隙間から差し込む光がセシリアの体に線を描いた。目が眩むほどの強い光が今の時間帯が夕方か夜だと言うのを告げている。
横になっていたセシリアは何度か目を擦りながら体を起こした。寝るくらいしかすることがなく、いつも寝てばかりいるが不思議と眠れなくなったりはしないものだ。
ぼんやりと差し込む光を眺めていたらパッと一気に明るくなり、急激な変化にどうしたって体が順応できない。
「いつになったら慣れるんでしょうね」
「ジェイドくんお疲れ様」
「さあ、こちらに」
ようやくジェイドの顔を見ることができ、ラウンジの服を着ているのを見ると今は夜なのだと察した。セシリアは、いつものようにジェイドに手伝ってもらい彼のそばにいくと首元にかかっているストールを外した。
ジェイドが通う学園の学生寮に来てからは、こうして部屋に帰ってくる度に着替えを手伝っている。服を脱がせている間、ジェイドはただじっと黙って彼女のことを見つめている。
夜はジャケットを脱がせシャツのボタンを外し、朝は寝巻きを脱がせ制服のシャツとジャケットを着るのを手伝うのが、セシリアが起きた時にする仕事だ。
「後でフロイドが夕飯を持ってきますから大人しくしていてください」
「うん、またあとでね」
セシリアが言い終わるのとほぼ同時にパタンと扉が閉まり、その無機質な音がセシリアの心に滲みる。前はもっと楽しくて素敵な関係をジェイドと築けていたはずが、彼女が怪我をしてから態度が変わってしまった。
陸に行って人間に剣で刺されたと言うが、そのところの記憶は曖昧で、気付いたらジェイドの学生寮のベッドで寝ていた。
人命に関わることだからと学園長先生に一時的な滞在を許可されたが、回復した今も寮内に居るのは秘密だ。知っているのはセシリアと同郷の彼らだけ。
「セシリアちゃん起きてる〜?」
「あ、フロイドくんお疲れ様」
「今日の夜ご飯はパスタだよ」
「ありがとう!すごい真っ黒なパスタだね・・・スミでも入ってるの?」
「せいか〜い、イカ墨パスタです」
「いい匂い!お腹空いてきた」
「冷める前に食べな」
いただきますと言うと、どうぞ召し上がれなんて声が返ってくる。フォークにくるくると巻き付けていく作業もだいぶ慣れたものだ。
初めの頃は巻く量の調節が出来ずに口の周りを汚し、ソースを飛び散らせて度々怒られていたが今ではそういう粗相はほとんどなくなった。
陸で生活していたこともあったが、人の体での生活は慣れないものだなあと毎日苦闘している。
ストンと隣の席に座ったフロイドが、じいっとセシリアが食べている姿をつまらなそうに眺めている。
ソース飛び散らせるとジェイド怒るんだよなぁと考えながら、唇が黒く染まったセシリアに紙ナプキンを渡してやった。
ジェイドもセシリアも、フロイドにとって理解し難いことをしている。どうしてここまでして一緒に居たいと思えるのだろうか。
フロイド自身もこうしてご飯を作ってあげたり二人のことを秘密にしているけれど、セシリアに同情心があるわけではなくて、ジェイドが珍しく執着した事のその先が見たいだけだ。
「ジェイドくんいつ頃戻るのかな」
「さあね、オレこれ片付けて来るけど誰か来ても開けちゃダメだからね」
「わかってるよ」
「じゃあ、おやすみ」
ジェイドと違ってフロイドとはまともな会話が出来る。だからといって、ジェイドからフロイドへ心変わりすることはない。彼に冷たくされようが、召使いのように着替えを手伝わされようが嫌になる事も逃げ出そうとも全く思わない。
ただ、どうして急にそんな態度を取るようになってしまったのか分からないことが不安なだけ。
いつかジェイドが理由を教えてくれるかもしれない、彼の言う通りにしていれば元のような関係に戻れるかもしれないという希望を胸に日々生きている。
椅子に座ったまま、セシリアはジェイドとの思い出を振り返る。決して今と比較するわけではなく、ただ、幸せな彼との思い出を忘れないためだ。
浜辺で一緒に星を見たのが一番の素敵な思い出だ。毎晩、変わらない夜空。でも少しずつ肉眼ではわからない速さで過ぎ去っていく。
たまに、ちらっと星があっという間に流れて消える。消える前に願い事を3回唱えると叶うと教えてもらって挑戦したが一度も成功しなかった。
それから、ここにあるカフェにも来たことがある。あの時は歩くのがこんなに大変だとは思っておらず、ジェイドたちの苦労を身をもって知った。
小さな村で過ごした事もある。人間になるための薬を得るため、鱗や人魚の涙を提供した事もあった。恐ろしい事だと思っていた行為も無理強いされなかったからなのか嫌でなかったのが不思議だった。
小さな村の小さな家で過ごした記憶は、ささやかながらも心が満たされるような不思議な心地で、あの時のように彼と一緒に過ごせたらいいなあとセシリアはぼんやりする頭で思った。
眠くなったら戻らなければならないのに、思い出のせいでジェイドが恋しくなったセシリアは、ベッドの向こうにある棚にたどり着く前にそのまま横になってしまった。
呼吸をするたびベッドシーツに染み込んだジェイドの匂いがセシリアの涙腺を刺激する。彼が最後にセシリアを抱きしめたのはいつだっただろうか、ここに来る前にも抱きしめられたはずなのにとても昔の事のような感覚になる。
ぼんやりする視界に棚を捕らえながらも、だんだん視界が狭くなり、ついにセシリアの意識は暗闇の中に落ちていった。
「セシリア・・・」
扉が静かに開きシャワーを済ませたジェイドが入って来ると、自分のベッドに横になるセシリアの姿が目に飛び込んできた。
小さなため息を吐きセシリアが寝ているのを確認した。規則正しい寝息がジェイドの垂れ下がった髪を撫でている。触れるだけのキスを柔らかな頬に落とすとベッドに腰掛けたままセシリアから離れた。
ジェイドは表情ひとつ変えず、穏やかに呼吸を繰り返す彼女を静かに眺めている。見た目も中身も何も変わらないセシリアの唯一変わってしまった足。彼女の足はもう二度とあの美しい尾鰭にはならない。
風呂上がりのしっとりした手で、セシリアの足に触れた。ひんやりする肌はとても触り心地が良い。
「どうして貴方は忘れていないんでしょうか」
さらりと服を捲るとセシリアの腹部に長さ10センチ余りの傷跡が見える。傷は塞がったものの傷の周囲の皮が引っ張られ、激しい運動をすれば皮が裂け再び出血するだろう。
この傷はジェイドがセシリアの巣で見つけた魔法の短剣によるものだ。あの短剣には魔法がかけられていた。ジェイドが持ち帰り分析すると面白い魔法効果があることが分かった。
『この短剣で斬った者と斬られた者、双方の縁が切れる』
縁とはどういうことか詳しく調べれば、その者が関わった記憶が消える事のようだった。
ジェイドがセシリア達に使わせようと渡したところ、二人は小屋のような家から近い崖の上で短剣を使い、二人一緒に海に落ちた。男はそのまま海の底へ。セシリアは待ち構えていたジェイドによって救出された。
「あの男が妨害する魔法を使用したのか」
優しい手つきで傷に触れればピクリとセシリアの指先が動いた。顔を覗き込んでも起きる気配はない。憎い敵を見るような顔をしていたジェイドだったが、自分が触れたことにセシリアが反応したというのは幾分か気分がいい。
憎い相手には変わりない。無邪気そうな笑顔で、思い出の相手をジェイドだと錯覚して楽しげに話す姿は特に見たく無いのだ。
愛した者からの裏切り行為に身を引きちぎられるような苦しさに吐き気がした。初めはどうにかして連れ戻そうとしていたジェイドも、次第にどう復讐してやろうかという考えに変わった。
二人の中を引き裂き、海底に沈んでいくのを見るべく海中で待っていた。ボゥンと飛び込んできた二人の体から流れ出た血が海水に溶けていくのを見て、咄嗟にセシリアの元へ泳ぎ寄り傷の手当てをしていた。
「僕は、まだこんなにも貴方のことを愛しいと感じているんです。憎いはずなのに、笑ってしまいますね」
ジェイドは自嘲気味に笑うと、食事のお陰でぐっすり寝ているセシリアの体を抱き起こし薄く開かれた口にいつもの薬を流し込む。反射でこくこくと喉が上下するのを確認すると、ちゅっと音を立て喉元に優しく口付けた。
徐々に体が縮んでいくセシリアをそっと持ち上げ口の広い瓶に近づけた。吸い込まれるように瓶の中に入っていったセシリアの体は、敷き詰められた柔らかなクッション達の上に静かに落ちた。
セシリアが喜びそうだと思い購入した陸の物で彩られた瓶の中、もぞもぞと寝心地の良い場所を求めて寝返りを打つ様をジェイドは穏やかな気持ちで眺めている。
「おやすみなさい、セシリア。また明日」
瓶に取り付けられた布のカーテンを閉じればすっかり中は見えなくなる。ジェイドは小さく息を吐きベッドに横になって、顔を顰めながらシワのついたシーツに体を埋めた。
真っ暗になった瓶の中に僅かな布の隙間から室内灯の青白い光が差し込んでいる。ふわふわのクッションに体を沈ませながら、セシリアは手近なクッションを手繰り寄せギュッと抱きしめた。
暫くしてフロイドが部屋に戻ってくる。ジェイドの寝姿を見て呆れながら自分のベッドに潜り込んで電気を消す。フロイドは、恋しいなら一緒に寝ればいいのに素直じゃないなと思いながら瞼を閉じた。
僕だけの大切な
prev<< back >>next