- 「――ナマエさん、ッ……」
昂りが引いていき虚しさと入れ替わる。【そういうこと】へ耐性がなければ雰囲気すら苦手と言う愛しい恋人を思い浮かべた。顔を赤くし拒絶する姿は、嫌悪というより羞恥。好いた人であればと、付け入る隙を感じてぶつけられない欲が再び湧き立つ。
乱れたものを整えているとノック音がした。これはナマエさんの国にある三三七拍子というリズム。少しずつ速くなるテンポに笑ってしまう。
「どうぞ」
「こんにちはー! お邪魔しまーす」
「どうかなさいましたか?」
用がある時だけ来て欲しいわけじゃないが、約束もしていないのに部屋を訪ねてくるのは初めてだ。すると彼女は「んー?」と曖昧な返事をし不思議そうな顔で鼻の下を擦った。
「なんか、変な匂いがする」
「これは失礼しました」
「えっ、先輩の好奇心って怖い」
何を想像したのかは全くわからないが、きっと変なものを食べたとかくだらないことだろうとスルーして消臭魔法をかけた。ノックしたのがナマエさんだと分かりわざと匂いを残しておいたが、やはり【そういうこと】に疎く想像もできない事が分かっただけでも収穫だ。
すんすん、すんすん、と匂いの元を探る姿は色気のカケラもなくてどうしてこの人を【そういう対象】と思えたのか不思議だ。不思議と、こういうところも可笑しくて今まで見てきた人たちと違うところに惹かれる。
「うーん、先輩はいつもと変わらない、いい匂いですね」
第一ボタンの辺りで顔を上げる不思議そうな表情をするナマエさんにムラッとした。全く意識していないからこそ飛び出す無防備な殺し文句は、かなりくる。今すぐ顔を掬い上げキスをしそのまま後ろのベッドへに押し倒したい衝動を彼女の頬にかかる髪を耳にかけてやることで誤魔化した。
「ナマエさんは僕にどこまで許してくれますか?」
照れた顔をするナマエさんが悪い。むしろ、彼女にキスを拒まれた時からよく今日まで辛抱強く待っていられたと褒め称えたいくらいだ。両頬に触れた手のひらに伝わる熱が腹の奥の方をぐずぐずに煮立たせる。
「こ、こういうのは待って、もらいたくて」
「ええ、待ちます」
「あの、離して」
「ですが、少しずつ慣れていかなければならないと思いませんか?」
頬に触れる手はそのままに親指だけで柔らかな唇に触れ、弄べば熱のこもるナマエさんの瞳が潤いを増し揺れる。こんなに視線を絡ませあったのは初めてだ。もう少し。
「心臓が、苦しい……」
「僕もです。貴方にもっともっと触れたくて爆発してしまいそう」
「ま、待ってぇ、私も爆発しそう」
少しずつ顔を寄せても逃げようとしない。両頬に触れてるからとかじゃない。視線が絡んだまま前髪が触れ合い、ナマエさんの視線が伏せられた。
「ねぇ、いいですよね」
返事を待たずにそっと唇に触れた。ああ、足りない。もう一度。緊張で固くなっている唇に触れるだけのキスを繰り返し、柔らかくなった唇を優しく食んだ。びくっという反応を無視して再び食み、濡れた唇に舌で触れた。
「ふふ、すみません。あまりにも気持ちよくて」
両手首を掴まれようやく我に帰る。最後に前髪へ唇を寄せ名残惜しくナマエさんの頬を撫でるように離した。潤んだ瞳と薔薇色に色付く頬に少しだけ満たされる。
「ナマエさん」
未だ掴まれたままの手首が弱々しく離され、その手をそっと握った。伺うように見上げる瞳が不安そうで、いつも馬鹿みたいにはしゃいでいる姿からは想像し得ない様に嬉しくなる。
「また、してもいいですか?」
「んえ?」
「キスです。唇を触れ合わせたり、少しだけあむっと挟んだり」
「いいです、いいです!」
「よろしいんですか?」
「違います! そういう意味じゃない」
「ダメなんですか?」
ずるいことをしていると思っている。けれど、ナマエさん相手では少し強引にでもしなければ進展はない。残念そうな僕の顔に慌てる姿は面白かった。ずるいずるいと呟いていた彼女が勢いよく顔を上げ、視線がかち合う。
「受けて立ちます!」
「はは、勇ましくて素敵ですね」
そうしてもう一度彼女に触れようと握っていた手を離せばするりと離れてしまった。
「今日はもうさせませんよ!」
爪を剥き出しにする獣のように両手を構え可愛らしく吠える姿が必死でおかしくて笑いながら明日の予約をする。
「ええ、また明日お待ちしてますよ」
狼狽える姿がかわいかった。
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