- 白い外観、白い内装、働く人も白を纏った異様な場所。病院。白がもたらす清潔な印象に頼った病院内は戦場だ。患者と看護師の戦いが日々繰り返されている。特に最近入院して来たどこかの金持ちの坊ちゃんは看護師どころか医師まで振り回す肝の据わった患者だ。
先生のことを"ロッテ先生"なんて呼ぶものだから一緒にいた私たち看護師は戦慄したものだ。先生本人は笑ってすませていたけれど、私たちの間で顔がチョウチンアンコウみたいだねと噂していただけに生きた心地がしなかった。
「あ〜よかった、サクラエビちゃん来てくれた」
私を変なあだ名で呼ぶ特別室のお坊ちゃんは脛骨疲労骨折。本来入院の必要はないものだが療養を無視して勝手に練習するからと入院(監視)させられている。つまり、担当の私は監視役というわけだ。他に担当している患者さんもいるというのに些細な事でナースコールを使うから電源を切ってやりたくなる。
引き出しから飴取って欲しいなんて、それだけで呼ぶんだから動けないよう吊り上げて固定している足を引っ叩きたくなる。まだやったことはないけど、頭の中ではもう四回は引っ叩いてる。
「ねーねー、オレ明日退院じゃん」
「そうね、退屈だったでしょう?」
「体が鈍ってしょーがねーよ」
「退院はできるけど完治ではないですからね。無理はダメよ」
こっちの注意なんて聞きもせず生返事をしながら手元のメモに何かを書いてる。呆れながらナースステーションに戻ろうかと思った瞬間、手を掴まれた。かなり冷たい手に、どうしたのかと思えばメモ紙を押し付けて来た。
受け取ると静電気が走り手にしていたバインダーに落ちた瞬間染み込むように消え、文字が表れた。
「それオレの連絡先。オレのスマホに着信来ないと永遠に消えねーから、消したいならちゃんとスマホから掛けて。ね、サクラエビちゃん」
魔法士だとは聞いていたけれどこんなに厄介な事をしてくるなんて。もし私が寛大な心と慈悲のない一般人だったら勝訴する事案だ。
これはいけない事だとお坊ちゃんに目を遣れば想像していた悪戯っ子のような笑みはなく、口元に笑みはあれど顔は強張っている。
お坊ちゃんなりに勇気を出したのかなと思うと可愛く思えてきた。小さな子に感謝の手紙をもらった時のような、柔らかくてくすぐったい気持ちに私は誰からも見えないようバインダーを持ち直した。
「個人情報ですからね、連絡が済みましたら直ちに処分いたします」
緊張が放たれた顔は綻び、白くて鋭いギザギザの歯が可愛らしく覗いた。うん、やっぱり患者さんには笑顔で退院してもらわないと。我儘に応えてお世話した甲斐があった。
「オレ待ってるかんね!」
「はいはい、お大事にねフロイドくん」
休憩中に連絡を入れればワンコールも鳴らないうちにフロイドくんの声がした。あまりの反応の良さに笑っていると、むくれたような声がしてティーンの可愛さに心が浄化された。
興奮したような、けれど少し緊張したような妙なテンションの声を聞きながらバインダーから文字が消えるのを確認する。個人的に患者さんと繋がるなんて良くない事だろうから、連絡先は消すつもりだ。このお坊ちゃんは"処分"の意味を文字が消えることと勘違いしたんだろう。可哀想だけど、未成年となんて危険な行為はしたくない。
「あはっ、サクラエビちゃん。またやっちゃった」
退院して一ヶ月後、フロイドくんはまた来た。私を見て頬を高揚される姿に顔が引き攣ったのは、誤魔化しようもなかった。
「オレから逃げられると思うなよ」
特別室に入ったその日に大きなベッドに押しつけられた時はさすがに危機感を覚えたけれど、まあ、骨折してるわけだから大事にはならなかった。興奮するお坊ちゃん相手に二週間我慢して、また連絡先交換して、しつこく誘うお坊ちゃんと仕方なくデートして、まあ気付いたら結婚してました。
「これで終わりじゃねーから覚悟して、ね?」
これから先、私はフロイドくんからいろんな鎖で繋がれるのだろう。その最初の鎖が結婚なのだ。逃げるつもりはもう無いというのに、最初に逃げてしまったのが原因なのだろう。厄介な人を好きになってしまった。
逃げる気はないと安心してもらうため今日も私はフロイドくんのお世話をして、疲れたら癒してもらいフロイドくんに依存して生きていく。私はもう死ぬことさえ許してもらえないんだろうなと、身に余る幸せに心を震わせた。
/ 即興二次小説(1時間)のお題『興奮した病院』
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