- 僕のナマエさんの機嫌が悪い。「おはようございます」といつも通りに挨拶をしたら口をへの字に歪ませて会釈だけして走っていくし、廊下で見かけて声をかけようかと見つめていれば目が合うも慌てて目を逸らされた。
ランチの時に大食堂で見かけた時は食欲がないのかオムライスを食べるスプーンが皿の上からほとんど動いておらず、心配して声をかければ弾かれたように僕を見て隣に座った僕に食べかけの皿を押しつけて出て行ってしまいフロイドには何かやったんだろうと疑われる始末。全く何も心当たりはないし何かあったとしても彼女ならば避けたりせずに直接不満などをぶつけてくるはず。
まさか、今まで彼女の申告に甘えてきた僕への戒めとしてたまには言わずとも察して欲しいという挑戦だろうか。受けて立つとばかりに思い返せば昨日までは普通だった。もしかするとその後のスマホでのやりとりが原因だろうかと考えるが、いつもと変わらず部屋のテラリウムの成長写真や先週山で見てきた巨大な岩の写真を送っただけで特別変わったことはしていない。
一体何が原因なのだろうかとナマエさんのことを思い返しているうちに足が自然とオンボロ寮に向かっていた。今頃彼女は何をしているだろうか。真面目な人だから課題に苦戦しているかもしれないなと思いながら歩いていると玄関からいつも一緒にいるハーツラビュル寮の彼らが出てきた。
いつもは感じない取り込んだ海水をうまく鰓から出て行かないような苦しさを覚え、粗雑な足取りで彼らを無視したまま寮のドアを叩いた。遠慮なしに開かれたドアから覗いた顔が驚きに染まり全て開き切る前にドアが閉まる。
「僕、あなたに何かしてしまったんでしょうか」
自分の想定以上の情けない声が出たのはドアに挟まれた足が痛いからかもしれない。しかし、これで彼女の同情を引けるかもしれない。目を泳がせる監督生さんのおかしな挙動に追い討ちをかける。
「僕に至らない点があるのなら、いつものようにおっしゃってくれませんか? あなたの事を理解したいと今日一日考えていましたが、情けないことにナマエさんが態度を急変させた理由が思い浮かばないのです。
どうか、今回ばかりはあなたの慈悲をくださいませんか」
目を見開くナマエさんを縋るように見つめ続けた。何かを言いかけてぱくぱくと動く小さな唇に目を奪われていると、か細い声がこぼれた。
「不安にさせてごめんなさい。先輩に原因があるわけじゃなくて、その……」
これほど煮え切らないナマエさんは珍しいと、それほど深刻な何かがあるのだろうかと耳をそばだて瞬きをやめた。
「こっこうな…口内炎が痛いんです!」
いつのまにか力が入っていたらしい肩から力が抜けた。既に力の入っていない薄く開いたドアを開き中に押し入るとナマエの前にかがむ。一言断りを入れはしたが返事が待ちきれず半開きのナマエさんの唇を割り開き指を口内へ侵入させ、真っ赤な口内を観察した。
「やめへ」
「白く腫れてますね」
「見ないれ」
ものすごい力で腕を掴んでくるけれどさして痛くはない。無理に開かれた口から唾液が垂れ手袋を伝うのも気にせずに彼女の口内炎を観察し、これは食事がしみてろくに食べられなかっただろうと納得した。もしかすると普段からお金がないと言っているナマエさんの食生活は僕が思っている以上に偏っていたのかもしれないと柔らかな頬を包み考える。もちろん、頬が汚れてはいけないと唾液の染み込んだ手袋は外しポケットに押しんだ。
「喋ると痛いし、情けない姿は先輩に知られたくなかったのに」
態度が違い過ぎれば僕が詮索するのわかるだろうに。全く、嘘や隠し事が苦手なんですから普通に言ってもらえたら僕がやきもきせずにすぐ力になって差し上げられたのに。全く、無駄な努力だ。
「今日の夕飯から僕の指定したメニューもしくは僕が作ったもののみ口にするように。
栄養の偏りのない、あなたに最適なものを用意いたします。ランチも僕がご馳走しますので、遠慮なく頼ってくださいね」
ナマエさんの口内炎などさっさと滅びろ。
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