「やっほ、久しぶり。」
「久しぶり、三廻部先輩。」


人の賑わいは消え、勉強に明け暮れる学生だけ残るカフェの中。数年振りに出会った彼女はあの日と変わらない笑顔を見せた。

それに自分は安心したのかもしれない。
肩が一瞬無意識に落ちる。

彼女は手ぶらだった。荷物はポケットに入る程度なのだろう。___もう30代。髪にはチラホラ白髪が見えるし皺も見える。だが、彼女の場合は経験深さの象徴のように思えた。どこまでもかっこいいという言葉の似合う人のままで、少し嬉しくも悲しくも思う。

ふと、最後なんて言葉が出た。

彼女はもう呪術界では死んだも同然の人だから、自分から会いに行こうとしなければ二度と合えないだろう。これが最後になるかもしれない。…いや、最後にしておくのがいいかもしれない。ドミノを並べるような緊張感が一挙一動に漏れる。


「わざわざ呼んでごめんね。忙しいだろうし、もう嫌というほどしてるかもしれないけど。君の肉声で聞きたかったんだ。」
「全然、こっちから言うつもりだったし。遅かれ早かれってとこ。」


彼女は椅子に座る。同時に机の上に重ねられた両手が品の良さを見せる。

あの日、あの瞬間。学長や呪術界上部と話した時の彼女も同じポーズだったのだろうか。査問会と言うより尋問みたいな時間だったと聞いている。原因になった男との離別もしっかり出来ていなかったというのに。____本当にどこまでも、上は利己的だ。

せっかく合えたというのに頭を回ることは嫌なことばかりで、自分が憎くなる。思考を洗い流すようにカフェオレを飲み込んだ。


「夏油傑は俺が殺した。」
「うん。」
「最後は笑ってたよ。今際の際に『最後くらい呪いの言葉を吐けよ』って言ってた。」
「そっか、よかった夏油君は君の親友として死んだんだね。」
「…僕は今日、先輩に憎まれる覚悟をしてきたよ。罵倒されると思ってた。」
「まさか。」


頭のなかで何度も何度も繰り返したシュミレーションは意味をなさなかった。上部だけのかじかんだ言葉だけが出てきてしまう。伝えたいこと伝えなくてはいけないことのどちらも短い言葉でしか出ない。


「…もう、何年も経って区切りがついちゃった。」


___嘘つき
手が少し震えている。学生の頃だったら気付かなかっただろうが今なら分かる。どうしようもなく見えてしまう。彼女の動揺が。大きく取り乱さない彼女に言葉を掛けることも支えることも出来ない。


「それにね、私は彼を憎まないで済んだから。君には悪いけど、あの時彼を殺してくれてありがとうなんて思ってるよ。」
「先輩は傑のこと殺すつもりだった?」
「…ううん。そうだね。うーん。」


彼女は困ったように首をふった。


「私はあれから夏油傑の犠牲者となった人を調べたよ。もちろん百鬼夜行の人間も、全員。」


頬付けをついて、密やかに笑う。この人があのひと、とかすぐるくんとかそんな風に友人を甘く呼ぶ日はもう来ないのだろうか。空虚な音の羅列でしか『夏油傑』という言葉にはなかった。


「禪院真希、重傷。____同級生の子達にありがとうって伝えといて。遅れていたら死んでただろうから。それに、君があそこで夏油君にトドメを指していなければ、何処かで禪院真希は死んでいた。必ず。」


灰色の瞳が五条を睨む。焦点は合っていない。五条のなかに潜む彼の残滓きっと探していた。冷たい心に熱を灯した両の手が入ってくる。抵抗もせず柔らかな彼女の瞳を見つめ返した。


「もしそうなったら、私は彼を心の底から憎んだ。ストッパーが外れるみたいに、きれいだった思い出全部潰して彼のこと殺してた。」
「俺が殺すより良かったんじゃ?好きな人に殺される方がよっぽど良く思うけど。」
「彼は私に引導を渡されるのは嫌だったと思うよ。彼が一番納得する死はきっと君にしか与えられなかった。だからありがとう。」


ちかちかと照明が光る。夜の闇に吸い込まれるように、窓の向こうの車が通りすぎる。とても寒い夜だった。もう年越しの時期だ。彼女のつけている赤いマフラーがやけに恋しくうつる。

とげの無い言葉。こちらを包み込むような、険をひとつづつ丸めるような余裕。ありがとうに込められた思いを見透かすのは自分としては無粋だ。彼女は一拍置いて言葉を吐いた。



「禪院真希と禪院真依。禪院家の凶星は私が12の頃に産んだ娘だよ。」



ポチャンとカフェオレにもうひとつ角砂糖が入る。


「…傑は」
「私自身禪院を出る時にやっと二人の名前を知ったから、名前は知らないだろうけど、双子を産んだことは知っている。付き合う前に言ったの。」


教え子の顔が脳裏をよぎる。
面影なんて無い見事な禪院顔だった。ああでも、言われたらあのピッシリと伸ばされた背は彼女に似ている。

禪院と先輩の縛り。
ずっと知りたかった秘密は呆気なく溶けられ、鈍い重みを与える。


「私は一般人の親に禪院に売られたの。元々廃れた呪術師の家系だったみたい。私の家の術式はね、身体強化じゃなくてね、双子を産むこと。私の一族は一代それぞれ必ず三廻部の血を受け継いだ双子が産まれる。ご先祖様がなにかと縛りでもしたのかな。そこを見込まれて、ね。」


これ以上聞いてはいけない。しかし、ここを逃したらこの人は一生言わない。罪の共有と対して変わらない自白みたいなものだった。
傑は、あいつはこれを聞いてどう思ったのだろうか。そして、あいつはこれを知ってどうしたのか。もう永久に暴かれることはない疑問だった。


「この身体強化は私の縛り。もう二度子供は産まないって言う縛りで得てる。だからね、彼との交際は本当に生産性が無くて未来の無いものだった。」


彼女は飲み物を飲んでいなかった。
いつも部屋によくわからない飲み物やら何やらを置いていた彼女を思い出す。そうか、変わったのか。そう思ってしまうと行き止まりに来てしまった気がする。遠い景色を眺め、一人心地になるような情動が胸をキュウッとしめる。



「でも付き合ってたんでしょ。」
「うん。好きだったから。もう全部忘れて飛び込む感じだった。でもやっぱり私も罪悪感とかあったんだろね。うまく隠してたけど分かっちゃったんだよ彼も。」
「あいつとの時間苦痛になっちゃった?」
「まさか。逆だよ。彼の側は世界一安心できた。ただ、『一般人』の両親に売られたとか、そんなこと言わなかったら良かったとか。それだけ。」


すうっと息を吐いた。
なんて言えばいいのか分からない。
友が離反したあの日、先輩になにも言えなかった自分を思い出す。でもあれはあれで正解だったと思いながら、目を覆う。



たった12で母になった彼女は、母のままでいた。夏油傑と付き合って、たった一人の女になる道もあっただろう。呪術界を捨て、呪詛師として生きていく、そんな未来。

けれども彼女は母でいることを選んだ。

何年も何年も思い出を煮詰めて出した答えだったのだろう。彼女の罪悪感を、引け目を、全てつめた『それだけ』なのだ。それを哀れや同情やら嫌悪やらで汚していけないことだけはハッキリわかった。


「子供は親を殺せるけど、親は子供を殺せない。まさかこの言葉の意味が分かっちゃうとはね。」
「双子には言わないの?」
「言わない。禪院にいる間顔を合わせたのは一回だし、抱き上げることすら出来なかった。あそこにいて痛感したよ。側にいて、ママだよとかいって、抱き締めるなんてもう手遅れだ。遠い何処かで見守るくらいがお似合いなんだろう。」
「もし二人どちらかが死にかけたらどうする?」
「命を懸けて助けるさ。何よりも優先してね。私ができる母としてのことはそれだけなんだから。」



彼女は笑う。照明に引けも劣らぬ明るい笑顔だ。心の中で燻ってどろどろしていた全てが融ける。それは無くなるわけではない。ゆっくり自分の一部として受け入れられる感覚だ。


そうか、あいつはこの瞬間が好きだったのか。この人の瞳に熱が灯る時。秘密を共有した者にしかわからない時間。

確かに恋だったのだ、彼らは恋をちゃんとしていた。どんな所が好きだったとかではなく、お互いが惹かれあって恋をして…そうして出来た傷を彼女は捨てること無く抱える。母としての傷、女としての傷、余すこと無く抱き抱える。


やっぱり先輩、あなたは強い。
そんなあなたの弱さを見て、あなたに甘えてもらえた傑は幸せな奴だったよ。きっとあなたの笑顔を側にいない時も思い出したよ。
言葉の変わりに笑う。


「先輩、また、たまに会いに来てね。」
「君のたのみならいくらでも。」
「先輩の好きだったブラック・コーヒー用意しとくよ。」
「あぁ。ううん。それはいいよ。」


懐かしいものを思い出すように、彼女は微笑んだ。




「苦いのはもう充分だから…今は甘いのがいいかな。」


彼女はこれから生きていく。

誰かと付き合って恋をして触れあうかもしれない。そしていつか彼女が呪術という世界を完璧に抜けて、養子をとって______そんな未来があるとしたら夢のある話だと思う。

人は変わるものだ。
覚悟は揺らぐものだ。

三廻部先輩が自分の決めたことを変える人間とは思わないけれど、絶対とは言い切れない。真希と真依に母であることを告げ、不器用な家族を始める未来が無いとはいえないのと同じくらい、一般人として生きていく未来だって勿論あるだろう。

分かるのはひとつ。
この人はどの未来でも死ぬその瞬間、思い出すのは両親の顔でも娘の顔でも後輩の顔でもなく、たった一人の青春に置き忘れた恋人の顔であること。


傑、お前はこの人を永遠に手に入れたよ。恋をしていた少女の部分をごっそりと。

去っていく彼女に手を降りながら、五条悟は呟いた。

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21gの月