彼の好きなところを述べて、と言われたら多分私はハッキリ言えない。モゴモゴと私らしくもなく口を動かす。それか、後輩の五条君に笑われてしまうような小さな声で、全部、なんて言うかもしれない。

沢山ある。

それと同じくらい何もない。
矛盾した答えのように思うけれど恋というのはそういうものだ。私は彼と付き合ってそう思えるようになった。

ああ、もし、付き合い始めた理由を答えろと言われたら。私は人に冷たいきらいがあったから、なんてこと無い顔をして、好きという彼の言葉を裏切れなかった、と言うだろう。

_______けれど、もうそんな質問は誰もしないのだ。彼はもう私の側にいないから。彼の親友の五条君の側にも、同級生の家入ちゃんの側にも、後輩の七海くんの側にも、彼はもういない。


彼は最後に別れようとは言わなかった。

私は強引な人間だから、彼が苦しい時無理やり話を聞かずに笑って側にいた。私は傑君を一人にしたくなくて、私も独りになりたくなかった。

今でもそれを思い出してさめざめ泣く。彼が私の泣きわめく声を聞いていつもみたいに来てくれたら、なんて夢想してもう一度泣く。泣き虫な私の心が折れなかったのは一重に禪院でのことがあったからだ。



私は禪院に売られた胎盤だった。

初潮がきた11の時に人工受精で双子を孕んだ。禪院の当主がロリコンじゃなかったからそういう措置が取られたのだが、きっと女としては屈辱的なものだと思う。私はその時少女でも女でもない曖昧なラインにいたのでそこまで気が向かわなかっただけで、もし20とかだったら激昂して叫び散らしていたかもしれない。

子供を産むと言うことは恐ろしいことだった。

拷問と言われた方が納得する。自分の体に訳のわからないものが息づいて渦巻いて蠢いているのだ。私は本当に怖かった、それこそ死にたくなるくらい。毎晩毎晩父と母を呼んで泣いた。父の双子の伯父さんとその娘、それから近所のおばあさんと野良猫のことを思い出して、必死に耐えていた。苦しかった、おぞましかった。学校の友達に会いたかった。

そして、原理はわからないが私は腹が膨らむごとによくわからないモノが見えるようになった。呪霊と言っていた。正直この家の人間の方が怖かったので、対して大きな反応はしなかった。ただそこにあるだけ。ぼうっとそういうものを眺める日々だ。


けれど、私も女の端くれだったらしい。

この家の人間は大嫌いだけど腹の子を憎むことが出来なかった。1日1日お腹を蹴ったり動いたりするこの子達を殺したいとは思わない。

悪阻の時とか腰痛が酷いときとか、呪術、と呼ばれる物で私の体は無事だった。当然15にもならない子供が出産だなんてそんなズルしなきゃ出来ない。ゆっくり説明を聞いてやっと呪術というのを知った。


その瞬間私は悟った。
あ、そっか、私ここで生きていくんだ、と。

もうあの暖かい家にも帰れないし、白馬の王子様とかが急に助けてくれる訳はないし、誰かがポンとこの子達を楽に産ませてくれる訳ではない。

そう思うと一気に視界が開けた。
涙で曇っていた周りがよく見えて、私は前を見ることに成功した。自分の足で立たないとどうしようもない。一生この呪術界で生きて死んでいくんだ。

涙はとうの昔に枯れて出ない。ただ、この子達を産まなければ。もう甘えてはいけないと覚悟を決めた。努力、努力、努力。そして選別。いざというときに動くにはしっかり区別をつける必要がある。それは命の価値だったり優先順位だったりだ。何も知らないことは悪なので、とにかく勉強することにした。この家は腐るほどに本がある。利用しない手はない。

この子達を守る術が欲しい。

産んで、捨てられるような胎盤だけど、私は母なのだ。せめてこの子達だけでも同じ目に合わないで欲しい。砂を噛む日々も目標ができれば幾分も良いものに感じた。今は胎児に悪くて飲めないコーヒーもいつか飲んでみたい。


そうやって日々を過ごし、私は双子の姉妹を産んだ。

名前をつける前に、子供の顔を見る前に、黒い服の人に二人は連れていかれた。やけにスローモーションにうつる。女の子を浚う手、暑い部屋、白いシーツ、痛い腰、

私はその時なにかが外れた。

久方ぶりに安定していた心情も思考も思いも全部全部どす黒い真っ暗な物で覆われて、私は見るもの全てにあたった。理論や理屈で分かっていても、体験するのは全く違う。子を奪われた。ただそれだけで頭が真っ白になった。

そうか、子供を産むというのはこういうことなのか。

その子達は私の子供なのにどうして他の人が抱いてるのか。その子達がいつか飲める日がくるまで置いておいた蜂蜜大根はどうするのか。その子達はどうなるのか。私はどうしてここにいるのか。

どうして私は子供のまま子供を産んだのか。





とても沢山涙が出て、とても沢山笑った。とても苦しくてそのどちらかしか出来なかったのだ。私は痛む自分の身体中がただの残りカスにしか見えなかった。生まれてきた意味を果たした。いつ死んでも良い。子供たちが健やかであるならばそれで良い。

禪院の当主は私の縛りを飲んだ。

私は、子供たちが本人が望まぬ限り胎盤にしないこと。あちらは私の禪院での数年の滞在。

このときの私は無我夢中で周りが見えていない子供だった。とにかく守らなければ、どうにかしなければと、禪院から双子を奪って逃げる道を考えたりもした。

しかし、誰もそんなことを望んでいない。産んだ双子ですらも。______それが分かったとき、もう真希も真依も5歳になって、高専を卒業する私は外に出ても良い歳になっていた。




ここにいても意味はないと理解して、少し肩が軽くなっただけ私は本当に薄情ものだ。




ようやっといろんなことに区切りがついたその時、現れた選択肢は二つだった。

母としていきるか女として生きるか。女として生きるのならば、全てを捧げて良いと思った人が一人だけ。


私には高専にいた間恋人がいた。

自分でいうのもなんだが、私はよく他人に好意を向けられる。これまで、断る理由もないし、私みたいな女を好いてくれるという事実だけで私は適当に人と付き合ってきた。

だがそうやって付き合い始めた恋人たちは私との温度差に数ヵ月で関係を終わらせる。今回もどうせそうなるのなら、痴情のもつれは好きくないので、ここらで終わりにしよう、と当初告白を断るつもりだった。その子は私の後輩だった。

彼のことは好きかきらいかで考えたら好き寄りだ。気まずくなるよりきっぱり断とうとして、振ろうと思って、口を開けた時、私は彼の言動を鮮明に思い出した。


先輩風なんて吹かせて見たりする私を見つめる彼。話を最後まで聞いてくれる彼。任務の帰りにコーヒーを手渡してくれた彼。

それを思い出した瞬間。私は口から誰にもいうはずではない触れたくないことを口走っていた。

もしかすると酔っていたのかもしれない。飲み物に景気づけ程度に酒を混入していたのだ。全部全部滑り落ちるように言葉は紡がれ、ふいに泣きそうになってしまう。

私は限界だったのだろう。
沸点を越えたお湯のように。溢れすぎた水のように。なにかが破裂してしまった。

彼の瞳が心地よかった。ずっと見ていると酷く懐かしい、閉じ込めていた記憶がワッと溢れてしまう。母のはつな、と呼ぶ声。我が儘をいう私を怒る声。寝る前に呼んでもらう本の内容。そういうものが怒涛に押し込んで、声を圧し殺して私は泣いた。

彼はなにも言わなかった。
そのまま手を握ってくれた。

とても長い時間そうしていた気がする。私が泣き止む頃に、彼が。いや、傑くんが頭を撫でた。誰かに頭を撫でてもらうだけで救われた気になってしまう。けれど、その瞬間だけはその暖かさを感受したい、と強く思った。

彼からは平穏の匂いがする。
かつての私が奪われた普通がそこにある。





そうして私は彼と付き合い始めた。誰かを好きになるのははじめてで、嫌われてしまうんじゃないかとドキドキしている日々は新鮮だ。楽しくて楽しくてまた泣いて。

ずっと彼に甘えていたから、私はなにも見えていなかった。それだけ。沢山の事実が重なってこんがらがって。また私は大切なものを取りこぼした。


娘と恋人。両者の顔がちらつく。

呪術界を離反するか、このまま生きていくか。どっちを選んでも後悔する。ならば、私は______娘を選ぶ。

本当に残酷な人間だ。禪院にいたときも助けてと言えば誰かが助けてくれたかもしれない。必死に乞えば何とかなった。そうしなかったのは、そこまで私に胸を焦がす情動はなかったからだ。私は死人みたいに諦観して、たっぷりの余裕で誰かの死を見つめるような女だ。遂行な願いも、地に落ちても目指す目的も無い。

ずっと空っぽな人間だった。



________しかし私の手はあの温い赤子の体温が忘れられない。せめてあれだけは忘れたくないと思う。いつか彼女達がその熱を知るまでは、生きていて欲しい。

そうだ、私が彼を選ばなかったのは。彼が大人で娘が子供だからなのだ。とてもありふれていて、とても普通の、一般論の選択だ。
彼の前では一等きれいなままでいたかった。そんな自分を私は選ばなかった。

私は顔を一度しかみたことのない男の娘を選んで、恋人を捨てた。




歌姫。

優しい君なら私にそんなことない、あんたは良くやった。空っぽじゃない、と励ましてくれると思う。歌姫は優しいもんね。でも、どれだけ彼のことを好きだった過去があっても選ばなかった現実がある。

私と親友になってくれてありがとう。
ずっとこのこと言わなくてごめん。

これからもし、この手記が灰になることがあれば、私は死んだということです。い
や細かい術式は苦手だから出来てるか不安だけど出来てると信じます。

とにかく言いたいのは、この手記が灰になった瞬間。私の死は確定したと思って欲しい。私が死ぬと禪院と私の縛りが解けます。

そうなるとお察しの通り、一番恐れていたことが起こると思う。我が儘で身勝手だとわかっていますが、どうかあの子達を、私の娘をお願いします。

大丈夫、今のあの子達は強いから、ほんの少し背中を押してあげるだけで良いよ。気を負わないで。

この手記と同じものを五条くんに渡しているので、多分二人でってことになるけどそれは本当にごめん…。ちょっと配慮は足りなかったね。彼は、その、悪い子ではないけど、君とは波長が会わないからね…。まぁ。頑張って。歌姫なら大丈夫と思ってます。





私はきっとこれからのうのうと生きていく。
真希と真依のこと遠くで見てストーカーみたいにつけて、適当に呪霊祓って…。もちろん呼んでくれるならいつでも君のところに行く。暇なので。


呪術師抜けてフリーになっちゃった私が行くと、上が怒るかもしれないけどそこは何とかする。

私は元気でいます。君と五条くんに真希と真依任せてるので安心してフラフラしてます。どんな死にかたでも満足して死ぬと思います。だから大丈夫。私のことは気にするな。


電話番号は裏に記載してるよ。何かあったらいつでもどうぞ。


追記



彼と付き合うときに、滅茶苦茶反対してた歌姫が、最後に応援してくれたの覚えてる?あの時、この子とずっと仲良くしたいなぁと思ったのでこうして友達のままでいれて嬉しいよ。


優しい君と友達でいれることを誇りに思います。またね。














「…遺書かよ。馬鹿。」



小さくその手紙を折り畳んで、歌姫はその場で目を伏せた。

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21gの月