感じなんだけどね。正直私はあそこ大嫌いだよ。用が済んだらすぐ出ていく。」
「用?」
「大事なものを二つあそこに置いている。私は禪院にそれが五年経つまで必ず無事でいさせることを縛りにしてんの。その後も幾つか条件つけて、本当は嫌だけど禪院持ちってことにしてる。」
「縛りですか。」
「なんであっちが呑んでくれたかいまだにわかんないけどね。最後の慈悲ってやつかな?ラッキーだったよ。」


軽々しく話す彼女の目元が細まる。彼女の年の功というか、経験というか。決して浅はかではない体験がきっとあるのだろうと思った。
それに踏み込むにはちと年月が足りないので、黒い液体の無くなった容器を横のゴミ箱に捨て、彼女の方を向く。


「行きますか?」


彼女はうーんと顎に手を置く。


「やっぱ良いや。どうせ学校内だし。それにちょっと気恥ずかしくなって変なところ見せるのも嫌だし。」
「別にそれくらい平気ですよ。」
「良い男の前で良い女でいたいの。」


彼女は自分の手にもったマグカップを携えて、ヒラヒラと手を振った。



「お気遣いありがとね。良い夜を。」



女性らしいながらも低い重心で彼女は去っていく。歩くのは早かった。自分も軽く手を振り、とてもパワフルで、強い人だなと背中を見つめた。






三廻部という人間は呪術という場に身を置くにも、どこか平穏や平凡を捨て去れていない人だった。きっとそういうところだったのだ、夏油の目についたのは。懐かしい春の香りだ。


夏油傑と三廻部はつなが交際を始めるのはその年の冬だった。



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21gの月