朝から高級ツナ缶を食したグリムは、ご機嫌に寮を出ていく。ユウはグリムを追いかけ慌ただしく玄関を出る。振り返ってミヤを見ると、いつも通りに手を振って見送ってくれる。ユウはグリムに追いつくと昨日の夕飯時の事を思い出した。
「高級ツナ缶!開けた時に立ち昇る香りが全然違うんだゾ〜口に入れるとホロホロ解けるのに舌の上でサラッとした魚の脂を感じる…はあぁぁ〜毎日食べたいんだゾ〜〜」
「グリムは頑張ってくれたから、明日の朝も食べていいよ」
「本当か!?ミヤが毎日こう優しかったらよかったんだゾ〜」
「そんなこと言うならあげないよ」
冗談と本気の区別もつかないのかとグリムがさらに煽るので、ミヤがグリムの前に置いてある食べかけのツナ缶を片付けようとして喧嘩になっている。
そんな事を他所に、ユウは申し訳なさそうに雪合戦で力になれなくてごめんと謝った。ミヤは弟が謝る理由が分からなくて、楽しかったからいいよと言った。
ミヤのあっけらかんとした態度を意外に思いながらグリムとミヤの取り合いを仲裁してやった。
「賞品の"ミヤと一緒に過ごす"ってのはどうなったの?」
「どうもこうも無いけど」
「え?ミヤたち勝ったの?」
「違うよ、引き分けたの」
「あ、そうなんだ」
だからミヤはあっさりしているんだなとユウは得心がいった。引き分けて賞品がないからエースもデュースも無駄な参加だと言ったし、打ち上げの時も賞品について話す人は誰もいなかったのだ。
それならジェイドとのは一体何だったのだろうかと訊ねようとしたが、また部屋に引きこもらせる事になりそうだと思ってやめた。
どうか、ミヤの意思に沿わない事が起きないように願うばかりだと、グリムと共に校舎へ向かった。
ミヤは、ユウたちを見送ると仕事着に着替え杖を振った。廊下の掃除が済んだら談話室だ。談話室…ミヤは頬が熱くなるのを感じ出て覆った。
昨日ジェイドにしてしまった事も思い出したが私は悪くないと言い聞かせ、掃除が終わったら今日も山に入ろうとテキパキ掃除した。
裏山に入って収穫した物を選別する。毒のあるもの無いもの、形の良いもの悪いもの。そうして選別した形の良いものや毒のあるものは、購買部で買い取ってもらう。
今日は、なかなか良いものが手に入った。形の綺麗な物が多いし高く売れそうだとミヤは気分が良くなった。
そろそろ昼食にするかと冷蔵庫を開けると、食材が減っていた事を思い出した。昨日、大量に使ったのか底をつきそうな物が多い。少し遅めの昼食を取ると、収穫した物を籠に入れて購買部へ向かった。
「サムさん、こんにちは。今日もお願いできますか?」
「Hi,小鬼ちゃん!今日は何をお持ちかな?
この黄色い花はツイタチソウだね!根も綺麗に残ってるし土もちゃんとついてる」
「用途は様々ですけど根まで全部毒ですからね、勿体無いことは出来ませんよ」
「他にも色々あるようだね…オーケーきっちり査定するよ!」
待っているようにサムに言われて、いつものように商品を見ながら待つことにした。買い物メモを取り出すも食料品は店頭には並んでいないので後で持ってきてもらおうと、他に何か必要な物はないか店内を見て回った。
査定を終えたサムから聞かされた想像以上の買取金額にミヤは驚いた。丁度欲する人がいたらしい。それからメモにある食品を倉庫から持ってきてもらうとマドルを支払い、3つのビニール袋にまとめ浮遊させると、サムに礼を言って購買部を後にした。
「うわっジェイドさん」
「人の顔を見るなり失礼な人ですね」
「それは失礼しました。それではさようなら」
気まずさからその場を離れようとしたミヤだったが、ジェイドに肩を掴まれてしまい叶わなかった。あからさまに溜息をつくと、ジェイドが眉尻を下げて悲しそうな顔をした。
昨日の事もあるので、あまりジェイドと一緒に居たくなかった。彼を見ると恥ずかしい思いが振り返してくるし、お礼だというあの行為が理解できずに翻弄されているのが悔しい。
用事があるのならサクッと済ませて欲しいと言い買い物袋を地面に下ろしたミヤに、ジェイドはにこにこと貼り付けた笑みで当たり障りない話をし始めた。
適当に相槌を打っていると、ジェイドが昨日の事を話しながら徐にスマホを取り操作した。
「昨日撮った写真、ケイトさんからいただいたんですよ。見ますか?」
「え、いや。私もユウのスマホで撮影したので」
「まあ、そうおっしゃらずに」
強引に肩を寄せスマホの画面を見せてくるジェイドに緊張しながら覗き込む。楽しそうに笑って映っている人もいれば、面倒くさそうにしている人、カメラを全く見ていない人がケイトの自撮りに写っている。
フリックで切り替わる写真から楽しそうな空気が伝わってきていいなあと思いながら見ていると、ミヤが画面に現れた。
咄嗟にジェイドからスマホを奪おうとしたミヤだったが、背の高い彼が腕を上げてしまい取り上げられない。写真にはあの時のミヤとジェイドが写っていた。
「消してくれます?」
「ケイトさんのは消しましたが、これはいけません」
「事実に反します」
ミヤとジェイドはキスなどしていない。頬に当てた手で口元が隠され角度的にそう見えるが、ジェイドはミヤの耳を甘噛みし囁いただけなのだ。
あの人たちは噂など流さないだろうし、ただの勘違いや噂なんてミヤは相手にしない。だが、物的証拠になりうる写真はダメだ。
どうやって写真を消してもらおうかと考えを巡らすが、どうやったってジェイドのいいようにされてしまう想像しか出来なかった。
ジェイドはミヤの視線に僅かに頬を染め、これは自分の宝物だと言った。スクープの捏造写真のような物の何がいいのかさっぱり分からない。じっと見つめられて視線を逸らしたくなるが、逸らしたら気持ち的に負けてしまうとミヤも負けじと見つめ返した。
「そういう所も好きなんですよね」
うっとりするジェイドに、ミヤはおかしな方に向かっていると思い始めるが、彼が揶揄っている可能性も捨てきれず真面に捉えないように努める。
一歩。ミヤはジェイドから離れた。それが良くなかった。ジェイドはミヤの手を取ると、己の頬に当てた。
「温かい手をしてるんですね」
「………ジェイドさんの頬が冷たいんですよ」
「暑いのは得意では無いんですが……これがミヤさんの体温なんですね」
「嫌なら離してくださいよ」
「いいえ、好きですよ。あなたも、この体温も………僕、溶けてません?」
人魚の生態なんて知らないけれど溶けるわけないだろうと思った。けれど、ジェイドは確かに溶けていた。いつもの綺麗で上品な笑顔が、とろんと蕩けた様に柔らかく
ミヤは、もうこれが揶揄いではないのは理解していた。だから余計に困っていた。不慣れなミヤは、ジェイドから感じる甘ったるい空気に気圧され口が半開きのまま言葉が出なかったし、何より鼓動が確実に彼を意識していた。
一歩後退し、視線を逸らした今では完全にジェイドの空気に飲まれている。気付けば目の前にジェイドの顔があり「ミヤさん」とあの時のように耳元で囁かれた。
「僕の全てをあなたにあげます。だから、あなたの全てを僕にください」
鼻先が触れそうなほどの距離で言われた言葉がバラバラになってミヤの脳内を反響する。鼓膜を震わせた優しい低音がミヤの平常心をも揺らした。ひやっとジェイドの鼻先が頬に触れたところで正気に戻ったミヤは、彼にタックルした。
不意のことにジェイドはよろけつつも倒れることはなく、また、ミヤも抱き付いたまま離れない。
ジェイドの心臓がどくんどくんと早鐘を打つように高鳴り、目を丸くしたまま離してしまった手のやり場に迷っていた。
頭が一瞬真っ白になったジェイドは服越しに感じる腕の感覚やミヤの重みに胸がいっぱいになり、彼女の背中に腕を回そうとした。その瞬間、パッとあっさり離れてしまった。
「ドキドキしました?」
ミヤは、手が塞がっていたため平手打ちをする事も杖を構えることも出来ず、仕返しするならこれしか無いとタックルした。
真顔でフリーズするジェイドを見て、効果は覿面だと思い地面に置いていた買い物袋をジェイドに突き出すと、「ジェイドさんのせいで体が冷えました。責任を取ってくれますよね?」と、オンボロ寮までの荷物持ちと温かいお茶を入れるよう要求した。
ジェイドは愉快そうに笑みを深めると「構いませんよ」と差し出された袋を二つ持ってやる。
「ミヤさんと買い物袋を提げ、並んで歩く。いい気分です」
「え、嫌がらせのつもりだったんですけど」
「まさか!ご褒美ですよ。ふふっ、僕たちきっと番に見えてますね」
「つがい?」
「夫婦ってことです」
「せめて、恋人でしょう」
「それって僕の好意を受け入れてくれるってことですか」
「全くありえません」
「ふふふ」
オンボロ寮に向かう二人のかなり後方でドサリと物が落ちた。
「え…ミヤ…?ウソだろ………?」
自分の姉が先輩に抱き付き、見つめ合いながら荷物を分け合って寮へ帰っていく姿を見ていたユウは、フリーズしたまま握力が無くなり信じられない光景に目が釘付けになっていた。
寮に戻ってミヤにその事を問い質してもはぐらかせれ、自分が見た光景が真実味を増したユウは暫く姉と先輩のことに悩み、悪夢にうなされることになった。